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『カレイドスター』 佐藤順一監督  最強とは? その場所は孤独なのか?

カレイドスター~10年目のすごいBlu-ray BOX~豪華版

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紹介されて観た作品part2です。ありがとうございます、2003年のオリジナルアニメ、『おじゃ魔女ドレミ』『セーラームーン』のなどを作られているかたなんですね、それらの作品をちゃんと観たことがないのでこれがちゃんと観る監督の作品になるので、いったいどういった物語を描くのだろう?とわくわくしながらみてました。観終わったいま、この作品がこんな感動する場所に連れてきてくれるとは思いもしませんでした。

 

 

カレイドスター』は26話までが前編であり、後編では新たなる翼編の2編で構成されています。前編では『苗木野そら』の成長とトップスターである『レイラ・ハミルトン』との絆の物語が描かれています。実はこの物語を観ていてうーんって引っかかっていた部分があって、なにか新しく成長しようとしたとき基本的に努力と根性で解決しようとするんですね、これはいまの時代ではなかなか受け入れにくいのではないかな?と思います。現代の物語は『帯をギュとね!』『ベイビーステップ』『アオアシ』などなど様々な物語がありますが、これらの物語は『特訓』だけをすることを否定していますす、怪我をしないような練習方法とか、考えて練習するとか、効率的な練習方法を取り入れるなど、努力と根性で乗り切るといった『巨人の星』などの時代にあった非効率的なやりかたが否定されています。これは現実のスポーツがそもそもそうしないと勝てないからです。

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カレイドスター』では一世代前の、『努力さえすれば、努力は人を裏切らない』という風に言っていると感じてうーん・・・ってなりました。実際に前編のラストでレイラは幻の大技と言われる困難な技の習得に挑戦し、その途中で怪我を負ってしまうがそのことを隠し続け、本番での演技を最後に怪我が原因で舞台を引退しなければいけなくなります。レイラさんが年齢的に先が無いのであればここでリタイアしてもそれは有終の美、最後に燃え尽きたのだなと納得が出きるのですが、まだ彼女は18~19歳くらいの前途ある若者です。その若者の夢を絶つような物語を自分は肯定できませんでした。ですが、これが後編である『新たなる翼』編の最終回である51話を観たときに、この努力と根性の物語がすべてこのラストに繋がる伏線だったのだと気がついたとき、ものすごい衝撃を受けました。この作品の真のテーマは『最強とは?』だったのだと自分は感じたんです。

 

『最強とは?』
このことは『刀使ノ巫女』の主人公である『衞藤かなみ』は剣術バトルが好きな子で、だけどラスボスを倒したとき、彼女と同等の実力を持つ人間が居なくなった。つまり自分よりも強い相手が居なくなり、最強の存在になりました。果たしてかなみは自分よりも弱い相手との剣術バトルを楽しめるのか?という疑問が浮かんだんです。

kenkounauma.hatenablog.com


この記事で最強の孤独を解決するのは、『自分に本気で向き合ってくれる人間がいることだ!』という答えを自分は出したんですが、でもそれだと孤独を解決することにはなるけど、自分の本気を出せる相手がいないという問題が解決されていないんですよね。それが、『カレイドスター』を観て、そうかそういうことか!と新しい発見がありました。

 

なえぎのそらは『新たなる翼編』に入ると、いままで目標であったレイラが居なくなり、自分の進むべき道を見失います。道を見失いながらも実力のあるレオンについていこうと必死になって特訓を行いながら自らの実力を高めていきます。そんな折り、レイラさんが出場し優勝した大会に出場することになったそらでしたが、彼女はこの大会で重要なことに気がつきますね、勝つために演技をするのは私のやりたいことではないということに。そして、自分が目指すべき道は幼い頃に経験した笑顔になれるステージを作ること、誰も争わないステージを作ることが新たな目標となります。そのために『天使の技』という技が必要であると知り、特訓をし、身に付けます。そしてステージで『天使の技』を披露することで観た人の心を揺さぶり、誰も争わないステージを作ることに成功しました。

 

そらが天使の技を披露する前に憧れの存在であったレイラから、どちらがステージに立つことが相応しいかを競おうと提案されます。
ここでそらはその勝負を受けるんですよね、争いがいやで争いのないステージを作ることを決意したのに。でもこの勝負は本質的には勝負ではなかったから受けたんだと思います。

 


この『天使の技』というものが憧れであったレイラでも完成させることのできなかった技であり、そらにしか習得出来なかったことからそらがレイラよりも実力のある、しいて言えば最強の存在になったんだと思うんです。先に書いた『最強の孤独』という問いを自分はここで思いました。『自分に本気で向き合ってくれる人間』はそらの仲間達がそこに当てはまると思う。では『自分の本気を出せる相手がいない』という問題は?というと、

 

そんな問題はなかったんだ!!

