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『すみっこの空さん』たなかのか著 世界を感じることとセカイを想像すること

 

 

ストーリー

ご主人の絵本作家と一緒に田舎に引っ越してきたカメのプラトンは、そこで空さんという女の子に会いました。これは大きな世界のすみっこで、空さんとプラトンが哲学するお話です。

引用Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%AE%E7%A9%BA%E3%81%95%E3%82%93

この物語のテーマは題名にも書きましたが

世界を感じることと、セカイを想像すること。

だと思います。


感じること、想像することとは、池澤夏樹さんの『スティルライフ』から抜粋します。


この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。


世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。


きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。


でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。


大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並びたつ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。


たとえば、星を見るとかして。


二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。


水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。


星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。


星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。

 

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

 

 


ここで言っている、外の世界(=世界)と、きみの中にある世界(=セカイ)との間に連絡をつけることが、作中に出てくる空さんの役割なんです。


夢破れて地元に帰ってきた絵本作家の青年、この青年は自分の絵本が売れなかった=自分のセカイは誰かの世界のためにならなかったことに、現実に打ちのめされてしまいます。

そんな、青年のことを「神さま」と呼ぶ、お隣に住んでいる、この春から小学生になる「空さん」。彼女がなぜ青年のことを神さまと呼ぶのか?というと、空さんの家で飼っていた鳥がある日突然居なくなってしまい、どこに行ったのかを家人に尋ねると「お隣の家で預かってもらってるんだ」と言われます。ですが空さんは鳥が死んでしまったのだと言うことを理解していて、そして生物が死んだら「天国」に行くのだということも知っていました。なので、そこに住んでいる青年のことを「神さま」と呼ぶんですね。

でも、青年は自分は神さまなんていう、凄い存在ではないことを知っているので困惑してしまいます。そんな神さまに空さんは、神さまの家にある庭からの景色を見せてあげます。

空さんにとって、その景色は自分の内にあるセカイで想像した天国同じくらいに綺麗で輝いている光景だったんですね。だから彼女にとって天国みたいなところに住んでいる青年を神さまと呼ぶ。

この、見える世界(現実)を自分のセカイ(想像)にしていくことが大人になるにつれて難しくなるのに対して、子供の空さんはは世界とセカイの連絡をつけることが簡単にできるというこを表しているんだと思うんですね。

つまり、なぜ絵本作家として売れないのか?を考えたときに、神さまは世界とセカイの連絡ができなくなってしまい、それを子供に伝えることが出来なくなってしまったから、子供に届かない(売れない)作品しか作れなくなってしまったのだと思います。

なので、この作品が意図するテーマはなにか?というと空さん(子供)の視点で世界を視て「世界を感じること、セカイを想像すること」で、再び生きるための動機を獲得していく物語なんだと感じました。


このテーマはたなかのかさんの作品である『タビと道連れ』『恋の撮り方』にも共通するテーマだと思うので、この作者さんの伝えたいことはそこなんだろうなと思います。

 

タビと道づれ 1巻 (コミックブレイド)

タビと道づれ 1巻 (コミックブレイド)

 

 

恋の撮り方(1) (電撃コミックスNEXT)

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そもそも世界とセカイの連絡をつけることが一体なんのためになるのか?なんですが、それはこの世界を幸せに生きるためにすることなんだと思います。


作中のエピソードで言うと、空さんの従姉妹の夕ちゃんは高校生でこれからの進路を考えていくときに、なにものでもない自分に悩んでいて、それはこのなにもない田舎に住んでいるからだと考えているんですね。


四方を山でに囲まれた箱の底のようなこの場所から抜け出して——
しばらく山を下っていくと水平線が見えてくる

世界はこの小さな円のなかで完成していて、テレビに写るものも、学校で習うことも書割を破ったら全部嘘なんじゃないかと思っていた頃、私のハガキがラジオで読まれた。

救われた嘘じゃないんだと思った。私の世界とラジオの向こう側の世界は確かに繋がっていて、私はこの世界にちゃんと居る。

だから水平線がみたいと思った。水平線はここじゃないどこかへ行けるという、この世界のどこかに私の居場所があるという可能性だ。

すみっこの空さん1巻 命題6 地平線

ここじゃないどこかに私の居場所があると彼女は信じている訳ですが、それ全く同じことを思っていたのが青年の神さまでした。

青年は実際に水平線の向こうまで行ってきたけれども、水平線の向こうにあったのは「自分の居場所」なんてものはなくて、あったのは「そのまた向こうに広がる水平線」だった、どこに行ったってダメな自分は一緒だよ。と。


これを聞いて思い出すのは岡田麿里さんの『空の青さを知る人よ』に出てくる大スターになることを夢見て都会に出た彼ですね。

 

 


さて、ではならばどうすればよかったのか?をこの作品ではどのように解決したのかというと、7巻 命題47


地球は丸い。つまり、いま自分が居るところは世界のすみっこではなく、

世界の中心でもあるってことなんだ!


と、高らかに宣言するんですね。これは大変素晴らしい気づきだなと思いました。
世界の中心であるならば水平線の向こう側はいままさに居る場所で、なにもないと思っていた場所は、誰かにとってはみたこともない場所なのだから、そここそが特別な場所だったんですね。それに気がついた夕ちゃんから見える地元の景色は、もはやみなれた風景ではなく、色鮮やかなキラキラとした風景として写ります。

これこそが、世界とセカイの連絡をつけることなんですね。いままで見てきた何もないと思っていた景色が、心の目を開いて見ることが出来たときに世界は色鮮やかに輝いて見えるんです。もし、これができない状態で田舎を飛び出したとしても、いままで見ることのできなかったものが見える可能性は限りなく低かったと思います。その結果は神さまと同じことになるでしょう。

いやぁ、しかしほんとに素晴らしい。この作品を読んでいると、自分の生きている世界にはこんな見方があったのか!!という気づきに溢れていて、ことあるごとに読み返していきたいですねぇ。


作中では、ずーっと空さんが世界とセカイの連絡をつけることを補助してくれていましたが、成長するにつれてそれが出来なくなってしまいます。それはいろいろな現実を知っていくことで、想像する余地がなくなってしまうからです。そんな空さんを助けるのが神さまっていうのが本当にいいですよね。一人じゃ世界とセカイの連絡をつけることは難しいから、誰かの助けが必要なんですねぇ。

 

いやぁ、面白かった。この作品では「世界とのつきあいかた」を描いていて、前作『タビと道連れ』では「人とのつきあい方」を描いてました。そんなたなかのかさんが次に書いているのが『こいぐるみ』という、お仕事もの。人と場所両方ともを描くってことなんだと思うんですけど、どうなりますかね?

 

こいぐるみ : 1 (アクションコミックス)

こいぐるみ : 1 (アクションコミックス)

 

 

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