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『私に天使が舞い降りた!』12話 Aパート 感想 人はなぜ生きているのか?人生とは生きている価値があるのか?

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12話Aパートがあまりにも素晴らしすぎて、何度も観て、その度に世界の真理を感じて号泣してしまう。

このわたてんの劇中劇『天使のまなざし』をもっと色んな人に観て欲しいので、この劇のどこが素晴らしかったのかを解説(?)していきたいと思います!

あ、ネタバレするので嫌な人はすぐに各配信サイトですぐに観てきて下さい!15分くらいなんで!!

 

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まずはこの劇の概要を説明すると

天使は空に、人は地に、天使は人を愛で繋ぐ存在である。
アネモネは天使の身でありながら、人であるデイジーのことを愛してしてしまう。
憐れに思った大天使カルムはアネモネに人間になる方法があると教える。
アネモネは人間になる道を選ぶが、アネモネが降り立ったのはあの日から数十年経っており
デイジーの孫であるマリーから、デイジーはすでに亡くなっていることを知る。
悲しみに暮れるアネモネであったがマリーはあるものを差し出す。
それはあの日のカップケーキであった。

こんな感じですかね。

ざっくり解説したんですが、ここからは観たという前提で解説していくので観てない人にはわからないかもです。

まずは最初、アネモネが世界に生まれたシーンから。ここすでに号泣ポイント。

声が聞こえる、わたしを呼ぶ声。不思議な世界が待ってる。
たくさんの光に包まれて、なんて眩しい世界。わたしを呼んでいる、穏やかな愛に溢れている。素晴らしい世界。

これを読むとわかると思うのですが、アネモネは世界に生まれた瞬間から世界の美しさを感じとるんですよね。アネモネは天使としてこの世界に生を受けるわけですが、これは人間の子供であっても同じことであると言えると思うんですよね。
つまりですね、人間は生まれた瞬間から世界から愛されて生まれてくる。ということなんですよ、言ってる意味がわかりますかね?穏やかな愛に溢れている。素晴らしい世界なんですよ。


そして、アネモネはスイとレンに出会う訳ですが。ここも号泣ポイントです。
アネモネは世界に生まれた瞬間は一人なんですね、それでも世界が愛で溢れた、素晴らしい世界であることを感じている。
だけど、スイとレンに出会うことで、他者の視点からみた世界を知るんですね。

わたしたちが案内してあげるわ、おいでアネモネ
色とりどりの花が咲き誇る、素敵な場所、天使の国へようこそ!
いつでも笑顔の仲間たちと一緒幸せに暮らしてる。
はじめて香る風。はじめて瞳に映る色。はじめて芽吹いた気持ちは世界を埋めつくす愛。
天使の仕事はたったひとつ、愛を届けるのこの弓矢で。

他者の視点からみた世界を感じて、さらにいろんな世界を教えてもらって、アネモネはさらに世界を好きになっていくんです。
世界を一人で楽しむことも出来るんだけど、他者と関わることでさらに世界を好きになることが出来るんだ!と言ってるんだと思うんですよね。これ、めっちゃ泣けるよ!一人でもいいけど、みんなでもいいんだ!ってことだよね、これは『ゆるキャン△』のりんちゃんですね。彼女はソロキャンが元々好きで、友達が出来てもソロキャンはやめない。でも友達とキャンプをしないか?と言われれば、たぶん楽しそうならそっちにも行くんですよね。だから、一人でも楽しいし、みんなでも楽しい。だって世界は美しいから。


天使の仕事がなにかを知ったアネモネは地上で人に愛を届ける仕事を始めます。そこで世界を楽しんでいる人間のデイジーを見つけるんですね。

天使の心にも愛は芽吹くものなの?

こ!れ!これ!やばくないですか!!!??? えーっとですね、どういうことかというと、天使は人に愛を届ける存在な訳ですね。つまり、人間にとって天使はヒーローみたいな存在です、天使は人間を助ける側。
ということは、天使は誰が助けてくれるの?ということを言ってるんだと思うんですよ。愛の芽生えた天使は誰が救ってくれるの?という問いですね。ヒーローは誰が助けるの?といこと。

どうしたのアネモネ?こんなに良い天気なのに。
そうそう、どうしてそんなに悲しそうなの?
どうして?この胸は締め付けられるの、あの人をみたときからずっと。あの子はいまなにをしてるんだろう、この胸の高鳴り、あの人に会いたい。
わたしの胸に芽生えたこの気持ち、確かめたい。

