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『ウマ娘 プリティーダービー season2』本気で生きることへの挑戦

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ちょっと所要で最近までアニメが観れてなくて、今日ようやっと溜まっていたアニメが観れました。

 

あ、ここからはネタバレを含みます。

 

 

 

いま、12話を見終わったあとなんですけど、いやぁ今期はこんな展開になるんですねぇ。
一期でもサイレンススズカが怪我で引退か!?という展開がありましたが、今期はトウカイテイオーメジロマックイーンの二馬が骨折と病気による引退を迫られるという、、、トウカイテイオー
が骨折から復帰してまた元気にレースに挑む!と思っていた矢先に、また骨折してしまいもういままで通りには走れないということを悟る。という展開に心がダメージを受けて、でも、トウカイテイオーの意思はメジロマックイーンが継いでくれる!と期待していたところに、腫瘍で走るのは無理になってしまう、、、。なんで、こんなにも視聴者の心を折るような展開がされているんだ、、、!!と思ってしまうのですが、でもこれって実際にあったことなんですよね(泣)

 

youtu.be

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観ていて考えていたのは、最近の自分が好きな作品の傾向は『本気でやる』をテーマにしているものなのですが、これは『アオアシ』の23巻の巻末にある、アオアシ作者さんと同じサッカー漫画『Days』の作者さんの対談にある言葉で、これを読んで、おぉ!なるほどなぁ、最近自分が好きだなと思っていた作品に共通しているテーマはこれだったのか!ということがわかって目から鱗だったんですけど、『ウマ娘』も本気でやるをテーマにしていると思うんですよね。本気でやっているから、怪我や病気で挫折せざるを得ないとなったら絶望してしまう。これで思い出すのは『1518!(イチゴーイチハチ!)』の主人公、公志朗くんですね。1518!傑作なので是非。

アオアシ(23) (ビッグコミックス)

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本当は、なんでいま『本気でやる』ことが受け入れられているのか?ということを説明しないといけないんですが・・・。それを語るのにちょうどいい作品があって、エヴァンゲリオンっていうんですけど(笑)

 

つい先日、シン・エヴァを観てきたのですが、エヴァってシンジくんや、その他のキャラクター達がいくら頑張っても必ずバッドエンドに向かってしまっているんですよね。これは『物語三昧』のペトロニウスさんの記事を読んで欲しいのですが、自分が理解してることで簡単にいうと、日本の高度経済成長が終わって、いままでは努力と根性をつぎ込めばちゃんと見返りはあった時代が終わり、次の世代が努力と根性をつぎ込んでも、前世代のような結果が得られなくなった、頑張っても無駄だということなんだと理解してます。

 

そして、そのあとにアンチ・エヴァと言われる作品ができてきてーとか色々あるみたいなのですが、そのへんははしょって。いわゆる『日常もの』という作品が出てきて、そのなかでも『けいおん!』が変化の始まりだったんじゃないかなと。これは『部活もの』と呼ばれていて?みんなでわいわい部活をやってるのって楽しいよね!って感じの作品なんですけども、そのあとに出てくる『響け!ユーフォニアム!』に出てくるレイナが「死ぬほど悔しい」というんですね。え!?部活って、みんなでわいわい楽しくやってたら楽しいんじゃないの!?と思っていたところに、この台詞が出てくるんですよね。これは当時観ていた自分にとって衝撃的だったのですが、たぶんこのころから本気でやるって楽しいんだ?ということを意識した瞬間だったんだと思います。でも、ただ一人で孤独に突き進むと失敗することはエヴァを見ていればわかります。

 

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では、何が必要なのか?というと、『絆』とか『ライバル』なんだと思うんです。

 

(エヴァで失敗してたのは、そこに依存してしまってはダメだ!という強い想いがあったからだと思います)

 

ウマ娘1期では、スペシャルウィークサイレンススズカの二人が主人公になって、いて、その二人が困難と思われる相手、怪我を乗り越えていく姿がとても感度的で眩しかった。それができたのは、スペシャルウィークサイレンススズカのライバル心と絆があったから乗り越えられた。もちろん他のみんなも大切。

 

そして、今期はトウカイテイオーメジロマックイーンの二人。努力だけではなんともならないであろう、奇跡を起こすしかない状況に陥る。

 

奇跡っていうとシン・エヴァを思い出すのですが。エヴァの設定ってようは人類vs使徒で、これはどうやら、知恵の実をもたらしたリリスと、生命の実をもたらしたアダムの対決で最終的には知恵の実の生物、人間側が勝利した訳ですが、勝利した理由は、人類側が最後まで諦めずに考えて考えて考えて行動した結果、奇跡を起こしたんだと思います。

bibi-star.jp

それが人間という存在に与えられた武器なんですね。ゲンドウとシンジくんの最後の戦いで、二人の対決は暴力による解決には意味がないと示しました。なぜならば、これはどちらが強いかで正しさがきまることではなく、違う人間だから考え方が違って、正しさもそれぞれにある。ようは、納得ができればそれでいいんですよね、勝ちとか負けとかではなく。

 

なので、トウカイテイオースペシャルウィークが奇跡を起こすのであれば、それは人間に与えられた武器を使って、考えて考えて考えて奇跡を起こすのか、それとも、勝ち負けではなく、納得が示される展開になるのではないかな?と思います。

 

さて、もうすでにテレビ放送では13話が放送されているみたいなのでどうなったのか?は示されているんですが、いま時点で自分はまだ観てないのでどうなるのかワクワクが止まりませんね!

 

これから観ます!

