今日も一日健やかに物語を

おもしろいと思ったものを

『ハイライトネガフィルム研究所』春井安子著 キミの人生はキミのものだ。

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基本的にネタバレと適当なことを書いてます!!

 

 

去年のコミティアから春井さんの作品を追っているのだけど、今回の作品はいままでの作品の雰囲気と比べると、ものすごく明るくって(これで明るいって思うくらいだからいままでの作品をどれだけ暗いと思っていたのか(笑))、背景なんかも黒よりも白が多くて、光を感じると思うんですよね。 そして今回の作品がいままでと決定的に違うのは「わかりやすさ」ですね。 そして、今回の作品を読んで、春井さんが描いてきたいままでの作品が一本のテーマで繋がっていたんだ!!と気がついたんです。それは作品のなかにある台詞でもある

『君の人生は君だけのものだよ』

この台詞を見て、うぉー!そうか!そうだったのか!春井さんの作品群がばっと頭の中を駆け巡って、全てが繋がったんです。『My Sweet Lavender』ではラベンダーの過酷な人生を描いているけれど、彼女の人生はきらきら輝いて見えます、それは自分の人生を生きているからだし、『メヌエット』では少女と母親と祖母のそれぞれの人間の生き方を描いているし、『星炉病棟』のクーヤは周りの人間とうまくやれるという自分の人生を生きていない人間を描いていて、そこから自分の人生を生きるための再生の物語を描いているし、『エンジェルフラット』では自分の人生を生きるために探してもがく物語だし、『アクメーネ訪問者』では脚が氷の女性とそれを好きだ!と声高に叫ぶ男のその人の個性は個性で良いんだと言っている物語だし、『六角形のチョコレート』では自分の人生を見つめなおす物語だし。去年から春井さんを追い始めたので、これ以外の作品だとどうなのかわかりませんが、ここまでテーマ性が一貫しているともうこれまでの春井さんはこれを描いていたのだ!と思うんです。

 

そして、ですね。今回の作品で春井さんは次のステージを描いているんじゃない!?と思うんですよ!!(適当なこと言ってる)


物語作者って明るいものを書いた次は暗いものを書くというような、例えば、『がんすり』を描いた相田裕さんが『1518!』を描いたり。『ミスミソウ』を描いた押切蓮介さんが『ハイスコアガール』を描いたり。『ヒメゴト』を描いた峰浪りょうさんが『初恋ゾンビ』を描いたように、逆を行くことがあるようなのでそういうことなのかもしれませんが、でもいままでの作品では心の純粋な叫びを台詞にしていたり、場面を構成しているように見えるので、受けとる側も、なにかを受けとるのだけど言葉にしづらかったんじゃないかな?と思う。それが、ついにはっきりと誰にでもわかる言葉で台詞として描かれるんですよ『君の人生は君だけのものだよ』と。いままでの作品だとそれを言っていたのだけれど、はっきりとは言わなかったし、それを肯定してくれる人がいなかった。だけど、今回の物語で店員さんは

それを肯定しているんだ!!君は君の人生を生きているんだ!と

それを明るい描写で描いているのだから、もうそれが春井さんのなかでも肯定されているのだと思うんですよ。だからこの作品で出てくる店員さん?(いらないモノを持っていってしゃぶらせると良い気持ちにしてくれる) からのメッセージなんだと、背中を押す応援の言葉なんだと思う。それって『けものフレンズ』でサーバルちゃんがかばんちゃんをすっごーい!とかつくったー!?とかめちゃくちゃ応援してくれるじゃないですか、それに勇気づけられて、かばんちゃんは成長していきました。だから、誰かが応援してくれることってものすごく重要なことなんだと思うんですよね。人間とは一人では生きていけない生き物で、だから自分の行動とは自分の為であり誰かのためでもあると思うんです、でもその行動が本当に誰かに届いているのかなんて伝えてもらえないとわからなくて不安になるんですよ、『茉莉花官僚伝』2巻にある

 

「私も子星も、なにかをしたあとは評価が気になる。変えてくれてよかったという声があればほっとする。そのために動いたんだから」 

 

 

この台詞を言うのは超優秀な一国の統治者なんですが、そんな人間でも、どんなに自己肯定できている人でも誰かの言葉を必要としているんですよね、でなければ誰の声も目もない山に籠って生きているはず。応援することの重要性、それを考えて考えてついに、渡す側になったんじゃないなーと思います。ちなみに『茉莉花官吏伝』のこの台詞のあとにある