アネモネは地上にいるデイジーのもとに向かいます。デイジーアネモネのことをみたときから好きになっていて、そして自分の得意なことであるお菓子作りで、アネモネを想ってカップケーキを作っています。でも、デイジーは人間と天使が別の存在であることを悟ります。

わたしは人間、天使のあなたと結ばれても先に死んでしまう。

あっ、あっ、うわぁああああん!!(泣) そうなんだ、天使と結ばれてもその先にあるのは人間であることの限界、有限である生。先に待つのは終わりである。これは『さよならの朝に、約束の花をかざろう』や『メッセージ』のテーマである、自分より先に死ぬことがわかっている相手を愛することができますか?って奴ですね。でもデイジーの立場はこの2作品でいうと愛される側、さよ朝のエリアル、メッセージの娘ですね。自分の方が先に死ぬのに相手を愛せるか?という問いを出される訳ですね。

だから、次でアネモネが人間になるという展開になるのは納得できます、自分が天使であるから人間とは同じ時間を生きていけないのであれば自分も人間になればいい訳ですね。
人間になるための条件は『人間となった天使の愛を人間に伝えて、受け入れてもらえなければ消えてしまう』というものでした。その条件を飲んでアネモネは人間になる決意をし、地上に降り立ちます。

踏みしめる冷たい雪、足から伝わる痛み。これが寒さね。
そう、わたしは決めたの、懐かしく優しい天使の国離れあなたのもとへ向かうわ。
この胸に芽生えた気持ちはもう止められない。さぁ、行こう希望を胸に抱いて、あなたのもとへ。愛の花咲かせよう。

ここも、ここも最高に素晴らしいってわかります?(泣)
地上に降り立ったアネモネは天使の羽が消えて、自分の足で世界を歩かなくてはいけなくなったんですね。そしてその足で踏みしめる大地は冷たくて、痛い。これはですね、世界とは優しいだけではなく、残酷で冷たいところでもあるということを言ってるんだと思うんです、ここではじめてアネモネは本当の世界知ります。でも彼女は後悔しません、なぜなら愛を知ってしまったから。暖かい世界にいたのでは手に入れられないものを、冷たく残酷な世界に踏み出すことでアネモネは手に入れるために前へ進むんです。愛ってすげぇぜ。ですが・・・。そこにはデイジーはすでにいませんでした。

残念だけど、お祖母ちゃんはもう・・・。
(中略)
わたし、消えるはずなのに。

愛を伝える相手であるデイジーがいないのであれば、アネモネは消えるはず。でもアネモネは消える気配がない、なぜなのか?

お待たせ。はい、うちの看板商品!

っ、そう。

お祖母ちゃんが言ってた、いつか天使のような人が来たら食べさせてあげたいって。

この胸に愛が、芽生えて気づいた。あなたへ届けたいこの気持ち。

話に聞いた美しい天使、憧れていたまるでおとぎ話。

いま二人巡り会った、わたしたちこのケーキを受け継いでいくの。命尽きるまで。

はじめて芽吹いた風を感じる。はじめて目にした鮮やかな色。はじめての愛が世界を包みゆく。

 

デイジーは愛の証であるカップケーキを孫の代まで受け継いでいたんです、アネモネの愛をデイジーはすでに受け取っていたわけです。だからデイジーは消えなかった。
この物語を観てとても素晴らしいなと感動したのは、この世界を生きる意味を感じたからなんですが、それは

愛は永遠なんだ!!

ということを感じたからなんですよ。なにを言ってるのか?というと、デイジーアネモネと一緒の時を生きていくことはできないと悟ってアネモネから離れるわけですが、でも孫にアネモネを愛していたと伝えているわけですね。最近読んだ『トクサツガガガ』に出てくるエマージェイソンの台詞で

好きな気持ちは無くなる訳じゃない

という台詞があるんですが、つまり好きな気持ち=愛は無くならないってことを言ってるんだと感じたんですよ。無くならないってことは永遠に続くってことで、永遠に続くってことは、愛は永遠ってことで、デイジーアネモネよりも先に死んでしまったけれど、愛は残ってアネモネに伝わったんです。愛していると伝えることが、愛していると知ることが、永遠に生きる天使を癒すということになるわけです。

人間っていうのはいつかは死んでしまいます、有限の時を生きている。でも、愛は無くならない。人間がこの生を生きているのに足るのは愛を見つけることなんだ!というふうに感じたんです。

デイジーが残したカップケーキが永遠に生きる相手を愛するということの答えなんです。これが素晴らしい!と思って泣いてしまった。

『さよならの朝に約束の花を送ろう』と『メッセージ』とは違う答え、先に逝くものの愛のありかたの答えを提示したからです!