 

『へやキャン△』『SPECIAL EPISODE サウナとごはんと三輪バイク』 ひとりでも、ひとりでなくてもいい。

へやキャン△ [Blu-ray]

ゆるキャン△のスピンオフ作品『へやキャン△』の円盤に特典として収録されているものが1日限定で各動画サイトにて配信されていたので、見ました。これはコミックス10巻に収録されているエピソードを映像化したものですね。『へやキャン△』でりんちゃんがあまり見れなかった分を存分に堪能できます。

ざっくり内容を説明すると、りんちゃんが使っているバイクを整備点検に出した代わりの台車として、三輪バイクが貸し出された。キャンプに行こうと思っていたりんちゃんは、父に提案で三輪バイクを使うことにした。みたいな感じ。

 


これ、観ているとりんちゃんがひとりでキャンプをしているのが、楽しそうだなーと感じられると思うんです。

ゆるキャン△』は友達と一緒にいなくても繋がっていることが、りんちゃんとなでしこの関係を見ているとそう感じられます。それは友達と一緒にいることこそが楽しいこと、友達と一緒にいないと人生楽しくないよというリア充的な感覚、友達がいる"からこそ"人生は楽しいわけじゃないんですよ。

りんちゃんがひとりでキャンプをしているところを見て、つまらなさそうだったり、可哀想だったり、淋しそうには全然見えないですよね。
どうみても、『ひとりで』しているキャンプを楽しんでいます。


最近読んだ『湯上くんには友達がいない』の湯神くんは、自分のやりたいことが明確でやりたいことに使う時間で手一杯で、友達との関係に時間を割く余剰はないんですね。でも、湯神くんの行動を見ていればそれで十分毎日を楽しく生きていると感じられるんですよね。だけど、それは友達や仲間が必要ないと言っているわけではなくて、最終話で彼は「宇宙人を見つけて、宇宙で孤独な地球人のために友達をつくる!」と言っています。これは尊敬する落語家の平楽から「友達や仲間は宝だ」と言われたことを考えた結果至った結論なのですが、湯神くんは友達が必要ないと言っていたのに、なぜここでいきなり「友達をつくりたい」なのかと言うと、それは、ちひろちゃんの存在と自分を題材にした落語を聞いてその結論に至ったのだと思うんですよね。

落語を通して、自分の状況を客観的にみて、どうやら隣にちひろちゃんがいると楽しいことの幅が広がるようだぞ?と

隣に人がいることの楽しさを認めたのだと思うのです。友達なんていらないとことさらに拒絶するのではなくて、友達がいてもいいし、いなくてもいい。だから選択肢がない状況から選択肢を増やすために『宇宙人』なんだと思います。

湯神くんには友達がいない (16) (少年サンデーコミックス)

 

あ、最後にひとつだけ!

16巻の湯神くんが言うロシア語、なんて言ってるのかわかんなくてスルーしてたんですけど、いま調べてみたら

 

Ты много значишь для меня. 

トゥイ ムノガ ズナーチショ ドゥリャ ミニ

なたは私のとても大切な人です

 

まじかよー!!告白してたのかよー!湯神くん可愛すぎるよ!!

 

脱線しました。


えっと、湯神くんもひとりでいても全然大丈夫なんですよね、楽しく過ごしています。ひとりぼっちでいることはなんにも寂しいことじゃないんですよね。

 

友達が欲しいと言ってた『僕たちは友達が少ない』、友達なんていらないと言っていた『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』などの作品があったときから、いまはもう友達はいてもいいし、いなくてもいいに物語が収束していて、あぁ、物語を書く人たちは先に進んでるんだなと思います。

 

映像でみるとそれが客観的に見れて、りんちゃんが楽しそうにソロキャンしているのがハッキリとわかるので、原作10巻に収録されてるエピソードですが、アニメでも観ることを是非おすすめします!

ゆるキャン△ (10) (まんがタイムKR フォワードコミックス)

 

『はがない』『俺ガイル』ってもう10年前の作品なのか...。 

『放課後ていぼう日誌』 実体験を通してのアニメーションでの体験に感動します。

teibotv.com

 

 熊本県芦北町が舞台らしい。背景が綺麗で、海の景色とか、山の光景とかもうそれだけで心が打たれるんですよねぇ。
海の近くで仕事をしていた時期があるんですけど、そこで見ていた海と堤防の光景、それなめの山の光景を思い出すというか。
実際に体験したことのある風景をこうやって映像作品でみると、うまく言えないんですけど、いいんですよ。感動します。

『カレイドスター』 佐藤順一監督  最強とは? その場所は孤独なのか?

カレイドスター~10年目のすごいBlu-ray BOX~豪華版

www.gonzo.co.jp

紹介されて観た作品part2です。ありがとうございます、2003年のオリジナルアニメ、『おじゃ魔女ドレミ』『セーラームーン』のなどを作られているかたなんですね、それらの作品をちゃんと観たことがないのでこれがちゃんと観る監督の作品になるので、いったいどういった物語を描くのだろう?とわくわくしながらみてました。観終わったいま、この作品がこんな感動する場所に連れてきてくれるとは思いもしませんでした。

 

 

カレイドスター』は26話までが前編であり、後編では新たなる翼編の2編で構成されています。前編では『苗木野そら』の成長とトップスターである『レイラ・ハミルトン』との絆の物語が描かれています。実はこの物語を観ていてうーんって引っかかっていた部分があって、なにか新しく成長しようとしたとき基本的に努力と根性で解決しようとするんですね、これはいまの時代ではなかなか受け入れにくいのではないかな?と思います。現代の物語は『帯をギュとね!』『ベイビーステップ』『アオアシ』などなど様々な物語がありますが、これらの物語は『特訓』だけをすることを否定していますす、怪我をしないような練習方法とか、考えて練習するとか、効率的な練習方法を取り入れるなど、努力と根性で乗り切るといった『巨人の星』などの時代にあった非効率的なやりかたが否定されています。これは現実のスポーツがそもそもそうしないと勝てないからです。

