『Lemuria.』えぬ著 そこにあなたが居るから私は私でいられる
BDP7thで入手したこちらの本なんすが、最初は表紙が綺麗でいいなと思って手にとって、中を見てモカと蘭の異世界物だ!!ってパラ読みしただけでわかる世界観が描かれていて、面白そうだ!と思って購入しました。
本の内容を紹介すると
ネタバレが含みますので、注意してください。
蘭は、目が覚めたらそこは夜で、見知らぬ中世の祭壇のような場所だった。他に誰もいないのかと不安になる蘭だったが近くにモカが居ることに安心した。モカは恐らくこの世界は異世界だろうと推測(根拠に、なぜか魔法が使えることをみせる)。蘭はモカと一緒にこの世界から脱出する方法を探していると、どうやらダンジョンをクリアすることで元の世界に帰れるらしい。元の世界に帰るために二人はダンジョンに挑む。
という、感じで上の方でに書いた【世界観が描かれている】というのは、祭壇と蘭とモカのローブ姿から感じたんだろうと思います。このイメージって祭壇は『灰と幻想のグリムガル』で目が覚めたら知らない場所で、周りにも自分と同じような年代の人たちがいて。というのを思い出すからだと思うし、ローブ姿は『ハリーポッター』とかの魔法を使う人っていう幻想の人たちを感じるからだと思う。この異世界観のイメージを最初に受けたあとに、ラストで蘭が現代の僕らが見慣れている風景、ビルとかの高層建築物がならぶ風景を見て
「ただいま」
っていう台詞に、あぁいつもの日常に帰ってきたんだなぁっていう『帰ってきた』という安心を感じました。これは『マブラヴ』でもなんでもいいんですが『非日常』を体験することで自分がいつも退屈だと思っていた『日常』が実はとても大切なものだったんだと知る。という奴です。
こちらの物語のなかで、蘭とモカが体験する異世界での非日常、そこで蘭はモカがどんな状況でもいつも通りのマイペースで居ることに安心感を得るという描写があるのですが、自分はそれをみて
なるほど!!!!!そうか!!蘭にとってモカは帰るべき原点なんだ!!!
っていうことに気がついたんです。なにを言っているのかというと、アフターグロウの第2章でモカは自分だけが成長していない、成長する情熱がないことに気がついて、蘭がもう助けてあげなくちゃいけない存在じゃなくて、自分よりも先を行っている存在なんだってことに気がついて、これからは蘭の後ろ姿を見守ろうという風に気持ちが変化しているんですよね。
ということは、モカは蘭よりも成長していないと見えていました、自分は。だから、公式のストーリーでモカをどうするんだろう?と思っていたのですが、こちらの本を読んで、そうかこういう方向もあるんだな。って驚きました。
モカが『蘭より成長していない自分』という問題を解決するためには、モカが成長する以外ないよね?って思っていたところに
すでにモカと蘭は対等だったんだということをこちらの本で提示されていたんです。なにを言っているのかというとこちらの本の台詞にある
蘭「あたし、モカを見ていると安心するよ いつも通りで、どんな世界でもモカは変わらないね」
モカにとっては変わっていない自分、成長していない自分と成長している蘭を比較して、成長する情熱のない自分に折り合いをつけて蘭の背中を見守ることを決めたのに
蘭にとっては、どんな状況でもいつも通りでいるモカを見ることで安心できる。つまり、変わらないモカを見ることで蘭は自分の原点を見つめ直すことができるんだと言っているんだと思うんです。夕焼け空を見るのと同じように。
だから、蘭にとってモカは変わっていないことが重要なんですよね。それって、変わってない自分に嘆いているモカにとっては救いなんじゃないの?と思うんです。だって、蘭にとってモカが変わっていないから、モカが変わらないでいてくれるから蘭は蘭でいられるんです。
ってこちらに本の読みながら思ってね?もう、えーーーん!!(号泣) 蘭ちゃんにそう言われることがモカにとって救いじゃんーー!!これを書いた えぬさんすげーよーー!!って感動しました。やっぱり物語を書く人は凄いですね、先に進むための答えを考えている。素晴らしいなぁ。