デイジーは愛を見つけて幸せに暮らし。
アネモネは愛を知って世界の美しさを、広さを、素晴らしさを知り。
マリーもまたアネモネという愛するものを見つけたことで世界の素晴らしさを知った。

これは悲恋の物語でもなく、アネモネがデイジーに再会出来なかった悲しい物語でもなくて、本当の愛とは永遠に続くものなんだ!と言ってる物語なんです。

だから、この物語が言いたいのは

人生とは、愛を見つける旅なんだ!

 と言うことなんだと思います。

 

ふー、言いたいことが伝わってるかなぁ?(汗) まぁ、要約するとわたてん12話をみろ!!(見て下さいお願いします、そして素晴らしさを分かち合いましょう?そして円盤も買おう?) いやまじで劇を15分フルにつかってやるアニメすげぇよ

自分は物語を愛してるので人生生きるのに足りてますよ!ありがとうわたてん!!

 

 

劇中歌も素晴らしいので是非

 

TVアニメ「私に天使が舞い降りた!」サウンドコレクション

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『少女☆歌劇レビュースタァライト』 目的のために努力するか、永遠の日常を謳歌するか。それとも···。

 

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大場なな、大場なな。この作品を観たときに自分のなかで一番キラキラ輝いてたのは、大場ななでした。
1-6話までは全然注目していなかったんですが、7話から9話を使ってのななを掘り下げる展開に心を奪われました。見た目も、声もカッコ可愛いですし。日本刀二刀流もカッコよすぎませんか?

ですが、自分のなかで大場ななが先に進めた理由が謎だったんです、9話で純那から「あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない」と言われてななは『なにか』に納得して、みんなでつくりあげた99回聖翔祭「スタァライト」の再演を諦めて、つまり退学していった子を救わない決断をし、みんなが目標に向かって努力することを受け入れたんですが。

この『なにか』がわからない。なぜななは受け入れられたのだろうか?みんなを守ってあげる!と叫んでいたのに。悲しみ、別れ、挫折からみんなを守ってあげたかったんじゃないのかよ!と思っていました。ですが最近になってようやく納得できる答えが自分のなかでだせたのと、友達(勝手に思ってる)へのメッセージと、GLfesで入手した素晴らしい純なな本の感想を書く前段階として、大場ななを書いていきたい。

ネタバレありなのでご注意を


さて、まず最初に大場ななという子がどういう子なのかを説明していきます。彼女は中学時代から演劇をしていたのですが、演劇部員はなな一人だけで、ほかの部員は兼部してもらっていたみたいです。でも、どうやらななは中学時代に劇の公演を行ったことがないようなんです。それはみんな自分の部活が忙しいから、でもなな一人で公演を行うことも可能だったはずです、ですがそれはしませんでした。たぶんななは調和を重んじる子で、波風を立てないようにと努める性格の子だったのだと思います。

それでも大好きな演劇を存分にできるであろう道として、ななは演劇の専門高校への道へ進みます。
そこでななは準主役を勤め、みんなでつくりあげる舞台の楽しさを初めて体感します。次の年もみんなで楽しく、輝く舞台がしたいとななは期待していました。

ですが、2年に進級したとき、クラスメイトの2人が退学したようです。二人が退学した理由はわかりません、ですが専門学校から退学したということは家庭の事情でない限り、それは実力が見合わなかったり、または自分に絶望したりしたということでしょう。

ななが調和を重んじる子で、優しい子であれば2人が退学してしまったことはとてもショックだっただろうと思います。
だからこそ永遠の舞台として、第99回聖翔祭「スタァライト」の再演、まだ二人が退学する前の状態に戻してみんなで舞台を楽しむために。願いを叶えたななは繰り返しのなかでこう言います

『わたしの再演の中にいればなにも怖くない、成長することも、大人になることもない。自分を追い込む苦しみ、新しいものに挑む辛さ、傷ついて道を諦める辛さからみんなを守ってあげる』

と言っています。

これって日常系の物語のことですよね、『けいおん』がいい例だと思うんですが、日常を永遠に繰り返していく普通の、悪く言えば目的のない学校生活をしていこうと言ってるんです。

再演を幾度も繰り返していた、そこに一人の転校生が混じります。神楽ひかり、彼女はななとは逆に成長すること、自分を追い込むこと、新しいことに挑戦していくことをしていく、目的をもって生きている、目的の奴隷となっている子でした。