ベイビーステップ(1) (週刊少年マガジンコミックス)

カレイドスター』では一世代前の、『努力さえすれば、努力は人を裏切らない』という風に言っていると感じてうーん・・・ってなりました。実際に前編のラストでレイラは幻の大技と言われる困難な技の習得に挑戦し、その途中で怪我を負ってしまうがそのことを隠し続け、本番での演技を最後に怪我が原因で舞台を引退しなければいけなくなります。レイラさんが年齢的に先が無いのであればここでリタイアしてもそれは有終の美、最後に燃え尽きたのだなと納得が出きるのですが、まだ彼女は18~19歳くらいの前途ある若者です。その若者の夢を絶つような物語を自分は肯定できませんでした。ですが、これが後編である『新たなる翼』編の最終回である51話を観たときに、この努力と根性の物語がすべてこのラストに繋がる伏線だったのだと気がついたとき、ものすごい衝撃を受けました。この作品の真のテーマは『最強とは?』だったのだと自分は感じたんです。

 

『最強とは?』
このことは『刀使ノ巫女』の主人公である『衞藤かなみ』は剣術バトルが好きな子で、だけどラスボスを倒したとき、彼女と同等の実力を持つ人間が居なくなった。つまり自分よりも強い相手が居なくなり、最強の存在になりました。果たしてかなみは自分よりも弱い相手との剣術バトルを楽しめるのか?という疑問が浮かんだんです。

kenkounauma.hatenablog.com


この記事で最強の孤独を解決するのは、『自分に本気で向き合ってくれる人間がいることだ!』という答えを自分は出したんですが、でもそれだと孤独を解決することにはなるけど、自分の本気を出せる相手がいないという問題が解決されていないんですよね。それが、『カレイドスター』を観て、そうかそういうことか!と新しい発見がありました。

 

なえぎのそらは『新たなる翼編』に入ると、いままで目標であったレイラが居なくなり、自分の進むべき道を見失います。道を見失いながらも実力のあるレオンについていこうと必死になって特訓を行いながら自らの実力を高めていきます。そんな折り、レイラさんが出場し優勝した大会に出場することになったそらでしたが、彼女はこの大会で重要なことに気がつきますね、勝つために演技をするのは私のやりたいことではないということに。そして、自分が目指すべき道は幼い頃に経験した笑顔になれるステージを作ること、誰も争わないステージを作ることが新たな目標となります。そのために『天使の技』という技が必要であると知り、特訓をし、身に付けます。そしてステージで『天使の技』を披露することで観た人の心を揺さぶり、誰も争わないステージを作ることに成功しました。

 

そらが天使の技を披露する前に憧れの存在であったレイラから、どちらがステージに立つことが相応しいかを競おうと提案されます。
ここでそらはその勝負を受けるんですよね、争いがいやで争いのないステージを作ることを決意したのに。でもこの勝負は本質的には勝負ではなかったから受けたんだと思います。

 


この『天使の技』というものが憧れであったレイラでも完成させることのできなかった技であり、そらにしか習得出来なかったことからそらがレイラよりも実力のある、しいて言えば最強の存在になったんだと思うんです。先に書いた『最強の孤独』という問いを自分はここで思いました。『自分に本気で向き合ってくれる人間』はそらの仲間達がそこに当てはまると思う。では『自分の本気を出せる相手がいない』という問題は?というと、

 

そんな問題はなかったんだ!!

 

ということに気がついたんです。ラストでそらは一人誰も追い付けないような輝かしい演技をし、人々を魅了しています。であれば彼女は誰も同じレベルの相手が居なくて孤独を感じていてもおかしくないと思うんですが、そうじゃないんですよね。そらはキラキラしてて、もの凄く楽しそうに演技をしています。そう、楽しそうに演技をしているんですよ!!

 

なぜ楽しそうなのか?というとそらにとってステージでお客の反応をみて技を披露することが最上の喜びなんですよ、誰よりも優れてる私を観て欲しいとかそういう勝負をしているのではなく、純粋にステージでお客に楽しくなって貰えることが楽しいんです。そらが最強だったとしても最強じゃなかったとしても、やることは同じなんだと思うんですよ、それは

 

『お客に楽しんでもらうこと』です。

 

『自分の本気を出せる相手』というのは自分自身なんです。そうすることでそらはお客を楽しませることのできるステージを作ることができる。最強であってもそらがやることは変わらないんです。

 

なんというか『HUNTER×HUNTER』のネテロ会長を思い出したんですが、会長は感謝の正拳突きを1日1万回行い、気がついたら最強の武術家になっていた。というエピソードがあるんですが、会長は別に最強になりたくて正拳突きをしていたのではなく、当然のように正拳突きをしていたら最強になってたんです。この『なってた』というのが重要だと思うんです。

HUNTER×HUNTER モノクロ版 28 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

話を『カレイドスター』のそらに戻して、そらも最強になりたくて天使の技を習得したのではなく、楽しませる方法はなにか?を考えた結果そこに行き着いたわけです。だから会長にとっての正拳突きが、そらにとってはお客をたのしませること。当然にやることなんですね。

 

