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『少女☆歌劇レビュースタァライト』 目的のために努力するか、永遠の日常を謳歌するか。それとも···。

 

少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX1

 

revuestarlight.com

大場なな、大場なな。この作品を観たときに自分のなかで一番キラキラ輝いてたのは、大場ななでした。
1-6話までは全然注目していなかったんですが、7話から9話を使ってのななを掘り下げる展開に心を奪われました。見た目も、声もカッコ可愛いですし。日本刀二刀流もカッコよすぎませんか?

ですが、自分のなかで大場ななが先に進めた理由が謎だったんです、9話で純那から「あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない」と言われてななは『なにか』に納得して、みんなでつくりあげた99回聖翔祭「スタァライト」の再演を諦めて、つまり退学していった子を救わない決断をし、みんなが目標に向かって努力することを受け入れたんですが。

この『なにか』がわからない。なぜななは受け入れられたのだろうか?みんなを守ってあげる!と叫んでいたのに。悲しみ、別れ、挫折からみんなを守ってあげたかったんじゃないのかよ!と思っていました。ですが最近になってようやく納得できる答えが自分のなかでだせたのと、友達(勝手に思ってる)へのメッセージと、GLfesで入手した素晴らしい純なな本の感想を書く前段階として、大場ななを書いていきたい。

ネタバレありなのでご注意を


さて、まず最初に大場ななという子がどういう子なのかを説明していきます。彼女は中学時代から演劇をしていたのですが、演劇部員はなな一人だけで、ほかの部員は兼部してもらっていたみたいです。でも、どうやらななは中学時代に劇の公演を行ったことがないようなんです。それはみんな自分の部活が忙しいから、でもなな一人で公演を行うことも可能だったはずです、ですがそれはしませんでした。たぶんななは調和を重んじる子で、波風を立てないようにと努める性格の子だったのだと思います。

それでも大好きな演劇を存分にできるであろう道として、ななは演劇の専門高校への道へ進みます。
そこでななは準主役を勤め、みんなでつくりあげる舞台の楽しさを初めて体感します。次の年もみんなで楽しく、輝く舞台がしたいとななは期待していました。

ですが、2年に進級したとき、クラスメイトの2人が退学したようです。二人が退学した理由はわかりません、ですが専門学校から退学したということは家庭の事情でない限り、それは実力が見合わなかったり、または自分に絶望したりしたということでしょう。

ななが調和を重んじる子で、優しい子であれば2人が退学してしまったことはとてもショックだっただろうと思います。
だからこそ永遠の舞台として、第99回聖翔祭「スタァライト」の再演、まだ二人が退学する前の状態に戻してみんなで舞台を楽しむために。願いを叶えたななは繰り返しのなかでこう言います

『わたしの再演の中にいればなにも怖くない、成長することも、大人になることもない。自分を追い込む苦しみ、新しいものに挑む辛さ、傷ついて道を諦める辛さからみんなを守ってあげる』

と言っています。

これって日常系の物語のことですよね、『けいおん』がいい例だと思うんですが、日常を永遠に繰り返していく普通の、悪く言えば目的のない学校生活をしていこうと言ってるんです。

再演を幾度も繰り返していた、そこに一人の転校生が混じります。神楽ひかり、彼女はななとは逆に成長すること、自分を追い込むこと、新しいことに挑戦していくことをしていく、目的をもって生きている、目的の奴隷となっている子でした。

これは日常系とは逆のスポーツ漫画とかの努力して成長する!といったものを感じます、そうするとななとひかりが戦うことは

日常を謳歌すること 対 努力して成長する

ことのどちらが正しい生き方なのか?を決める戦いであると言えます。

そして勝者はどちらだったか、というと 神楽ひかり でした。つまり『努力して成長する』ことが正しい生き方なのだと言っている、それは大場ななの再演を繰り返したことを否定するような台詞の数々からも読み取れます。

と、言うのは違います。神楽ひかりが勝利したのは『努力して成長する』ことが正しいからではありません。
たしかにひかりはトップスタァになるために勝者になり、他者を敗者にすることが正しいことだと思っていました。ですが愛城華恋と再び出会ったことで華恋と一緒にトップスタァになることが目標になるんですね。

努力して、成長して、苦しんで、友達を切り捨ててやっとの思いでたどり着いたその場所は、なにもない砂漠で孤独の檻だったことが12話で表現されていることからも、そしてその檻から同じ目的をもった友達がたどり着き救いだしたことからも
この作品が言いたいことは成長することじゃなく、(ななが負けたということは)成長を否定することでもなく、友達と一緒に困難な道を行くことだ!と言っているのだと思います。(『宇宙よりも遠い場所』だ!)

 

目的をもって生きることと、友達との関係性を深めることの両方が大切なんです。


さて、大場ななの話に戻ります。ななは再演のたびに『届いたはずなのに、まだ眩しい』と言っています。
これはなにも成長しない、同じ舞台をを繰り返すから、眩しいんですね。同じ場所からでは一生届かないんです。同じ場所からみているかぎりずーっと眩しいだけなんです。だからこそ何度繰り返しても届かない、眩しい。

でも、ななはずーっと同じことをしていたのかと言えばどうやら違うようで

『あの一年がもっと楽しく、もっと仲良くなれるようにって、再演のたびにすこしづつ脚本をいじったり、演出を変えたりした(中略)。だけど、新しい日々は刺激的で、新しいみんなも魅力的で』

と言っています、そしてそれを受けて純那が

『なぁんだ、あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない』『もっといいものに、いい再演に、舞台も舞台少女も変わっていくもの、舞台少女なら大丈夫、だから一緒につくろ、なな。わたしたちで次のスタァライト

そしてななは

『ごめんね、わたし、わたし』

と言って泣き出します。

これ、なにに対して謝っているのかがわかると、ようやく『なにか』についてがわかるんですよ。
謝っている対象は2つあって

1.時間を繰り返して成長を止めてしまったこと

2.二人の退学してしまった生徒に対して

の2つだと思うんです。1は舞台少女のみんなの目的を自分のわがままで止めてしまったこと
そしてこの、2が 二人が退学してしまったことよりも、私は舞台少女として成長する道を選んだことに対する懺悔なんですね。

『なにか』とは大場ななは優しいばななさんではなく舞台少女であったのだと気がついたんです。
ななはこうして前に進みます。どうしても救えないこともある、だけどだからこそ人は残酷で美しい。

 

ふー、どうかな、すこしでも伝わってると嬉しいです。とりあえず『スタァライト』を観てない人は観てね!面白いからさ!これを書くためにまた見直したけど、キャラの人生とか関係性とかがわかって見直すと、もうどのシーンでも泣けるような設計になってて、素晴らしいアニメだったんだなーってなる。

次は本の感想へ。