これは日常系とは逆のスポーツ漫画とかの努力して成長する!といったものを感じます、そうするとななとひかりが戦うことは

日常を謳歌すること 対 努力して成長する

ことのどちらが正しい生き方なのか?を決める戦いであると言えます。

そして勝者はどちらだったか、というと 神楽ひかり でした。つまり『努力して成長する』ことが正しい生き方なのだと言っている、それは大場ななの再演を繰り返したことを否定するような台詞の数々からも読み取れます。

と、言うのは違います。神楽ひかりが勝利したのは『努力して成長する』ことが正しいからではありません。
たしかにひかりはトップスタァになるために勝者になり、他者を敗者にすることが正しいことだと思っていました。ですが愛城華恋と再び出会ったことで華恋と一緒にトップスタァになることが目標になるんですね。

努力して、成長して、苦しんで、友達を切り捨ててやっとの思いでたどり着いたその場所は、なにもない砂漠で孤独の檻だったことが12話で表現されていることからも、そしてその檻から同じ目的をもった友達がたどり着き救いだしたことからも
この作品が言いたいことは成長することじゃなく、(ななが負けたということは)成長を否定することでもなく、友達と一緒に困難な道を行くことだ!と言っているのだと思います。(『宇宙よりも遠い場所』だ!)

 

目的をもって生きることと、友達との関係性を深めることの両方が大切なんです。


さて、大場ななの話に戻ります。ななは再演のたびに『届いたはずなのに、まだ眩しい』と言っています。
これはなにも成長しない、同じ舞台をを繰り返すから、眩しいんですね。同じ場所からでは一生届かないんです。同じ場所からみているかぎりずーっと眩しいだけなんです。だからこそ何度繰り返しても届かない、眩しい。

でも、ななはずーっと同じことをしていたのかと言えばどうやら違うようで

『あの一年がもっと楽しく、もっと仲良くなれるようにって、再演のたびにすこしづつ脚本をいじったり、演出を変えたりした(中略)。だけど、新しい日々は刺激的で、新しいみんなも魅力的で』

と言っています、そしてそれを受けて純那が

『なぁんだ、あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない』『もっといいものに、いい再演に、舞台も舞台少女も変わっていくもの、舞台少女なら大丈夫、だから一緒につくろ、なな。わたしたちで次のスタァライト

そしてななは

『ごめんね、わたし、わたし』

と言って泣き出します。

これ、なにに対して謝っているのかがわかると、ようやく『なにか』についてがわかるんですよ。
謝っている対象は2つあって

1.時間を繰り返して成長を止めてしまったこと

2.二人の退学してしまった生徒に対して

の2つだと思うんです。1は舞台少女のみんなの目的を自分のわがままで止めてしまったこと
そしてこの、2が 二人が退学してしまったことよりも、私は舞台少女として成長する道を選んだことに対する懺悔なんですね。

『なにか』とは大場ななは優しいばななさんではなく舞台少女であったのだと気がついたんです。
ななはこうして前に進みます。どうしても救えないこともある、だけどだからこそ人は残酷で美しい。

 

ふー、どうかな、すこしでも伝わってると嬉しいです。とりあえず『スタァライト』を観てない人は観てね!面白いからさ!これを書くためにまた見直したけど、キャラの人生とか関係性とかがわかって見直すと、もうどのシーンでも泣けるような設計になってて、素晴らしいアニメだったんだなーってなる。

次は本の感想へ。

 

 

『放浪息子』7年前のアニメだけど、いま観てよかった。

とあるブログの記事を観て気になったので一気観。

 

放浪息子 1 [DVD]

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「放浪息子」アニメ公式サイト

放映は2011年なのでいまから7年前、放映当時はタイトルだけみて「ふーん」って興味を持てなかったから観なかったんだよなぁ。でも放映当時に観てたら設定だけを受け止めて自分のなかでは評価の低い作品になってたと思う。だけど、最近は百合系作品やHUGプリやらをみてるので「普通に」観れた。やっぱり物語のすごいところってこういうところで、自分の中の価値観がアップデートされていくんだよねー。だから物語は面白い。

観た感想としては面白かったです、とても7年前の作品とは思えない。自分ってなに?男なの?女なの?っていうお話なのでなんか色々な人に観てほしい。あとやっぱり観てて『百合のリアル』を思い出した。

百合のリアル 増補版

百合のリアル 増補版

 

(いろんなところで引用しすぎでは?ステマを疑われるレベル、でもいろんなところで思い出すということはそれだけ衝撃的な本だったということで) 