 

──そうか、と茉莉花はようやく気づくことができた。

 物事をよくしたいと願い、動く人がいる。 そんな人に出会えたら、自分がすべきことは、「すごいな、自分もそうなれたらな」とぼんやり眺めることだけではない。 

彼らの時間を、本当にこれでよかったのかと振り返ったり、不安になったりすることに使わせるべきではなかった。すごく助かったと伝えることで、安心させたり喜ばせたりして、前向きな気持ちで次のことに取り組ませなければならなかったのだ。 

一からなにかをつくり出すような発想ができないのなら、彼らに感謝と支援を。(当たり前のようにすごいことをする人は、たしかにいる。でも、当たり前のようにそれを受け取ることは、決してしてはならない) 

これまでずっと、当たり前のように受け取ってしまったものがたくさんある。『便利だね』『ありがたいな』と呟いて終わらせてしまわないよう、どんなに大変なことだったのかを想像する力をつけよう。

 これはいい台詞。

 

今回の本の13ページにある台詞なんですが

かつての努力だけじゃ手に届かなかった本当の幸福はさ、
君がもう少し大きくなったら手に入る事もあるってこと

 

 

これはもう本当にそう思います。学生時代なんて、知識もないし、お金もないし、資格もないしで自分の知っている世界なんてものすごく狭いんですよね、インターネットなんかで世界の広さを知っていてもそれは知っているだけで、実際に自分で体験しないことには実は本当にはわからないんだ。だからライフネット生命創始者であり、立命館アジア太平洋大学の現学長である出口治明さんがよく言われている『人、旅、本』というのはそういうことなんだと思います。自分の世界を広げるならそうしないといけい、と逆を言えばそれをしてない人は世界が狭いと言えます、それってほとんどの子供に当てはまりますよね、だから子供は狭い世界での価値観しか知らずに、その価値観で決めなくてはいけない。でも、大人になるにつれて、色々学んで、体験して、選択肢の幅が広がるんだ(た、たぶん)。 実際、自分も社会人になってから青春をやり直しているので、それが『かつての努力だけじゃ手に届かなかった本当の幸福』って奴なんだと思います。(ほんとか?)

あ、全然作品の感想をしてない気がするから、しよう。

なんていうか今回はギャグテイストな感じを受ける表現が多いです。まじで、これはなんというか衝撃的でした、春井さんてこういった明るい表現ができるんだ!?って(超失礼)。 それと、漫画演出の仕方(?)が変わったように思います、具体的どう変わったのか?と言うと難しいのですが、フィルムの表現とか、1ページ丸々使ったりとか、そこがいままでと違うように感じます。こちらの表現が良いなって思いました。

主人公の彼は自分のやりたいことを忘れていた。というのは、なんというか心にぐさっと来る。 これは現代人の大事なテーマである『内発性』の話を思い浮かべます。 大人になるにつれて、特撮ヒーローや、漫画の主人公のように、自分は特別な人間ではないことを知っていきます。ですが、特別な人間になれない自分、そして私が私であるということ、特別でない自分を認めることで特別な自分になれるんです。『ネギま!』のネギ君、『青空エール』のつばさ『ちはやふる』の真島 太一などなど。それと『三月のライオン』の島田さの言う

どんなに登りつめても決してゆるまず 自分を過信する事がない 
だから差は縮まらない どこまでいっても

しかし 『縮まらないから』といって それがオレが進まない理由にはならん
『抜けない事があきらか』だからって オレが『努力しなくていい』って事にはならない

 

 

この台詞を思い出します。特別にはなれないけど、でも諦めなくていいんだ、自分なりの特別を目指せばいいんだ。

うん、まとめると今作は春井安子さんの作品の入門としてとても素晴らしい作品であると同時に、いままでの作品の集大成であると思いました。これを読めば春井さんの作品群はなにを言っているのか?という軸がわかりますので。

あとがきに書かれていますが、春井さん寝てください(泣) クリエイターの死因はだいたい寝不足なのを目にしますので、無理をしないでください・・・!

