『魔法の国の豆スープ 4』せん著 人生でもっとも重要なこととは?(2)
前の記事の続きです。
ここからは作品の感想を。ネタバレありなのでご注意を
1,2,3巻の感想はこちらに
始まった瞬間から驚いたのですが、テンテの視点で物語が始まり、そしてハッとしました。そうかこの物語はカルルだけじゃなくて、テンテの物語でもあったのだと気づかされました。
テンテの抱える問題が 『親への依存』 から 『カルルへの依存』 になっていて、それをせんさんはどう解決していくのかを見ていて、人が人に救われるとどうなってしまうのか。というのを見せていただきました。これは『少女☆歌劇レビュースタァライト』の露崎まひるを思い出します。彼女は愛情可憐に見つけて貰った結果彼女に依存するようになりました。
テンテも同じようにカルルに救われた結果、カルルを守るように行動していきました。でも、カルルはテンテに守られていると知り、テンテから距離を取りました。このカルルの行動からは依存はしてはいけないという風に感じました。この依存してはいけないというのは『まおゆう魔王勇者』でメイド姉が自分を救ってくれた魔王と勇者の優しさを振り払って自分で立つことが人間なんだ。という宣言をした物語のようだなと。
メイド姉「運命は暖かく、わたしに優しくしてくれました。
あんなにも優しい言葉を聞いたのは初めてです。
――安心しろ、と。何とかしてやる、と」
103 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2009/09/10(木) 17:42:06.78 id:I7KnzzEP
メイド姉「しかし、みなさん。
貴族の皆さんっ。兵士の皆さんっ。
開拓民のみなさんっ。そして農奴の皆さんっ。
わたしはそれを拒否しなければなりません。
あんなに恩のある、優しくしてくれた手なのに。
優しくしてくれたのに。
優しくしてくれたからこそ。
拒まねばなりませんっ」
ざわざわざわ、ざわざわざわ
メイド姉「わたしは、“人間”だからですっ。
わたしにはまだ自信がありません。この身体の中には
卑しい農奴の血が流れているじゃないかと、
そうあざ笑うわたしも確かに胸の内にいます。
しかしだからこそ、だとしてもわたしは“人間”だと
云いきらねばなりません。なぜなら自らをそう呼ぶことが
“人間”である最初の条件だとわたしは思うからです」
メイド姉「夏の日差しに頬を照らされるとき
目をつぶってもその恵みが判るように、
胸の内側に暖かさを感じたことがありませんか?
たわいのない優しさに幸せを感じることはありませんか?
それは皆さんが、光の精霊の愛し子で、人間である証明です」
この、優しくしてくれた手を拒まなければいけない。依存しないこと、それが人間なのだと。
カルルはこの通り、優しくしてくれたテンテの手を拒んで依存しないことを選んだんですね。でもたぶん、カルルが手を拒んだのは自分の独りよがりではなく、テンテも同じように依存せずに自立してくれると信じていたから。カルルは3年間1度もテンテに会いに行かなかったんだと思っているんですが、もし信じていなかったり、カルル自身がまだテンテに依存していたりしたらこっそり会いに行っていたでしょう、カルルは国に追われていても3年も行方を眩ませられたのだから会いに行くくらい簡単にできたと思うんです、でも会いに行かなかったということはテンテを信じていることの証明ではないでしょうか。
では、テンテはどうなったかというと、3年間カルルを探し続けるんですね、どうやら国が隠している訳ではないとわかってからも。革命派が隠している訳ではないとわかっても。
そんな姿を見てアドゥラムは「無様だ」と告発します。それでもテンテはカルルを探すのをやめない。これはテンテがカルルを信じることができない=一人の人間として尊重するできていないということなんだと思うんですよね。
でも、そんなテンテにとある議員が話かけてきて
君の案は素晴らしい、カルルを使って国を守ろう。というようなことを言うんですね、ここでテンテが気がつくんですね、自分がしているのはこの人と同じことなんだと。カルルを一人の人間として尊重せずに、ただ、自分の存在意義を証明してくれるものとして考えていたことに。
そしてテンテは昔、カルルが空へと連れていってくれた場所に向かい
「私、今までなにを見てたんだろ」
ここでテンテはカルルがいなくても空の色が綺麗に見えることに気がつきました。景色が綺麗に見えるっていいですよね、『スティルライフ』を思い出します。
この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。 たとえば、星を見るとかして。 二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。 水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。 星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。 星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
自分はこれを、自分のなかにある世界と、自分が見ている世界を曇りなき眼で視ること、そうして、世界を感じること。世界と自分を知ること。それが、水の味がわかることなんだ。と解釈しました。
えっと、つまり、テンテはいままではカルルという立派な木があることを喜んで、その木に自分に寄り添っていることだけを、大切にしていて、自分の中の世界しか視ていなくて。世界=カルルは自分を受け入れてくれる容器だと信じて疑ってなかった。でも、カルルが色々な世界をみせてくれていたことがテンテに世界との呼応と調和をもたらしていて、世界には色々なものがあって、そしてそれらは寄りかかっているのではなく、それぞれまっすぐに立っているのだ。ということを感じ取れたのだと思う。テンテは空の色が綺麗であることに気がつきました、つまりそれは、水の味がわかった。のだと思う。水の味がわかるということは、世界=カルルに寄りかかることなく、自らの足でまっすぐに立っているんですね。
そして、テンテはついにカルルを信じて待つことを決める訳ですが
「すごくさみしいんだ」
といっている。これはつまり、カルルを一人の人間として尊重した、ということは自分と他者は別物であるということ認めた。自立ということは孤独である自分を受け入れることなんだと思います。人は孤独を恐れて繋がりを欲するものです、友達や恋人や家族をつくることは孤独を癒すためであると言えると思います。テンテは自立して、孤独である恐怖を受け入れた。だけどそれはなんて悲しいことなのだろう、人間とはどうあっても孤独な存在であると気がついたからだと思うんです。だから悲しい。
しかし、そうだろうか? この作品は人間であるということは、孤独で悲しいことなんだといっているのだろうか?
違うと思います。
ラストの数ページ、これはまた『まおゆう魔王勇者』のメイド姉を思い出します。
メイド姉「だから、思ったんです。
勇者も、一人でなくても良いんじゃないかって。
……すみません。なんだか、何を云えばいいかよく判らなくて」
勇者「勇者の力が欲しかったの?」
メイド姉「いいえ。……むしろ勇者の苦しみを」
勇者「?」メイド姉「わたしにも背負える荷物があるのではないかと。
わたしが流せる血があるのではないかと、そう思いました。
わたし達は、自らの負債を勇者様や当主様に
押しつけているのではないかって。
目には見えないから、実感できないから
罪の意識もなく罪を重ねているのではないかと」
勇者「……」
カルルやニルバは英雄ではありません、だけれども、英雄でなくても、大切な人を助けるために手伝えることがある。
人間とは孤独で悲しいのではなく、自立するからこそ、大切な人を助けることができるんだ!
だからこそ『大切な人が生きているこの世界で生きたい』と言っているんだと感じました。
いやー、なに言ってるんだろうか俺は、支離滅裂で意味不明だと思う・・・。
たぶんこの辺の思考は自分の心の師匠であるペトロニウスさんの下記の記事を読んで頂いた方がわかりやすいと思います・・・。
とりあえず本当に伝いえたいことは「最高でした!一年間おつかれさまでした!」だけです。よい物語をありがとうございました!
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