ここからは、本の内容に関係ないんですがあとがきを読んだあとに『貫く闇、青薔薇の誇り』を読んでみたら、ガルパでは蘭とモカがどうなったのか?が展開されていて、やべぇ!!ってなりました。ちなみに自分は、公式か非公式かってのは自分はどうでも良くて、面白ければそれが正義だと思うので、どっちが正解とかそういうのはどうでもいいです。
『貫く闇、青薔薇の誇り』はあこちゃんのカッコいいの原点を探すストーリーで、一見あこちゃんが主人公のようにみえるのに、実は一番このストーリーで成長したのはモカですよね。モカはあこがカッコいい憧れている好きな人の背中を追いかけて行きながら、真似をするのではく、カッコいいところを自分なりに解釈して、それを自分のなかに取り込んで、自分の思い描くカッコイイ自分になろうとしているあこちゃんの姿を見て気がつくんですよね。それは自分と蘭の関係に似ていることに。アフロ2章で蘭みたいにはなれないけど、カッコイイ蘭を見ていたいから後を追いかけるよとネガティブに捉えていたのが、あこちゃんを見て、
あぁ、そうか。カッコイイ背中を追いかけていても成長することができるんだ。
って気がつくんですよね。だからモカは蘭の背中を追いかけることにします。今度は『追い付けないけど追いかける』ためではなくて、『追いかけることで、成長して蘭の隣に立つ』ために。そう、モカは自分が成長できることに気がついたんだ。これって『1518』の第46話美春の冒険 を思い出すのですが、美春はいままで上手くやって、無駄なことには取り組まない人間だったけど、それだと今の自分から変われないことに気がついんだんだと思うんですよね。だからいままでの自分だったらやらないことに対したときはそれをやることにしています。それが、彼女にとっての成長するための冒険。美春もモカのように情熱のない人間で、だけど、楽しそうに冒険している人をみて自分もそうなりたいと思えているんです。つまりですね、情熱がないんだったら、情熱のある人間を見ればいいんだと思うんですよね、それは『ラブライブ!』のほのかちゃんでもそうだと思うし、『宇宙よりも遠い場所』のしらせでもそうだと思うのです。自分の実体験的にもこうやってブログを書いているのは、楽しそうに物語の物語を語っている人たちの情熱を知ったからですしね。
モカちゃんは楽しそうに冒険しているあこちゃんを見て、自分も冒険してみようと一歩を踏み出しました。追いかけることはなんにもネガティブなことじゃないんです、人ってのは最初は真似から入るわけですから。モカはもう追いかけることをネガティブに捉えずに、肯定的にとらえます。それは『貫く闇、青薔薇の誇り』の後にある『フラワー・ジューン・ブライド』の蘭☆2のエピソードで、蘭が店に花を観に行くと言っていて、それにモカもついて行くと言っているけど、モカは嬉しそうについて行くって言ってるんですよ。だからモカはもう蘭のあとを追いかけることに対して肯定的に捉えているんだと思うんです。
いやぁ、すげぇなぁ!もうすでにモカの悩みは解決されていたんだなぁ!!!ガルパのこの関係性を日常のなかで積み上げていくのは本当に凄い。つまりこれって、僕らは永遠に物語を語ることが出来るんだって言っているんだと思うんだ。そして、これが出来るのは2人だけの関係性で終わらずに、多数の人間のとの関わりあいのなかで僕らは生きている、群像劇だからなんだ。永遠に日常をループしなくても、時が進むだけで関係性に広がりが出るんだ。そして、バンドリというコンテンツが『関係性』を描く物語であるとすれば、それは一生を描くことができるんだと思う。例えば部活ものだったら優勝すれば終わりだし、友達がほしい物語なら友達が出来たら終わりだし、竜退治の物語なら竜を退治すれば終わるけど、『関係性』の物語は時が進むだけで物語になるのであれば、一生終わらずに描くことができる。もはや歴史を描くレベルだよね。
とまぁ、熱が入りすぎて変なことを書きましたがこちらの御本『Lemuria.』が大変面白かったからだということで!