『島とビールと女をめぐる断片』たいぼく著 広い世界を見ることで人は変わる

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こちらは『ブルモーメントの女達』に対するアンサーなのかなと。


三人の女がいるが、明らかにユッコは一歩引いた位置にいると感じる。だからこれはハヤセとフミの二人の物語なんだ。そして、最後にユッコがかっさらうがこれは半年たったことで関係性が変化していることがもろにわかる。まだ読めてないのですが、色々解説を見る限り、恋愛とは上下関係であるとした栗本薫さんの『真夜中の天使』を思い出します。あとは最近だと『かぐや様は告らせたい』でもそうでしたね。


海外に行くまではフミがハヤセの上に立っていた、それは海でフミがハヤセに海外に行くことを打ち明けるシーンではっきりとわかります。(手を上に重ねているところ、ハヤセが告白しようとするところ)


でもこの関係が逆転するのは、フミが海外に行って、『天一』が恋しくて帰ってきたと言っていますが、ハヤセは寂しくて帰ってきたと捕らえることができます。ということはフミは日本にいて、ハヤセはフミに会いたくて帰ってきたと捉えると、上下関係が逆転しているんですね。


もともとはハヤセがフミに翻弄されて、引っ張られる側だったのに、ハヤセが翻弄する側になっている。 自分一筋だと思っていたハヤセが、ネトラレていて、ぐっと手を握りしめている。恐らく海外に行くことで、ハヤセが離れたことがフミにとって、堪えることだったと、離れて気がついたんだ。だから帰ってきたのに(笑)


ここのハヤセが『半年あれば人は変わりますよ』と言って、フミがグッと手を握りしめる、そしてハヤセが「あはっ、 やっと、焦ってくれた」と言う流れははっとした。これって、半年も会わなければ心は離れていけて、そう考えると『NEW GAME』のりんは気持ちを忘れないためにコウに会いに行って、『リズと青い鳥』のみぞれとのぞみは離ればなれになってしまうのだとすれば、会おうとしなければこの二人の心は離れてしまうかもしれないんだ…。どうなるんだろう…。


ちょっと脇にそれたので戻して。 というか、この話を読めば恋愛だったのかそれとも友情だったのか?というのはそんなに変わりがないんじゃないか?と思います。友情と恋愛に違いがあるとすれば、相手を性的に受け入れられるか?というだけに過ぎないと思思えるんですよ。フミとユッコとハヤセが3人で楽しそうにしているのってもう、読んでる側からすれば付き合ってるか??と見えるじゃないですか、だから、友情と恋愛ってほとんど同じ状態なんじゃないの?と。 それと、突発的に旅行に行くって めっちゃめちゃ面白そうじゃないですか?? これが友達なんだっていうのがよくわかるんだ。ここに異性(異性じゃなくても恋愛対象のこと)が入ると楽しそうだなぁって眺めることができなくなってしまうと思うんだ、まぁそれもそれで楽しいんだけど。突発的に青春18切符で旅に出たり、電車のなかでビール飲んだり、全くの無計画だから宿も取ってないから野宿したりとか。。純粋にキャッキャウフフ(死語?)しているのが見ていて気持ちがいい。


『ブルモーメントの娘たち』や『料理教室にギャルの先生がいて嬉しい』でも描かれていますが、たいぼくさんは飯を旨そうに食べるのが物凄く上手いです。旨そうに食べてるから、あぁこの瞬間は幸せなんだってわかる。それと、背景の漫画的な巧さ(?)というのですかね? 背景が絵としてただあるだけじゃなくて、これがあることで物語の精度がグッと上がっているんだ。例えば、電車内、海で遊んでるとこ、軽トラックに乗っているところなどなど。背景がしっかりと描かれていることで、この場所があるんだという実在感があり、物語への没入感を高めているのだと思う。読んでいてこれは素晴らしいなぁと唸りました。


あ、表紙はフミが帰ってきてからの図なのか。

『ブルーモーメントの娘たち』たいぼく著 世界は残酷で美しい。

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読んでいることを前提に書いてますのでネタバレあります!

 

 

 

最初読んだときは二人の女が○してしまったので、それを処理しに行くお話にかと思ったんですが、ラストまで読んでようやく、これが一人の人間の二重人格の話なんだと理解しました。


読んでいて、『さよならの朝に約束の花をかざろう』ででてくる、あのなにもかもを剥奪されたレイリアのことを思い出しました。人が世の中に絶望して、もうどうでもよくなる状況とはこういったものであるだろうと。

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しかし、なぜ彼女は外の世界に飛び出せなかったのか?を考えてしまうのですが、彼女が二重人格であり、そのことに支えられていま生きていると思っていたからではないだろうか?そうすると、父親にも支えてくれる人間さえいればいつかは全うな人間に戻るであろうと信じていたから、父に寄り添うことを選んだのではないだろうか?

