『響 -HIBIKI-』 ルールや価値観を決めたのは誰?
原作漫画が面白かったなーという思い出と、ここ最近漫画原作の邦画が面白いという話を聞いていたので観てみました。
漫画を読んでいた当時、どこがおもしろかったのか?を考えた時って、彼女が自分を曲げないで行動しているからかなーと漠然と思っていたんですが、今回映画を見てもやっぱりそこが面白かった。
鮎喰響は高校1年生で、自分が悪くないと思ったときは、絶対に自分を曲げないで行動をするんですね。
喧嘩を売られたら、絶対にやり返す。暴力を振るわれたら暴力で返す。などなど。
で、ここでこの女の子だいぶ性格がヤバいなって思うし、社会に出たら絶対にうまくいかないだろうなと思ってしまう。映画でも、周りの大人は彼女の行動を諌めようとする。
だけど、響に殴られたほうは自分に非があったことを最終的には認めている。相手が女子高生という、自分よりも弱い存在だと思っているから、殴り返されないと思っているから、殴ったに過ぎないんですよね。
それ以外でも、響の価値観にそぐわない言葉は訂正したりする。
彼女は、自分の中にある価値観を大切にしている。
これは、最近読んだ漫画の『戦隊大失格』2巻のセリフ
「わからない、何が間違いで何が正しいのか、誰か教えてくれ」
「ずっと誰かの正しさに乗っかってしまっていた」
「でも、自分が正しいと信じています」
この、「ずっと誰かの正しさに乗っかってしまっていた」を読んだ瞬間に衝撃的だったんですよね。
そうか、ここ最近の漫画はこれを言いたかったのか!!って思ったからなんですよね。
響に出てくる鮎喰響以外の登場人物は、人生を生きていくなかで身に着けた、暗黙のルールに従って生きています。つまりは、自分で考えたルールではなくて、誰かがいつの間にか決めたルールを信じて、それに乗っかって生きている。
響は、そんなルールは誰が決めたの?私の価値観は私が決めるという意思をもって行動している。
これは、『踊る大捜査線』の青島も同じものを持っていることを彼の先輩刑事である和久さん(いかりや長介さん!)が指摘していて、その時の言葉が
あいつは心の中に自分だけの法律を持っている(うろ覚え・・・)
で、響も同じように心の中に自分だけのルール(法律)を持っているだと思います。
原作漫画を読んでいたときにこれに気が付かなかったのは、タイトルに 小説家になる方法 とあったからなんだと思います。この漫画は響が小説家になることがゴールなんだなと思っていたんですね。
だけど、今回映画のタイトルには 小説家になる方法 この部分がなくなって、ただの 響 だけになったことで、これが響という人間がどういう人間なのか?ということに着目して観れたことによって、気が付くことができました。
どうしても、響が素晴らしい感性の小説を生み出した天才小説家ということに目が行ってしまいがちですが、その才能があるから響は自分の価値観を貫き通しているわけではなくて、その才能がなくても貫き通しているはずです。だって、小説の出来をきにしてはいるけども、世間的な評価なんて気にしてませんし。
だけど、自分の小説が面白いかどうかは気になるし、友達もいらないとは思っていないところがいいなと思う。人間離れしている才能や、絶対に自分を曲げない強さがある一見人間離れしたなにかのように感じてしまうけども、人間の少女なんですね。
いま原作者が連載中している『龍と苺』もこの自分の中にあるルールを守っている女の子が主人公で、作者さんは理不尽なルールとか、なにげなく弱者を虐げる行動をとる人間を許さないんだなーって思います。
いやぁ、面白かったな。原作に忠実な映画化で、どこがこの作品の伝えたいところなのか?がはっきりと描かれている素晴らしい映画化でした。