そらは当然にやることをやっていたら最強になってた。しかもそれが自分のやりたいことをやっていた結果そこにいた。最近読んだ『アオアシ』でプロのその先を目指している栗林という選手がいるんですが、彼が目指すのはその時代の顔の選手になりたいということ、サッカーと言えば自分の名前が上がるような選手になりたいということでした。うまく言えないのですが、最強になる人間というのは最強を目指した訳ではなくて、目指しているものの過程で最強になってただけなんだと思うんですよね。うまく説明できないな・・・。

アオアシ(1) (ビッグコミックス)

そらが本気でステージをやっていればその姿をみて憧れた子供がそらやレイラと同じようにそらのあとを追いかけてきてくれると思うんです、そしていつかレイラがそらの壁になったように、そらも誰かの壁になる日がくる。でもそのとき、それは勝負ではなくてお互いに本気でやることこそが重要で、そのあとの結果は重要ではないんです。だって、そらは人を楽しませるステージを作ることがあたりまえのことなんだから。

 


『努力と根性の先にたどり着いた場所は?』
ラストでそらがとても楽しそうに演技していて、それをみた観客達も心が震える。という風に自分は感じたわけですが、ここにたどり着くまでに、怪我をするかもしれない特訓という演出が必要だったのだと思います。努力と根性の先に物語の主人公が得ようとするものって部活ものだと全国大会で優勝するとか、1番になるとかそういった、人が決めた物指しのなかでの喜びを得るためであると思うのですが、そらはそうではないと思います。そらが努力と根性の末にたどり着いた場所は誰にも負けない演技だとか、周りから恐れられる実力だとかそういった実力者ゆえの孤独という場所ではなくて、楽しくてやっていたらいつのまにかたどり着いてたんです。このいつのまにかたどり着いてたというのがとても重要なんだと思うんですよね。いまの時代のリア充というと自分は『ゆるキャン△』の志摩リンだと思っているんですが、彼女はソロキャンさえやっていれば人生が充実しているんですよね、野クルに勧誘されても彼女が部に入らないのは技術が違うからなんだと思うのですが、つまり志摩リンは楽しいことをしていたらいつの間にか他とはレベルが違う場所にたどり着いてたんですね。別に誰よりもうまくなろうと思っていた訳じゃないんだと思うんです。

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そらがたどり着いた場所も楽しくてやっていたらいつのまにか天使の技を習得できるレベルにいただけなんだと思うんです。努力や根性という過程があったけれども、最終的にたどり着いたところは、楽しいからやっている というだけなんですよ。

 

ラストのシーンを観ていたらそう感じて、この物語が努力と根性で終わらずにその先、楽しいからやるというところい辿り着いていてとても感動しました。そうか、最強の存在は孤独なんてそもそも感じていなかったんだ。だってそれをやっていれば楽しいんだから、その場所は充実している場所なんだと気がついて、そうか、最強は孤独じゃないんだと自分のなかにあったテーマが解決しました。

 

 

うーーーん!!自分でも全然うまく説明出来てない気がするから伝わってるかわからないんですけど、まぁとりあえずこれが感想ということで。紹介して頂き本当にありがとうございました!!

『響け!ユーフォニアム』『響け!ユーフォニアム2』 特別じゃない人間と特別な人間なんて本当にいるの?

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黄前久美子は1期で語られている「本気で全国に行けると思ってたの?」にこの子の全てが集約されていると思う。

 

自分のやっていることが、将来に結び付くのか?という疑問があって、部活をやっている人間は本当にプロになれるとか、そうじゃなくても試合に勝つとか、コンクールに入賞するとか、そういった目標を掲げてはいるけれども、本当にそれが達成できるなんて思っていないんじゃないか?と思います。というか、これは自分の実感として、スポーツ少年だった自分もなんとなく大会で優勝するっていう目標を掲げていたけど、でも実際に優勝できるなんて思ってなかったです。だから久美子の言う

 

「本気で全国行けると思ってたの?」

 

この言葉を発する気持ちがわかってしまいます。では、逆に言うとなぜ「全国になんていける訳がない」のか?それは、本気で部活をやっていたとしても、分かっているからなんですよね、自分には才能がなくて、自分より上手い人間はたくさんいて、この分野では自分は特別になれない。という想いを抱いていていたからです。優勝するために部活をやっていても心のどこかでは「全国なんていけるはずない」と諦めているんです。

 

1期では、このどこか冷めた、黄前久美子高坂麗奈の『特別になる』という情熱を知り、自分も特別になりたいと音楽に対する情熱を、ひいては人生を生きる情熱を持つ物語でした。


では、2期はどういった物語だったのか?というと、1期で焦点を当てていたキャラを観ると『黄前久美子』『加藤葉月』『中川夏紀』『中世古香織』このキャラたちの共通点はなにか?と言うと、『特別な人間ではない人たち』なんだと思うんですよね。

 

この『特別ではない人たち』が、人生の情熱を取り戻していく、特別な人間に劣らない人生を歩もうともがく物語だったのではないかと思うのです。

 

そうすると2期で焦点を当てられるキャラ達をみると『鎧塚みぞれ』『田中あすか』『滝昇』『高坂麗奈』このキャラ達の共通点はソロパートを任せられるほどの実力者であるということ、吹奏楽部的に言えば『特別な人間』であると言えます。つまり、1期では『特別ではない人間』側の物語を、2期は『特別な人間』側の物語をやっている。これ、なにを意味するかというと、才能のある人間と才能のない人間の対立構造を解体する物語なんだと思うんです。

 

1期で語られた特別ではない人間側の物語では、才能のない自分がどうすれば情熱を持って人生を生きていけますか?という問いがなされます。でもこれって、極端に言うと才能さえあれば情熱をもって人生を生きていけたのに!と言っているんですよね。