母親が見当たらないので、そこにも理由はあるのかもしれませんね


恐らくこの漫画で伝えたかったメッセージは 『私はもしこういうことがあっても、車で一緒にどこにでも行ってあげるよ』ということだと思うのだ。


だから、心が壊れそうなユマに、琥珀が寄り添ってあげるのはそういうことなのだろう


ラストで人生は終わってくれないとある。もし、この言葉が最初の一ページ目にあったら地獄は終わらないのだ、という意味に見えてしまう。だけど、ラストまで読んだ人がこの言葉を見たとき、地獄のなかにも希望を見いだせると思うのだ。


というか、自分は見いだしたい!だって人生とは地獄なのだとしたら生きていることに絶望して、生きたいなんて思わないじゃないですか?たぶんこれって最近自分の心を捉えて離さない作品の『私に天使が舞い降りた』の劇中劇『天使の瞳』でアネモネが愛するものを見つけた時点で人生とはいきる価値があったのだ。という答えをだしている。こちらの作品でも琥珀は彼女を助けますよね、でも、琥珀が彼女を助けたいと思っていないのならば助けないという選択枝もありえるはずなんですよね。でも琥珀は助けます。ちょっと違うんだけど壊れそうな相手を助けるために行動するのは『フルーツバスケット』の龍のエピソードを思い出すのですが、彼は愛する彼女のために行動します。

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琥珀は、ユマを助けます。そしてその後の行動を見ていると、琥珀も彼女の存在が必要だったのだとわかるんですよね。だって、琥珀の行動は明らかにユマが楽しくなるように行動しているんですよ。これって、愛からくる行動だと思うのだ。(琥珀で調べると、石言葉で「抱擁」という風な意味付けをしているようですね) だから、自分はこの物語が『この世界には絶望もあるけど、愛もある。だから生きるにたる』と言っているんだと思うんですよ。 これを書いているときに映画を観に行ったんですが、予告が流れている最中に「あー、これやるんだ観たいなー」って思ったときにハッと気がついたんですが、未来に楽しいことが待っているなら生きることに希望が持てるなということに気がついたんですよ、そう思ったら少し泣きそうになった…。


なにが言いたいかというと、琥珀とユマは車で移動しながらラーメンを食べたり、お寿司を食べたり、かき揚げそばを食べるじゃないですか?そうすると、こんなに美味しいものがあるんだって、気がつくじゃないですか?ということはまだまだ世の中には美味しいものが待ってるんだ!って思いますよね?それって生きる希望になりえないだろうか?と思うんですよね。


ちなみにこれって『ワイドアイズシャット』や『バトルロワイヤル』あと最近やった『缶詰少女ノ終末世界』なんかの作品で語られているテーマである『メンタル(精神)の檻から脱出するなら、フィジカル(身体性)を取り戻せ!!』って奴ですね。どうやら精神と身体は繋がっていて、どちらかが満たされればもう一方も満たされるみたいなんですよね。 だから、精神的に絶望したら、美味しいものを沢山食べて身体の方を満たすことで精神の回復を図るのはその通りだよねって思います。

 

バトル・ロワイアル 上  幻冬舎文庫 た 18-1

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海…、『錨を揚げる』でも海が出てくるけど、なんで海なのだろう?いま思ったのは、海ってのはなんか全てを抱擁してくれそうな感じがあるからなんかなーと、調べれば出てくるんかな…?

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『This Communication』糸洲著 これぞまさにこの方のコアを描かれた作品だと思います。

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自分が糸洲さんを知ったのはバンドリ二次創作の『花園ランド』でした。糸洲さんの作品はとても不思議で、(いま考えると、最初からこれを言っていたのだと解釈できますが)自分はこの方の作品を読んでいて感じたのはこの世界を生きるのに必要なこととは一体なんだろう?ということを言っているのだと思ってたんですね。『花園ランド』や『Neo Fantasy Online ー邂逅ー』で花園たえや氷川紗夜がどういう女の子なのか?という解体を描かれていて、これが人間理解を描かれていたのだと感じます。そして、Twitterであげられている氷川姉妹の暗号漫画とか、たえちさの漫画を観ていたりして、そして今回のこの『This Communication』というタイトルを観て、そうか!なるほど!そういうことだったのか!と気がつきました。


そうか、糸洲さんは人間同士の意志疎通のうまくいかなさを描きたかったんだ!!