 

 

全然関係ないんですがいまやってる『青春豚野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』の桜島先輩とこのアニメに出てくる高槻よしの声優さん一緒だったんだ・・・。桜島先輩の声にゾクゾクしてたんだけどまさか同じ人だったなんて・・・。桜島先輩好きです。

 

刀使ノ巫女 第23話感想 「頑張って、姫和ちゃんを追いかけてきたんだよ!」

最近、刀使ノ巫女熱が再燃しているので見返してるんですが。

第23話『刹那の果て』にて可奈美が姫和に対して言うセリフ
姫和「可奈美、どうやって!?」
可奈美「頑張って、姫和ちゃんを追いかけてきたんだよ!」
うん···
うんうん···
うん···うっ···

大号泣ッ!こんなん泣くだろ、泣くしかないだろ!というか今さらだけどすげぇ泣けるんだ!

姫和ちゃんは21話でも一人でタギツヒメを倒そうとして、誰にも相談せずにイチキシマヒメと融合するじゃないですか?(既知の事実)、そのときに可奈美から「半分持ってあげるって言ったでしょ、もっと信頼してあずけてよ」という名シーンによる名台詞を3万字くらい語りたいですがそれは別の機会にして。で、このセリフを言われたあとなら信頼して相談するやろ?一人で先にいかんやろ?って思うじゃないですか???
なのに、相談しない。一人で先に行っちゃう。行くなよ!(バンバン!)もっと信頼してあずけてよぉ···(泣)

さて、ここでなぜ一人で先に行ってしまったのか?とそれで可奈美がとった行動とは?を語ることで皆さんにも23話を観直して泣いてほしい。たぶんそんなに長く語らないので。

姫和ちゃんが誰にも相談せずに行こうとしていたのは、昔だったら(可奈美と愛の逃避行をする前)確実に「誰も関係ない」みたいな心境で相談しなかったんだと思うんですよ。
それがいまでは大切な友達(意味深)が出来たことで「大切なみんなを巻き込むわけにはいかない」に変わったんだと思うのです。これが一人で行こうとした理由。
そんな、誰にも相談しない覚悟を決めた姫和に対して、それで可奈美がとった行動とは?ですが、これは単純で「隣に寄り添うこと」です。
でもこの隣に寄り添うことがどれだけ難しいことか!だって、タギツヒメとのバトルを見てたらわかるように一人また一人と速さについていけなくなり脱落していく。そんな闘いについていくことがどれだけのことか!強いだけじゃそんなことしない。想いだけじゃそこまで辿り着けない。だから強さと想いこのどっちもが大切なんや!(聞いてるか歩ぅ!)
だから、だからこその可奈美のセリフ「頑張って、姫和ちゃんを追いかけてきたんだよ!」
うんうん、隣に立つ。そんな関係性が僕は好きです。
ここまで読んでくださった奇特な方がいると嬉しいです。

さて、最後にダイレクトマーケティングを今回語った第23話も入ってる
刀使ノ巫女 第六巻 2018年9月26日 発売予定 です!

BD & DVD -オリジナルアニメーション「刀使ノ巫女」公式サイト-

封入特典のドラマCDがどれも最高そうな気がしていまから興奮が止まりませんね!ノロアンプル射しときますね!

次は歩ちゃんを語りたいなー。

ひそねとまそたんを見て思ったこと

TVアニメ版ヱヴァンゲリヲンのシンジを思い出した。

シンジは周りに流されるままエヴァに乗り、そして使徒と闘っていく。

そのさきにシンジは乗らないという選択をすることで「おめでとう」祝福されアニメはここで終わる。やったねシンジ君!流されずに自分で選択したんだね!

だけど、エヴァに乗らないと言うことは世界が滅亡してしまうのだ。

このエヴァに乗らないという選択をした先がどうなったのかは描かれていない。

それを今回描いたのが『ひそねとまそたん』だったのでは無いだろうか?

