『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと』石川博品著 あなたの夢はなんですかって残酷な質問なのかもしれない。
これは『鉄血のオルフェンズ』と同じものを感じた。鉄血のオルフェンズの子供たちはなにもなすことができなまま、志半ばで倒れていった少年たちの物語であった、それを『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと』も同じ構造をしているとおもう。
あ、決してパクリだ!とか言いたい訳じゃなくて、共通点を挙げて、時代の認識がこうなんだなぁというふうに思いたいだけですので。
『鉄血のオルフェンズ』についてはこちらの解説が素晴らしいの是非。(というかこちらで解説されていることをベースに書いてるくらいなので)
主人公である蒼は夢がない、夢とかやりたいこととか軽々しく言っている連中を軽蔑してすらいる。そういう考えになるのは周りの大人たちが「なにかやりたいことはないのか?」「将来なにがしたいんだ?」「夢はなんですか?」とかって聞かれたり、見たりしてきたから、夢がないと人生生きている価値がないのか?という疑問を持ち始めたからですよね。そして、夢なんて大抵叶わないことを僕たちは知っているし、親世代だって夢を叶えた結果がいまなはずはないのだから、子供はそれをみて本当に夢を持つことが幸せになれる条件なのか?と疑問に思うことはあたりまえだと思うです。
そんな彼でも、自分の世界をメチャクチャにされたときにようやく自分の生きていた世界が好きだったのだと、平穏な毎日を送ることが夢だったのだと気がつくことができるんですね。それって、鉄血のオルガやミカなどの鉄花団の少年たちがたどりついた答えと同じなんですよね。
その戦いのさなか、蒼は一人が気楽で好きだったのが他人と一緒に死線を乗り越えるという経験を通すことで、誰かのために生きることの喜びを知る。
これが、少年の成長物語だと、蒼の夢がかなって魔骸は殲滅されて、地球に平和になって、好きな女の子と幸せに暮らしましたとさ。みたいな物語になるんだと思うのですが、そうはならない。
魔骸は地球に友好的な異星人だったから地球の政府は彼らを受け入れたし、好きな女の子は死んでしまったし、彼は地球を救った英雄ではなくて、異星人との友好を許さないテロリストとして認識されてしまう。
これって、まさに鉄花団が辿った末路と似ています。
でも、なにも報われなかった蒼が生きてきた人生は無駄だったのか?を問うのがこの物語で重要な部分だと思う。
その答えは、エピローグで沙也のモノローグで語る
それでも、その病にかからなければ成しえないことがあるのだと沙也は思う。 何かになりたいという夢は、選択の結果ではない。そのようにしか生きられなかった。大剣を振るい、異形の者たちと戦うという夢、幼馴染のハルカと大冒険をするという夢、すこし翳のある能力者の少年と戦いをとおして心を通わせあうという夢──そんな子供じみた夢が叶うとわかったら、そこに飛びこむしかなかった。 後悔はない。たとえ生まれかわったとしても同じ夢を見るだろう。
この物語の序盤で蒼は夢よりも大切なことがあると言っているのだと思うのですが、夢というのは将来なにになりたいとか、やりたいとか、そういう、形のないものではなくって、沙也が語っているように
夢中になれることをしているときが人生が輝くとき
と言っているのだと思うんです。
だから、物語の途中で死んでしまった「ワイルドファイア小隊」のみんなも、セカイを救うことのできなかった蒼も、夢中になれることをしていた(たとえそれが選択肢がない状態で選んだことだとしても)人生は、決して無駄ではなかった、いや、輝いていたと言えるんですね。
つまり、夢とはなにか?というとこの物語で感じたことから言うと
夢中でやれること
のことなんだろうなと。なにかになりたいとか、やりたいとかじゃなくて、いま夢中になってできることが夢になる。
これって『宇宙よりも遠い場所』で示された、とくに将来やりたいこともない、なりたいものもない人間はどうすれば人生が充実しますか?という疑問にたいしてのアンサーで、夢中で行動している人と一緒に行動すること。ということと同じですよね。うーん、やっぱりいまの時代的に、やりたいことがない、夢がないっていうのは共通の認識なんだなぁって。
石川博品さんの作品は『ヴァンパイアサマータイム』とか『先生とそのお布団』とかも面白いでおすすめです。一押しなのは『メロディ・リリック・アイドル・マジック』です。