そう考ると、いままでの本やTwitterの漫画を見るとどの作品も独特な思考回路を持った人間が、独特のコミュニケーションをとっている作品でそして、受けとる側はその言葉を理解しようとする。でも、いまいち理解が出来ないんです。この、いまいち相手が理解できない、伝えたい言葉が伝わらない。という、ディスコミニュケーション(相互不理解)の話を描いているんですよね。


今回の本ではタイトルからもわかる通り、コミュニケーションの難しさを描いている。この物語の主人公である「良子」は突然不思議な事を言い出す女の子で、それで友達である「しげちー」と「のんちゃん」は、その突然言い出す言葉を理解できたり、理解出来なかったりしています。


こちらの作品では、コミュニケーションを花を育てることに例えていて、物語の登場人物が会話していると花が育っていく描写をされています。会話に花を咲かせるという言葉がありますね、しげちーやのんちゃんは普通に花を咲かせているのに対して、良子は一見、花ではないなにか別の植物のように見えるものを育てている。それをしげちーやのんちゃんは受け止められない、それで良子の植物は枯れてしまう。


ですが、この会話のながれだけをみて「不思議な人との会話って難しいよね?」っていうのはちょっと違うんですよね。普通の会話でも空気を読まないで発言をしてしまうと、受け止められないことがありますよね。


だから不思議な発言をするから、受け止められない、のではなく。
受けとる側にとって受け止められない事を言うのがダメなんだ。


じゃあどうすれば相手にとってダメな発言をしないで済むようになるか?というと、それは相手をよくみて、たくさん喋って、どこにでも着いていって、その人の文脈を理解してあげることなんだと思います、つまりは奴隷になることですね。


でも、本当にそれをする必要があるのかな?本当の友達っていうのは、本音で喋っても受け入れてくれなくても、『理解』はしてくれるのではないか?というのがこの作品の答えなんだと思うのだ。


しげちーやのんちゃんだって、受け止めてくれなくても『理解』は示してくれる。あなたはそう言う人なんだと。
この、「あなたはあなた」ということを理解してくれること。でもこの相手を相手だと理解すること、というのは前提として「自分が自分であること」を持っている、自己承認できている人でないと「あなたはあなた」という理解は出来ないのだと思うけど。


あなたはあなただと理解を示してくれた、しげちーとのんちゃんは『本当の友達』なんだ。この物語が示しているのは不思議な人間が、相手とのコミュニケーションを成立させるためには『本当の友達』を作ることを言っているんだ。

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自分はこれが糸洲さんの集大成になる作品になるのではないか?と期待しています。なぜならいままでの作品がディスコミュニケーションを扱ってるのであるとするならば、こちらの作品でディスコミニュケーションに答えを出そうとしてると思うのだ。そして、その次はどうなるのか?と思うと、それはいまTwitterで上げられているたえちさの漫画を観ていると、次はこれがくるのではないか?と思うのだ。適当な予想というかみたいという願望なんですけど。つまり、会話がすれ違っていても楽しい!というような、自分が自分のまま変わらずに人生を楽しむ物語です。たとえば、『私がモテないのはお前らが悪い!』や『僕の心のヤバイやつ』のような作品ですかね。

 

あ、この自分が自分のまま変わらずに人生を楽しむというのは、物語三昧でよく出てくる『めだかボックス』の球磨川禊のセリフ

あいつらに勝ちたい
格好よくなくても強くなくても
正しくなくても美しくなくても
可愛げがなくても奇麗じゃなくても
格好よくて強くて正しくて美しくて可愛くて奇麗な連中に勝ちたい
才能に恵まれなくっても頭が悪くても
性格が悪くてもおちこぼれでも
はぐれものでも出来損ないでも
才能あふれる頭と性格のいい
上り調子でつるんでるできた連中に勝ちたい
友達ができないままで友達ができる奴に勝ちたい
努力できないままで努力できる連中に勝ちたい
勝利できないままで勝利できる奴に勝ちたい
不幸なままで幸せな奴に勝ちたい!

嫌われ者でも!憎まれっ子でも!やられ役でも!
主役を張れるって証明したい!!