 

ということに気がついたんです。ラストでそらは一人誰も追い付けないような輝かしい演技をし、人々を魅了しています。であれば彼女は誰も同じレベルの相手が居なくて孤独を感じていてもおかしくないと思うんですが、そうじゃないんですよね。そらはキラキラしてて、もの凄く楽しそうに演技をしています。そう、楽しそうに演技をしているんですよ!!

 

なぜ楽しそうなのか?というとそらにとってステージでお客の反応をみて技を披露することが最上の喜びなんですよ、誰よりも優れてる私を観て欲しいとかそういう勝負をしているのではなく、純粋にステージでお客に楽しくなって貰えることが楽しいんです。そらが最強だったとしても最強じゃなかったとしても、やることは同じなんだと思うんですよ、それは

 

『お客に楽しんでもらうこと』です。

 

『自分の本気を出せる相手』というのは自分自身なんです。そうすることでそらはお客を楽しませることのできるステージを作ることができる。最強であってもそらがやることは変わらないんです。

 

なんというか『HUNTER×HUNTER』のネテロ会長を思い出したんですが、会長は感謝の正拳突きを1日1万回行い、気がついたら最強の武術家になっていた。というエピソードがあるんですが、会長は別に最強になりたくて正拳突きをしていたのではなく、当然のように正拳突きをしていたら最強になってたんです。この『なってた』というのが重要だと思うんです。

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話を『カレイドスター』のそらに戻して、そらも最強になりたくて天使の技を習得したのではなく、楽しませる方法はなにか?を考えた結果そこに行き着いたわけです。だから会長にとっての正拳突きが、そらにとってはお客をたのしませること。当然にやることなんですね。

 

そらは当然にやることをやっていたら最強になってた。しかもそれが自分のやりたいことをやっていた結果そこにいた。最近読んだ『アオアシ』でプロのその先を目指している栗林という選手がいるんですが、彼が目指すのはその時代の顔の選手になりたいということ、サッカーと言えば自分の名前が上がるような選手になりたいということでした。うまく言えないのですが、最強になる人間というのは最強を目指した訳ではなくて、目指しているものの過程で最強になってただけなんだと思うんですよね。うまく説明できないな・・・。

アオアシ(1) (ビッグコミックス)

そらが本気でステージをやっていればその姿をみて憧れた子供がそらやレイラと同じようにそらのあとを追いかけてきてくれると思うんです、そしていつかレイラがそらの壁になったように、そらも誰かの壁になる日がくる。でもそのとき、それは勝負ではなくてお互いに本気でやることこそが重要で、そのあとの結果は重要ではないんです。だって、そらは人を楽しませるステージを作ることがあたりまえのことなんだから。

 


『努力と根性の先にたどり着いた場所は?』
ラストでそらがとても楽しそうに演技していて、それをみた観客達も心が震える。という風に自分は感じたわけですが、ここにたどり着くまでに、怪我をするかもしれない特訓という演出が必要だったのだと思います。努力と根性の先に物語の主人公が得ようとするものって部活ものだと全国大会で優勝するとか、1番になるとかそういった、人が決めた物指しのなかでの喜びを得るためであると思うのですが、そらはそうではないと思います。そらが努力と根性の末にたどり着いた場所は誰にも負けない演技だとか、周りから恐れられる実力だとかそういった実力者ゆえの孤独という場所ではなくて、楽しくてやっていたらいつのまにかたどり着いてたんです。このいつのまにかたどり着いてたというのがとても重要なんだと思うんですよね。いまの時代のリア充というと自分は『ゆるキャン△』の志摩リンだと思っているんですが、彼女はソロキャンさえやっていれば人生が充実しているんですよね、野クルに勧誘されても彼女が部に入らないのは技術が違うからなんだと思うのですが、つまり志摩リンは楽しいことをしていたらいつの間にか他とはレベルが違う場所にたどり着いてたんですね。別に誰よりもうまくなろうと思っていた訳じゃないんだと思うんです。

ゆるキャン△ 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

そらがたどり着いた場所も楽しくてやっていたらいつのまにか天使の技を習得できるレベルにいただけなんだと思うんです。努力や根性という過程があったけれども、最終的にたどり着いたところは、楽しいからやっている というだけなんですよ。

 

ラストのシーンを観ていたらそう感じて、この物語が努力と根性で終わらずにその先、楽しいからやるというところい辿り着いていてとても感動しました。そうか、最強の存在は孤独なんてそもそも感じていなかったんだ。だってそれをやっていれば楽しいんだから、その場所は充実している場所なんだと気がついて、そうか、最強は孤独じゃないんだと自分のなかにあったテーマが解決しました。

 

 

うーーーん!!自分でも全然うまく説明出来てない気がするから伝わってるかわからないんですけど、まぁとりあえずこれが感想ということで。紹介して頂き本当にありがとうございました!!