ひそねも乗らないと選択したわけだけど、でも乗らないと君の好きな人たちが眼の届かないところで死んじゃうかもよ?と言うことに気がつくのだ。

そして、乗ると決めるのだが一度逃げた者などに世界の命運を預けられるか!と突っぱねられるんだよね。ここがいいよなー、だって訳のわからん奴に自分の命を預けられないでしょ?それを納得させる理由を説明して乗れるわけですが。

好きなひとがいるこの世界が好き、だから乗る。シンジくんが思い至らなかったことの先を描いてると思う。

面白いなー。

グレンラガン 観てます

シモンの成長物語ではなく、自分の可能性に気づく物語でした。

シモンはなんでも立ち向かっていこうとするカミナのアニキが憧れや尊敬の存在で、

だからこそカミナのように自信満々に笑いながら立ち向かっていけない自分に自信が持てなかった。

しかし、カミナはそうは思っていなかった。

カミナは行動ができるけど、実際にそれを可能にするのはシモンだったと気づいていた。

ちゃんと能力があることがわかっていたから「お前を信じる俺を信じろ!」と言うんですね。

シモンはこの後、幾多の敵と戦うわけですがそれを全て倒していく。

でもそれはシモンが成長したからじゃなくて、彼に元々備わっていた能力によってそれをなし得たのだと思うのです。

能力があるだけじゃ駄目だった、自分を信じることが出来たからこそなし得た。

これすごくいいなーと思うんですけどどうかな?

成長や努力することではなく、ただ自分を信じて行動するだけで道は拓けるんだというふうに感じたんです。

グレンラガン15話まで観た感想なんですが、とっても面白いです。

実は何年か前に観て6話で挫折してたんですが、見直して良かったです。

君は『刀使ノ巫女』(とじのみこ)が面白いことを知っているか? ー考察をしてみるー

2018年の冬アニメである『刀使ノ巫女』を知っていますか?

オリジナルアニメーション「刀使ノ巫女」公式サイト

このアニメの1話を最初に見たときに「なんて面白そうなアニメが始まったんだ!」と凄いワクワクしたんですよね。
なぜなのかはわからないんですが、直感と言えばいいんでしょうか?

当時のTwitterでもこんなことを言ってますね

第1話で衛藤可奈美が十条姫和と逃げるシーンで終わるんですけど
この逃げるところがいいよね!

まぁなんの話をしているのかわからないと思うのでここに至るまでの
流れを、考察とともにつらつら書いていきます。
アニメ自体は各配信サイトでも観れますので是非この機会に観てください!

あ、8話まで観てからの1話の考察ですので色々ネタバレがありますのでご注意を

以下ネタバレ有り



まずはAパートから

『原作 伍箇伝計画』 はい、もうここからですね。
キービジュアルを見たことがある人なら共感してくれると思うのですが
最初のシーンは学校で、学生服姿の可愛い女の子達がキャッキャウフフしながら
みたいな、萌えアニメ的な始まり方をするもんだと思っていたんですよ、自分は。

そしたらね、いきなり
壊れた道路→謎のムカデみたいな怪物→「これまでに、死者3名、重軽傷者58名」という無線通信の情報

えっ?死人が出るの?このアニメ?よくある萌えアニメじゃないの?

でも、この始まり方
シン・ゴジラとかそう言う謎の生命体に人が対抗しようとしているのが
好きな人な自分としてはここでもう心を掴まれていたんでしょう。

でも、どうやらこの怪物(荒魂というみたいです)
軍隊が使用する銃(たぶん現代の銃と同性能)が全く効いてないみたいなんですよね

じゃあ「刀使ノ巫女」って呼ばれてる子が退治するんでしょ?って思うんですけど

でも待ってください、ならそもそも軍隊が出動する必要なくないじゃないですか?
それなのに出動してるところが······、熱いじゃないですか!
だって100%普通の武器が通用しないってわかってて、しかも自分より何倍も大きな
生物に立ち向かうなんてアホじゃないですか。

それなのに出動している。それって、
刀使の子達を守ってあげたいから。だったらいいなと思うんですよね。

このあとに刀使ノ巫女の子達が出てきて怪物を倒すんですが
この子達って女の子なんですよ。(恐らく高校生以上の隊員は居ない?)

それに、あっさり倒すのかと思いきや結構苦戦してる(4人中3人は吹き飛ばされてる?)
S装備とか言うものを身に纏うことで圧勝するんですが······
(この装備、見た目ダサくないですか?)

そしたら、大人である俺達が楽させてあげようってなりますよね?

民間人を守るための軍隊でしょ?とか刀使を守るための軍隊でしょ?とか
色々考えられますが

入隊してくる人達はそんなことを承知の上で入隊してくるんでしょうね。
凄いことだなぁ。

あ、公式で確認したところ軍隊だと思ってたのは警察組織の人達なんだ。
なら装備が銃しかないのも納得かな?かわいそー


はい、長々と語りましたがまだ開始2分くらいのところなんですね

ここからやっと可愛い女の子達のキャッキャウフフが始まります!!