 

petronius.hatenablog.com

 

リア充になれない自分が、どうすればリア充に勝てるのか?ということなのだと思う。

 

kenkounauma.hatenablog.com

kenkounauma.hatenablog.com

『32歳からはじめる青春』蛙山芳隆著 学生時代、青春を送れなかった作者の描かれた、青春を始める本。どんな自己啓発本よりも弱者に寄り添った素晴らしい自伝。

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これを読んで思ったのは、人生のペースが変わりつつあるのではないかな?ということ。『LIFE SHIFT』

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

だとこれからの時代、人は医療の発達で100歳まで生きるだろうという予測が立てられ、そのために100歳までのライフステージを考えようとい本でした。この本が日本で売り出された後から、ちらほらと人生100年時代を生きるために!みたいな言葉を見かけるようになった気がします(それ以前からあったのかな・・・?)。昭和までの人生だと平均寿命は70代までで、そのために10代後半から20代前半までに結婚して、子供を作って、それ以降は大人として40年生きていくというのがライフステージだったんだろうと思います。それが70歳から一気に100歳まで上がったのだとすれば、20代前半までに結婚して子供を作ってという風に急がなくてもよくないか?というように楽観して生きていけるようになったんじゃないかな?と思うんですよね。30年も寿命が延びたのだからライフステージもその分すこし後ろに行くのは当然のような気がします。だから30代でも青春を謳歌していてもいいじゃないですか!30代から青春をはじめてもいいじゃないですか!!と自分は思います。なぜなら自分もいま青春を送っている気がするからです。高校の頃は家に帰ったら一日中ゲームをして、休みの日もゲームをして。という青春を送ってきた自分がいまは社会人になって、お金も稼げて、そして技術として人見知りでも人と話せる術を手にいれて、好きな作家さんの本に感想を書いて送りつけて(毎回怒られないかドキドキしてます)、そんでイベントに行って好きな作家さんに会いに行って話をさせてもらったりと。高校のころ出来なかったことをしています。これは青春を送ってると言ってもいいですよね?(苦笑)


でも、なんで青春を送らなかったのだろう?と思うと、結局、自分は主人公には成れないんだという諦めがあったのだと思う。子供が直面する、自分はヒーローみたいな凄い人間じゃないことに気がついて、そのことに納得して、あきらめながら生きていたのだと思う、どうせ自分は主人公にはなれないのだから頑張らずに生きていこうという感じに。でも、ですね。最近はちょっと考えが変わったんですよそれは色々な物語を観たり、尊敬できる人生の師に出会えたりしたことで(ネットってやっぱり凄いよね)、「あぁ、自分は自分のまま生きればいいのか」って。ですから、最近はオタクである自分を全肯定して、オタクのまま人生を充実させればいいんだ!と思って行動しています。そうすると、いままでなんとなく生きてきたのが、すこしづつ変わって、世界がキラキラ輝いてる気がするんですよ。自分が自分であるということを認められるだけで、人生は変わるんだ(そのためには色々なものに触れることが必要だったり、偶然も必要だと思うのだけど)


だから、こちらの本にあるように「青春するのに、年齢なんて関係ないよ」という言葉に自分は、ものすごく同意します。だって、人生でいまが一番最高に楽しいもの!!


こちらの本にある「一日一変」や「旅の恥はかき捨て」というスタンスはとってもいいなー。確かにこれでもう会わないと解ってる人と話すのは、会うかも知れない人と話すよりかは幾分楽な気がする、実体験的にも。


なんというかな、若い人にこそこの本は読んで欲しいですね。まず、自分と同じような人が居るんだとわかるだけで心が救われると思うし、そして若い時楽しくなくても、生きていれば大人になってから楽しいことなんて幾らでもできるんだ!ということを知ってほしい。


とかとか、思ったりしました。オタクって最高だぜ!(謎のテンション)

『錨を揚げる』ちょめ著 毎日の仕事で疲れきっている社会人はどうにかして休んでください・・・。

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前の記事からの続きです

kenkounauma.hatenablog.com


あ、ネタバレが多少あります。


前の記事でも書きましたが『喫茶フロンテーラ』を読んでからこちらの本を読んだので、最初はおぉ、こっちは『海』か!どんな世界を魅せてくれるんだろうとめっちゃわくわくしながら読んでいたので、全然救われないまま物語が進んでいって、そして22ページからの展開・・・。『喫茶フロンテーラ』のような素敵な景色を視て彼女が救われるのだろうなという展開を想像しながら読んでいたので、もの凄く衝撃的でした。


えっと、内容を簡単に説明すると

今日も終電まで仕事をしていて、海を見たいと思っていたが行く時間も気力もなかった彼女。帰りにふっと立ち寄ったドラッグストアで見つけた地中海の香りが楽しめる入浴剤を購入した。早速使ってみると・・・。 みたいな感じです。


癒しの時間が取れないとどうなるの?