 

それを、2期では、じゃあ、才能のある人間はなにも苦悩を抱えずに生きているの?ということに答えたんだと思うです。『鎧塚みぞれ』も『滝昇』も『田中あすか』も『高坂れいな』もなにも事情を知らない人間からすれば、好きなことで実力を発揮できる、なにも苦悩のない人間のようにみえていると思います。でもそうじゃないですよね。

 

『鎧塚みぞれ』はオーボエのソロを任せられるくらいの実力者です。でも彼女は中学生の頃は一人ぼっちでいる子で、その時に話しかけてくれた『傘木希美』を自分を見つけてくれた、自分の存在理由を与えてくれたとして認識します。ですがその希美が部活をやめる時に自分に声をかけずに辞めていったことを知ってショックを受けます。彼女がオーボエのソロを任せられるくらいの実力者であるのは、希美に再び見つけてほしいからでした。でも、それとと同時に希美から、あなたは私にとって必要な人間ではないということを言われてしまうのではないかと恐怖しています。彼女がコンクールが嫌いだという理由が、他人によって順位を決められてしまうからなのですが、これは自分と希美の関係性のことを指しているからなんだと思うんですよね。希美にはたくさん友達がいて、自分はそのたくさんの友達のなかの一人であって、1番ではない、たくさんの中から順位をつけられているように感じていたからなんだと思います。才能を持っているように見えたみぞれは、わたしを見つけてくれた希美への執着と恐怖を抱えて生きている人間だったんだと語られます。

 

『滝昇』は部活勧誘時点ではとても全国に行けるような実力を持っていなかった吹奏楽部を、全国へと導いた実力の持ち主です。ですが、彼は奥さんを亡くし、すぐに立ち直れた訳ではありませんでした。立ち直れた理由ははっきりとは明言されませんが、恐らく亡くなった奥さんの夢であった『母校で副顧問になって全国で金賞をとる』という夢を叶える機会が訪れたから立ち直れたのではないかと思うんです。ですから彼が吹奏楽部を全国へと導いたのは、みんなのためでなく、自分の奥さんの夢を叶えるためだったんです。滝先生は奥さんがもうこの世にはいないという苦悩を抱えて生きています。

 

田中あすか』は副部長ではあるが、実力は部内でトップである実力者。しかし時折見せる冷徹な一面もあり、彼女は自分達とは違う特別な人間なんだと一歩線を引かれている。ですが、あすかは特別な人間なんかではなく、感情の持った普通の高校生であることが描かれます。彼女は『ずっと好きなことを続けるために必死だった。だから廻りをみていつも思ってた。わたしは遊びでやってるわけじゃない、ひとりで吹ければそれでいいって』と言っています。彼女が好きなことを続けるために必死で生きていたんですね、母親から認められないと楽器を演奏し続けることができないから。だからあすかもなんの苦悩もなく音楽をしているわけじゃないんですよね。 あすかが音楽を続けている理由は母親への対抗心からだっただろうし、それだけじゃなくて、父との繋がりを感じるためにユーフォを吹いていたんだと思う。河原で言う「わたし、自分のことユーフォっぽくないなってずっと思ってたんだ」は自分ではユーフォが好きなわけじゃなくて父との繋がりを感じるために演奏していると思っていたんだと思う。

 


こうして2期では執拗に才能があると見えた人間だちの様々な苦悩を描いていきます、才能さえあれば楽しく生きていけるということを否定していきます。小笠原春香があすかが親の問題をあっけらかんと解決しないことに対して『がっかりかな。わたしどこかで特別でいて欲しいと思っているのかもね』と言います。これはまさに、

 

あの人が特別なのは自分とは違って特別だからで、特別ではない自分が特別になれないのは仕方のないことなんだ。

 

と言っているんですよ。あの人は特別だから、自分が特別になれないのは仕方のないことと言って自分のことを納得させているんですね。だから特別だと思っていた人が、自分と同じ人間だと困っちゃうんですよ、だってそうすると特別だと思っていた人間が実は普通の、自分と変わらない感情を持った人間なんだって解ってしまうから。特別な人間なんていないんだと解ってしまうからです。自分が特別になれないのは自分のせいだと解ってしまうからです。

 

だからこの物語は特別じゃない人間と特別な人間を解体する物語なんです。

 

これは『俺の青春ラブコメはやはり間違っている』のリア充に見えて毎日楽しそうに見えた葉山くんが実は、仲間内の人間関係に気を使っていたり、本当に自分のしたいことに対して一歩を踏み出せない人間あることが描かれ、非リア充であるヒッキーが自分が傷つくことを恐れずに行動する様をみて、憧れを抱くという、リア充と非リア充の解体を描いた物語を思い出します。

 


響け!ユーフォニアム』は自分がなにものであるのか?を問う物語だったのだと思います。それは田中あすかが部活に復帰した理由を考えるとそうなんじゃないか?と思うんですよね。

 

あすかは部活をやめる気でいたのは、自分の『全国で父に自分の演奏している音を届けたい』という夢に付き合わせた罪に対する罰だからと考えていたからなんだと思うのですが、それに対して久美子が言うんですね、「先輩のユーフォが聞きたいです」(=あなたの演奏が好きです)だから戻ってきて欲しいと。

 