はいここが主要キャラ
「衛藤可奈美」と「柳瀬舞衣」が通う学校「美濃関学園 中等部・高等部」

なんだこのでかい建物!(画像がなくてすみません···)
あっ、体育館なんだ······。

この体育館で剣術の試合をしているみたいです。
これ防具をつけず、さらに制服ってなにか意味があるんでしょうかね?

防具をつけないのは写シを張ることが防御術みたいだし
重いものを身に纏いたくないからかな

制服なのは所属を明らかにするためとか?
(まぁどちらも、アニメ的に見栄えを良くするためなんでしょうけど)


なんのための試合だったかというと
「折神家御前試合」に出るための選抜試合です。

可奈美と舞衣が代表になるんですけど
この大会、中等部と高等部合同でやってるはずなのに(あとでわかりますが大会には高校生もでてくるので)中等部である可奈美と舞衣が代表に。

可奈美が高校生よりも強いのは夢の中で母と稽古をしていたから理解は出来るんですが

凄いのは舞衣の方です。

舞衣は特に何も能力が高い理由付けがされてないんですよね
なのに代表選抜で準優勝。何故なんでしょうか?

おそらく、舞衣は可奈美とずっと打ち合ってきたからそれに見合う実力を手に入れたのでしょう
(2話の舞衣の台詞に「私はこの一年半、ずっと可奈美ちゃんの剣を受けてきました(以下略)」とあるので)
もの凄い実力者である可奈美が、剣の稽古相手に選ぶのだから一年前から舞衣はそうとうな実力者だったのだろうか?色んな剣術が好きな可奈美なら色々な相手を選ぶだろうに
なのに一年半ずっととなると、それだけ実力的に良い相手だったんだろうけど。


さてここからは今作での主人公である「十条姫和」です

彼女は実家に帰って来たところなんですけど、
家に入ったところで手入れがされていることに驚く。

つまり実家にはもう誰も住んでは居ないんでしょうね。
(となると姫和の父はどうなったのだろうか?仏壇だけ実家に残すと言うことは引っ越したわけではないだろうし、転勤でもないんだろう。離婚したのかな······)

ここで誰が手入れをしたのか考えてみると、姫和は折神家に手紙のことがバレたからかと思ったのだろうけど
あたらずとも遠からずで、御当主の「折神紫」の妹である「折神朱音」が来たんだと思う

それは、7話で判明するのですが大会当日に折神紫に対してなにかを仕掛けようとしていたみたいなのでそれの報告をするために来たのだと思います。(または舞草の誰か)


それと姫和を主人公と言ったのはうまく言えないのですが

姫和の視野ってだいぶ狭かったんだと思う。姫和は母のやり遂げられなかった「大荒魂」の討伐だけを目標に歩んできたのだろうから、色々なことを犠牲にしてきたのだろう(友達作ったりだとか学生がやる普通のこととか)。

だから彼女はこれから色々なことを学んでいき、そして成長していく。
これは姫和の成長物語である。ということです。(全然説明になってない)


はい、明日は御前試合です!

新幹線の中での可奈美と舞衣の会話に癒されますねぇ
可奈美「私、舞衣ちゃんのクッキー大好き♪」
舞衣「私はそう言ってくれる可奈美ちゃんの笑顔が好き」

可奈美の好きはライクだけど舞衣の好きはラブだよねこれ絶対。
(この時点では舞衣が闇落ちしてメンヘラ女になって敵になりそうとか思ってました。
でも、新しい女が見つかって良かったね舞衣ちゃん!)

気になったんですけど、折神家って地図上だとどの辺なんだろうか?近くに砂浜があるから海水浴にはもってこいデースね。


折神家の前で可奈美と姫和が初対面するんですが
前から歩いてくる姫和
可奈美「こ、こんにちは」
姫和「···」
スルーして行くかと思いきやなにかを感じて振り向く姫和と可奈美。
ここでは何事?って感じなのですが、おそらく二人が所持している御刀の前までの所持者である可奈美母と姫和母が関係しているんでしょう。
御刀に二人の意思が宿っている?これはあとで書きます。


(あっ!!サービスシーンだ!!)