現代の問題点のひとつでもある仕事での過労による自殺や鬱、自分はこれを語れるほどに知識はないですし、実際に自分は社会人ですが、毎日残業続きで帰りは22時過ぎで、家に帰ったら寝るだけみたいな体験をしたことがないので、そういった方が感じている苦痛を感じたことがありません。


こちらの物語の彼女は、そういった生活をしていて、自分には彼女の苦しみを想像することしかできません。ですが、仕事から帰ったら癒しを求めている気持ちはわかります。だから自分は物語を楽しんで、それを癒しにしています。


でも、こちらの彼女はそういった癒しが一切無くて、暮らしている部屋の描写を見ると生活必需品以外になにもなくて、彼女が癒される要素が一切ないことが想像されます。癒しの時間が取れないんだ。そんな、癒しの時間が取れない人が精神的におかしくなっていって、最後は海に辿りついてしまうという表現は、やはり癒しの時間が取れないと人間とはこうなってしまうのだなと背筋が寒くなってしまいます。健康な生活大切です。


ホームから転落する彼女や、海に向かう主人公はおそらく、そうしようと思ってそうしてる訳ではないのだと思う、どこかでみた「死のうと思ってる人は自殺しない、なぜならそれはまだ精神的に持ちこたえている状態だから。末期の人はふっとした瞬間にもうすでに自殺してる」ということなんだろうな・・・。主人公が毎日仕事で追い詰められて、癒しもなくて、最後に向かう場所が海なのはすべての生命の生まれた場所であり、帰りたい衝動があったからだろうか。ここで、夜にみた海は怖いのに、朝日が昇る海をみたときには言葉を無くすほどの光景に驚いてるんですよね、本当に感情が動いたときというのは言葉にならないんだ。そして、ふらっと海の方へ向かう主人公、スマホが鳴って振り返るが電池切れで、もう彼女を引き留めるものが無くなった瞬間。現実に下ろしていた錨から解放された主人公は海に帰っていく、錨を揚げた、いや錨を捨てたんだ。(詩的表現)


海の書き込みがとても細かくて、この世界に、いや海に引き込まれてしまう。綺麗だなぁ。前作(?)の『喫茶フロンテーラ』ではこの綺麗な世界を視ることで主人公の少女は現実を生きる糧にしているのに対して、こちらの主人公の女性も朝日が昇る海という綺麗な景色をみているけど、それが現実を生きる糧になるのではなくて、最後の一線を越えるきっかけになっている。この違いが面白いなーと思う、どちらも綺麗な光景に感動しているのは同じで、それに、たぶんそこに行きたいという気持ちを抱いているのではないかと思う、でも結末が違うんだ。その時の精神状態の違いなのかな・・・?

ベクトルの違う話を描かれている、過去作はどんなのがあるんだろうか?気になる。

 

 

わたてんの記事で書いたけど、

kenkounauma.hatenablog.com

この世で生きている価値があるのか?という問いに答えが出せないと人間は生きている理由を見いだせないで自殺してしまうのではないだろうかと思った。最近こういった仕事で疲れた人が生きる気力を取り戻すみたいな作品をちょくちょくみるので時代はそれを求めているのかな?とも思った『世話やきキツネの千狐さん』や『やさしいヒカリ』『社畜異世界飛ばされたと思ったらホワイト企業だった』『小林さんちのメイドランゴン』などなど。

同人作品だとこちらもそうでしたね

kenkounauma.hatenablog.com

つらいときに救われる方法として描かれるのは仕事とは別の世界を見せてくれることなんじゃないかな?これらの系統が出てくるのはいまの日本人が直面している問題だからかのかなー。その解決方法を見いだそうとしているのはやっぱりクリエイターの方々はすごいなぁと思う。この系統だと、大傑作の『きっと、うまくいく』がめちゃオススメです。

 

あぁ、素晴らしいです。自分が言いたかったことはこの「希望もなく、人とかかわること自体が煩わしい世界で生きる希望を持てますか?」というのはまさにその通りだと思います。

www.youtube.com

『喫茶フロンテーラ』 ちょめ著 背景の書き込みから感じる、世界がそこにあるという感覚。

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先日(令和元年5/12)のコミティアでの戦利品です、立ち読み(?)させて貰い、建物などの背景の美しさに魅せられてこれは素晴らしいものだと自分のなかのゴーストが囁いたので購入しました。