これはあすかにとって衝撃的な言葉だったのではないだろうか、彼女は自分の演奏が他の部員よりも上なのはそれにみあった練習をしているからだという自負があっただろうし、廻りからも上手いと言われることに対して当然だと思っていたんだろうと思います。でも、最初の説得では心が動かなかったんですよね、それは「みんな」が帰ってきてほしいという、「集団」の意見という全くあやふやなもの、それって誰が言ったの?というものだったからですね。だから、久美子が「わたしが」という、個人の意見になるとそれは信じられるんですよね。そして久美子から上手いではなく、あなたの吹く音が好きだと言われ、『響け!ユーフォニアム』では演奏をしている人間の精神が演奏に影響を与えるという描写をされることがあります、だから「先輩のユーフォが聞きたいです」(=あなたの演奏が好きです)と言われたら、それはあなたの内面が好きだと言っているんですね。

 

あすかは母親から演奏について否定されて生きてきました、それが久美子によって肯定されるんです。あすかにとって演奏することは自分を表現する手段だったのだろうと思います。それを肯定してくれたということは、自分のことを肯定してくれたということなんですよね。そして、その肯定は本当は家族から欲しかったものだったんだと思います。だから、部活に帰ってきたときにあすかは「ただいま」と言い、そして久美子から「おかえりなさい」と返されるんですね。

 

あすかは自分は自分のままでいていいんだと肯定して、部活に復帰したのだと思います。

 

この辺のあすかが語らない想いは、他のキャラを使って表現されていたんじゃないかなーとも思う。例えば、4話でみぞれに対して優子が

「誰が好き好んで嫌いな奴と行動するのよ!(中略)同情?なにそれ、みぞれは私のこと友達と思ってなかったわけ?部活だってそう、本当に希美のためだけに吹奏楽続けてたの?あんだけ練習して、コンクール目指してなにもなかった?(略)」

この台詞、あすかにも当てはまるし、13話で滝先生が言う

「実を言うと少し自信がなかったので嬉しかったです、自分のやりたいことを押し付けてばかりで、皆さんには好かれていないと思っていたので」

これは、あすかの気持ちを代弁しているんだと思います。


ユーフォでは頑張れる人間達が描かれます、でもそれは彼女達が特別だからではないんです。どんなに特別に見える人間でも苦悩を抱えて生きているんです。そして、その苦悩を、トラウマをどうすれば乗り越えられるのか?というと「好きなことをやる」ことなんだと思います。久美子も、麗奈も、あすかも、みぞれも、滝先生だってそうです。好きなことをやることが、この現実生きるに足る活力を与えてくれることなんだと思います。

 そして『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』へと物語は続く

kenkounauma.hatenablog.com

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『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 その先になにが待つのか、楽しみじゃない?

 

anime-eupho.com

観ていて現代日本の文脈を感じる素晴らしい作品でした。
現代的な疑問としての『頑張った先になにがあるの?』というテーマを扱っていてとても良かったなーと思う。

日常ものがたくさんあった時代にあった、疑問だったのだと思う。だから『けいおん』のような頑張らないで、いまこの瞬間を友達を楽しむ。というものが人気であったのだと思う。でもいつまでも成長しないのはどうなんだ?という疑問もあったのではないだろうか?

それが『よりもい』で描かれたように、南極に頑張って行く少女たちが描かれて、頑張っていても友達をつくることが可能で、やっぱりきらきら輝くためには頑張っている時なんだという風に感じたのではないかな?

だから『誓いのフィナーレ』では頑張って、上手くなりたい。というただそれだけの理由が動機という。でもそれになんの意味があるの?という疑問に答えを出していて、それは悔しいと思えるほどやることでそれは自分はやりきった、やったんだという自信に繋がるといっているんだと思うのだ。自信のない、自己承認出来ていない人生が嫌で、人は異世界に転生したくなるみたいですしね。

だから、自己承認ができる自分をつくる、人生を充実して生きるために、好きなことを頑張るれるんじゃないかな?

色々と下に書きましたけど、言いたいことはこんな感じですね。


ここからはネタバレありです。

 


キャラごとに思ったことを書いていくと。

緑と月島は、月島の即落ち2コマ

れいなと久美子は久美子が抱える問題には手を貸せないので今回は関わりが少な目な印象。
れいなを頼る場面は今後3年になったら実力になやんで、己をちゃんともって立っているれいなを見て、自分のことを見つめ直すことができる存在だと思う。

修一と久美子。久美子が1年の後輩と修一が仲良くなっているというのを見てモヤモヤしているところから久美子も修一のことは好きなんだなと見てとれる。

それと、修一が大人だなぁ、と思ってしまった。以外と無欲の人間なのかな、と思っていた修一が久美子にキスをしようとするシーンはあぁ、ほんとに久美子が好きなんだ、と感じられるシーンでした。その優しさに久美子は甘えたのだと思う。

これは久美子は修一が自分選ぶのだという自信を持っている。修一なら自分を選んでくれると思っているから久美子は一旦わかれようと切り出す。そしてその修一はおそらくそんな久美子の気持ちを汲み取っているのだと思う。だからすんなりと受け入れたのだろう。普通のカップルならもっと引き留めるのではないだろうか?