ネタバレが多少あるので注意を。


世界がそこにあるという感覚とタイトルを書いたのだけれども、こちらの作品に描かれている建物や、内装、小物、服装などの様々なものが細部まで描かれていて、美しく感じました。物語というものは人と人の感情や会話で成り立つものだと思っているのですが、そのなかで世界、物語の中の登場人物がどういった世界で生きているのか?という空白の部分を描くことで、登場人物はこういった世界で生きていて、だからこの人はこういった価値観をもっているんだ。という納得感、そして物語への没入感が全く違うものになると思う。例えば『マッドマックス』のような世界で生きている人間がどういう価値観を持つのかを想像してみると、あの世界で生きるのであれば力こそが正義、言葉など無価値。な世界なのではないかなーと想像できる。あ、こちらの作品は全然そういった世紀末な世界ではないです(笑) 

こちらの作品を簡単に説明すると


現代日本のそこそこ栄えているどこかの街。そんなところをぶらついていた女の子が偶然見つけた隠れ家的な喫茶店で体験した、SF(少し不思議)な物語。


なんというか、行きつけの、自分しか知らない喫茶店てものすごく憧れしまう。この憧れはいったいなんなのだろうか?秘密基地をつくる少年心かなー?


こちらの女の子(そういえば登場人物に名前がない)も、ふと見つけた看板に興味を持ち、隠れ家みたいでわくわくすると言っていて、その気持ちわかるなぁと。路地裏には秘密の入り口があって、そこには素敵な場所があった。みたいなことを路地裏を見つける度に想像してしまうなぁ。『猫の恩返し』とか、色々な作品をみてそういうものに憧れを抱いているのかもしれないなー、自分は。


茶店で遭遇した少し不思議な体験

路地裏にある喫茶店、そこで遭遇した不思議な体験。その謎を解いていく流れは、日常に起こった冒険で、平凡な日常を面白くするスパイスとしてとてもいいなぁと思う。

というか、い、いいなぁ・・・、この窓一枚挟んだ向こう側には別の世界が広がっていた。なんていうのはほんとにわくわくする。こちらの作品のタイトルのフロンテーラを検索してみると・・・。


ラストで女の子が証拠として押さえていた写真を消すところは、この喫茶店の謎を解いてみようとか、友達に教えてあげようとか、SNSにあげてバズろうとか思っていたけど、喫茶店のマスター(?)に招かれた場所で視た景色を視て、女の子にとって喫茶店が『不思議な秘密がある場所』だったのが『素敵な秘密のある場所』変化したんだと思う、だから目がもの凄くキラキラしていたのじゃないかな?そして、素敵な秘密のある場所なったここを誰にも教えてあげたくなくなったのだと思うのだ。だから、写真を消したのだと思う。誰かに教えてしまったら、この喫茶店がなくなってしまうような気もするしなぁ。


細部まで描かれた世界

女の子の服装からはお洒落に気をつけているのだろうなと感じられるし、暮らしている部屋からは、この子が独り暮らしをしていて、部屋は綺麗だから几帳面で、でも大きいぬいぐるみがあるから少し温もりが欲しいのかなとか、生活圏内がどんな場所か、マスターの服装、内装とか。背景が細かく丁寧に描かれているから、本を広げた瞬間にその世界がそこにあるんだと感じられて、特に8~9ページはの喫茶店の回りを上から視ているコマがいいなぁと思う。この演出は様々な作品で視るのですが『ペンギン・ハイウェイ』『ドラえもんのび太の月面探査機』『未來のミライ』『ガールズアンドパンツァー』

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でも使われていた演出で、このカメラをどんどん引いていって最後にその世界がどういったところなのか?というのを見せてくれる演出が自分はとっても好きで、世界とは自分(内)だけじゃなくて、外にも色々なものがあるのだという、世界を俯瞰して視る、新たな視点を得られる。なんというか感動するんだ、世界は広いんだって。あとは新海誠監督の作品なんかも世界の綺麗さを感じる作品ですね。

 

とても、良い漫画体験だったなぁ。それと、同時に購入した『錨を揚げる』をこちらの作品のあとに読んで、同じテンションで読んでいたので、こちらの物語はショックだった・・・。こちらの感想は別の記事に。