それをあっさりと受け止めた修一はとても大人で、久美子はズルいなーと思う(笑) 3年になったらどうなるかなー。

ただ、久美子が一旦別れようと言うのはなるほどなぁと思いました。ユーフォは楽器を演奏するときによく考えてとか、精神の状態によって演奏の質が変わるというような描写が出てきたように思うのですが、そう考えると、これから忙しくなる久美子が修一のことを考える余裕が無くなる可能性があると考えると、別れるという選択をとったのだと思います。


久石 奏と久美子。

この、奏が問いかける、頑張ってどうするんですか?という疑問はとても素晴らしいなぁと思った。

これは久美子が中学生の頃に感じて、でもそれをれいなが否定する。これは1期の話だったかな、物語三昧で語られている文脈を参考にして考えると、『けいおん!』で描かれた、あずにゃんは、ぬるい場所で平凡に生きていくか、それともプロを目指して成長をするか?という問に『けいおん!』では友達との平凡な毎日を選んだんですね。これは時代的に努力して勝ち残っていくのに疲れた、高度経済成長が終わって、努力してもその先にに待つのは成長の見込めない、奴隷のように働かされる未来しか待っていないのだから、成長するよりも、友達と穏やかに過ごしていくことが幸せだよねという結論がだされたのだと言える。

そして、じゃあ友達とわいわいやるのが楽しいってことは、友達ががいないと人生楽しくないの?つまりリア充と呼ばれている人間になるしかないの?という疑問があって、『僕は友達が少ない』や『やはり、俺の青春ラブコメは間違っている』という作品が出てきたのだと思います。はがないの結論は彼女はいらないから友達が欲しいという結論になり、俺がいるではリア充だって苦労していて、むしろ非リア充のほうがうらやましいよ、とリア充側から言われるという、結果陽キャも影キャもどっちも苦労があるよ、という結論に至りました。でも、ここで発見したのは自分の趣味をやっているときに同じことをしている友達がいるのは楽しいよね、ということはかわらないということは残ったんですね。

それが最近になって、『宇宙よりも遠い場所』で目的をもって、さらに友達との関係性を深めることが人生に充実をもたらしてくれるのだという、どちらも大切なのではないか?という風な結論がだされました。

とすると、ではどうすれば目的を見失わずに生きていけるのか?モチベーションを維持できるのか?という疑問が出てきたのではないのかな?と思う、だから今回の映画では頑張ってどうするんですか?なぜ頑張れるんですか?という問に答えを求めたのだ。この問にたいして、ユーフォで出された回答は、久美子が語る言葉から自分は

その先に何が待っているかわからないけど、先になにが待っているのかわからないからこそワクワクして頑張ろうと思えるのだ。

と言っているのだと感じました。

これは、答えとしては不正確であやふやだと思うですが、でもいまの時代仕事を頑張ったからと言ってその先に待つのは過労死じゃん。というふうに思うのですね、だけど趣味や、好きなことだったら頑張ったその先になにが待っているのかがわからないからこそ頑張るというのはなんとなく受け入れられるなぁと思う。これの違いは内発性の問題、好きなことをやるときに理由はないだろう?と自分は感じる、仕事だと頑張ろうと思わないとできない。

仕事ではその先に待つのは勝ち負けの世界、つまりそこには勝者と敗者がいる勝負の世界。

趣味だとその先に待つのは、自分が納得できる自分になる未来。

たどり着く場所が違うのかもしれないなぁとふと思った、そう考えると他人よりもうまくならないと意味がないということではなく、自分の人生を充実して生きれたか、という悔いのない人生を歩むことが重要なんだと言っているのかな。

今回のコンクールですが、金賞をもらえたけど全国へは行けなかったという結果に終わりました。これは上で書いた、結果よりも自分が納得できることが大切だ。ということを言っているのであれば、ここで全国に行けてしまったら

「やっぱり、勝たないと頑張ることに意味がない」

ということになってしまいますよね。だから今回のコンクールは全国に行けなかったという結果は

勝たなくても、自分で納得できる結果が出せたらそれでいい。

ということを言っているのだと感じました。

この、自分で納得できる結果を出すために頑張るというスタンスは、先日引退された、元メジャーリーガーのイチロー選手や、いまも現役で活躍されているプロゲーマーのウメハラさんなどを思い出します。

youtu.be

 

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あとは鴻上尚史さんのこちらの記事とかも

dot.asahi.com

こちらも

dot.asahi.com


けいおん!』のような日常ものから、『よりもい』のような日常と目的を両立するようなものを経て、『誓いのフィナーレ』では目的を目指すとき、どうすればモチベーションを維持できるのか?という流れがみえたような気がして、とても素晴らしい映画体験でした。


いやぁ、他だとあの動画を撮っているシーンとかもなるほどなぁって感じでした。あのシーンにはどういう意味があったんだろうと思ってたんですが『ノラネコの呑んで観るシネマ』の記事を読んでなるほどと。

noraneko22.blog29.fc2.com

 

いやぁ、面白かったなぁ。今度はリズを見直してからいきたいなぁ、希美とみぞれが写るシーンがちょくちょくあったり、コンクールのところなんかもはや主人公よりも写ってたよね?

あ、あとね!久美子3年生編とか絶対ヤバイと思う!だって、これだけ成長した久美子が引っ張るんだぜ!?もうなんか伝説でもつくっちゃうんじゃないの!?

『BanG Dream!(バンドリ!)』1話 キラキラドキドキしたいです!

BanG Dream! Blu-ray BOX

anime.bang-dream.com

最近バンドリの感想記事を上げていて、そもそもバンドリってどういう物語だったっけかなー?と思った。そこで第一期ってどんな物語だったっけっていう振り返りがしたい!

多少のネタバレがあるので未視聴の方は注意。

物語は戸山香澄の高校の入学式当日から始まります。香澄はとても元気な女の子として登場します、入学式が楽しみで目覚ましが鳴るよりも早く起きて、おそいぞ!って言いながら止めたり。春から同じ学校に通う妹をお越しに部屋に突撃しにいったり。もうこれからの高校生活がとっても楽しいことになることは間違いない!って感じなんですね。そんでそれは間違ってないんですよ、登校して速攻で友達つくるし、自己紹介でなんかすごいこと言ってるのにそれがきっかけでまた友達ができるし。下校時にカラオケに行ったりして。もうね、リア充なんですよ。これで高校生活円満待ったなし!!なんですよ。

ただ、香澄はそういうことがしたかった訳ではないんです、それは自己紹介のすごいことなんですが彼女はこう言ってるんです

「キラキラ、ドキドキしたいです!」    

いや、こんなこと言ってる人と関わるのちょっとためらいますが・・・。

香澄は小さい頃に感じた星の鼓動、ものすごくドキドキして、キラキラと輝くなにかをしたかったんですね。そのために香住は中高一貫である学校に受験して入学したんです、ここでなら星の鼓動(=キラキラドキドキすること)を見つけられると。

なのに、やっていることは確かに楽しいんだけどいままでと変わらない、日常の延長線上なんです。そんなことを学校からの帰り道、香澄は寂しそうな顔で下を向きながら歩いているんです、おそらく彼女はこれまでと変わらない日常が来ることに喜び、また逆になにも変わらない日常に悲しくなったのだろう、あぁ、また明日も変化のない同じ日常を繰り返すのだろうと、星の鼓動なんてないと彼女はこころのどこかで思っていたかもしれません。

最近観た『ひとりぼっちの○○生活』の一里ぼっちはなぜ友達を作ることに必死なのか?なぜ友達のは友達を作ることを条件にしたのか?を考えれば『ひとりぼっちの○○生活』は友達が出来ることこそが人生の充実を得られるのだと言っている物語だと思うのですが、これは『宇宙よりも遠い場所』の白石結月と同じテーマですね、彼女も友達が居ない自分は人生の充実から、仲間はずれにされているのではないか?というな不安と恐怖を持っていました。

hitoribocchi.jp

これは香住に言わせれば、友達がいることは確かに楽しい。のだけれども、それがこの人生を生きるのに足ることなのか?という疑問を持っているんです。だから下を向きながら歩いてる。

この疑問は『ゆるキャン△』のリンちゃんが答えていますね、彼女はひとりでキャンプをすることが趣味で、それをしているときに人生の充実感を感じています。つまりですね、楽しい趣味を持っていれば一人ぼっちでも人生は充実しているんだと言うことなんですよ。彼女はソロキャンという趣味を持っているから野クルのメンバーと友達になるんです。しかも、友達が出来てもソロキャンをやめませんよね。

だから、友達ができること=人生が充実するのでなくて。楽しい趣味を持って充実した人生を送っているから友達が出来るんです。順番が逆なんですよ。人生が充実するにはまず楽しい趣味を見つけて、そのあとに、たまたま同じことをしている人と友達になれるんです。友達が先ではないんですよ、楽しい趣味を持っている時点で人生はすでに充実しているんです。


友達が欲しいというのは依存の対象を探しているだけなんですよね。一里ぼっちはこのテーマの物語ではないと思うのですが、ただなにかしら趣味を見つけて欲しいなぁとは思う・・・。

では、楽しい趣味を見つけられなかったら友達はできないのか?というと別の方法があります。それが白石結月ですね、彼女は南極という行くのが困難な場所に、一緒に行った仲間と友達になれました。

ですから、困難なことを一緒にやる仲間がいれば友達が出来るんですよ。まぁ、この困難なことっていうのが難しいと思うのですが。

このへんの思考は下記の記事をめっちゃ参考にしていますので、詳しいことは下記の記事を読んで下さい。

petronius.hatenablog.com


戸山香澄のテーマは『宇宙よりも遠い場所』の玉木マリと同じで、今日と明日が変わらない毎日を変えたくて、香澄は高校を編入している。そして「ここではないどこか」を、下を向きながら歩いていた道で見つけるんです、『星』を。正確には星のシールなんですが、それが点々と何処かに続くように道や塀など、いろんなところに張ってあることに香住は気がつくんですね。そして行き着いた倉で、星の形をしたギターを見つけて、ライブハウスへ行き、バンドと出会いました。香澄の「ここではないどことか」としてバンドを見つけることが出来たんですね。その後ギターという趣味を通して友達を作っていきます。

おなじバンドものの『けいおん!』の田井中 律(たいなか りつ)とほぼ同じ動機で始めているのですが、ここまでの文脈が違うんだろうなーと思います。
この辺を詳しく書く力がないので簡単に書いていくと、『けいおん!』の頃は成長を志向しないで永遠に変わらない日常を過ごしていくのであれば、友達と楽しいことをするという回答を提示しています。ですが、そもそも友達が居ないんだけど?という問いがアニメを見ている層にはあったのだと思うのです。だから『僕は友達が少ない』や『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』などの、友達が欲しい系の物語が出てくる。リア充爆発しろ!といっていた時代ですね。

そして『俺の青春ラブコメは間違っている』でリア充の代表である葉山から、一人で居るひきがやが羨ましいと言われ、リア充側だって悩みがない訳ではないということがわかるんですね。だから『BanG Dream!』の戸山香澄も友達が沢山いて、毎日が楽しいけど、友達が沢山いても人生が充実するわけじゃない。ということを言っているんだと思うのです。

けいおん!』と一緒で趣味を見つけることが人生の充実になるということを言っているのは変わらないけど過程が違うんですね、友達がいる=人生が充実することではないと、一旦否定している、そこがとても2017年の物語だなーって感じがします。

あとは、『BanG Dream!』は成長を志向している物語なので『けいおん!』とはそこが明確に違うところですね。

もっと語りたいことはあるんだよなー、細かい所とか。1話以降の感想としていつか書こうかな···。

 

 

 

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