そしてお風呂上がりのほてった身体を冷ますために二人は外へ。
可奈美は興奮冷めやらぬようで、今ここで試合(意味深)をしてから寝よう(意味深)と提案
しかし舞衣は明日もあるし(意味深)と提案をやんわりと否定。
二人は布団を並べて寝ることに·······。※注意:過大な妄想が含まれています

寝ている可奈美に舞衣は
「ねぇ、可奈美ちゃん。もし明日私と当たったら本気で戦ってくれる?」

舞衣はいままで可奈美と何百回と打ち合ってきたけど、実際に本気で戦ったことって数回もなかったのかもしれないと舞衣は思ってるんじゃないかな。

なぜかというと可奈美は試合しているときも楽しんでいるようにしか見えなくて、相手の手の内を全部見てから倒しにいく
舞衣からしたら余裕があるようにしか見えなかったんじゃないか、だからそう言う余裕とかなしに、本気で戦ってくれることを望んでいたのかもしれない。
結果はどうだったのか······。


やっとBパートまで来た!

魂鎮め(?)とは一体なんなんだろうか?8話を見た限りだと内なる荒魂と対話しているのだろうか

御前試合作戦です!!

さぁ!このアニメの楽しい要素の一つである「剣術」の見所を学の無い自分なりに
おぉっ!と思ったところを説明していきます!


まずはここ
可奈美と舞衣が会場に入ってからすぐに礼をするところ。いいですね確か剣道なんかも礼をしてから会場にはいったりするよね?こういう細部を描くことで作品世界が濃くなるんだと思うんだよなー


まずは第一試合目から
十条姫和 対 名前もない女子高生(おそらく)

初見では写シと人移の説明が無いため見所はここ、真剣で斬られても大丈夫なんだってこととなんか高速で動けるんだってことがわかる。

第二試合目
糸見沙耶香 対 衛藤可奈美

可奈美が言う「よく見る、よく聞く、よく感じ取る」
これが彼女の戦闘で気を付けていること。だから舞衣が思ってる本気で戦ってってのは実は勘違いだったということがわかる。

第三試合
柳瀬舞衣 対 益子薫

この試合は薫が第5話と比べてどれだけやる気がないのかがわかる結構面白いところ
本気で薫がやったら会場を壊しかねないですね。

第四試合
十条姫和 対 古波蔵エレン

高速迅移を一度見せている姫和はジグザグに動いて撹乱後突き→エレンは柄でそれを防ぐ
舞衣・俺「柄で!?」いや、面白いと思ったのはこのあとなんですけど
エレンの切り下ろしに対して姫和が両腕を広げる→一瞬躊躇するエレン、しかし切り下ろす→それを片手で払い、返す刀で胴を一閃。
エレン・俺「ホワッツ!?(なんじゃそりゃー)」
この両腕を広げるところが格好いいですよね!?意味わかんないもん!!

なんかさ、こういう剣術が見れるところがこのアニメの醍醐味だと思うんですよ。
そのあとに説明とか一切無いところがまたいいよね!(公式のTwitterなんかでは説明がある)

で、そのあと振り向いて正眼。残心って言うんだっけこう言うの?いいよね!

第五試合
衛藤可奈美 対 柳瀬舞衣

さて、舞衣は居合いの構え。親衛隊である此花寿々花が「居合いなんて!?」と驚くのですが
これは刀使の基本戦術は足を止めないこと。
と教えられているので(確か公式にそうあったような)
待ちの居合い、しかも両膝をついての構えなんて言語道断なんでしょうね。

でも、舞衣は可奈美と本気で戦いたいから、いつも受けてから始める可奈美に対して
先に来るように促す戦術である「IAI」を選択したのでしょう。

結果は残念ながらどれだけ実力の差があるのかを示されただけだった(居合いをする手を押さえるなんて、そんなのありかよ)
でも舞衣としてはこれで納得できたのかな、最後は笑顔だったし。

勝戦
衛藤可奈美 対 十条姫和
ここでは実際に戦ってないのでいつか戦う機会が来るのだろうか?

ここでおもしろいのは可奈美と姫和が連携して親衛隊の燕結芽の攻撃を凌ぐところ。
お互いに初対面どうしなのになぜ自然な連携がとれるのか
それはお互いの刀に秘密があるのでしょう。


とりあえず一話の考察(考察ではない)はこんなところでしょうかねぇ

あとは8話まででわかってる情報からこうなのかなーと思うことをつらつら

本当に折神紫は悪なのか?
ここまで物語が成熟した日本でこんなにも分かりやすい敵役を置くだろうか
これってミスリードを狙ってると思う。(まぁ、ただ単に自分が考えたさいきょうの設定を語りたいだけなんですけど)

なぜかと言うと

刀使は写シを張り、それが自分の身代わりとなって攻撃を受けてくれる
この写シは一体なんなのか。


これが公式の設定なんですけど
別次元の自分が身代わりになってるって事だよね?ヤバくないそれって?

それをやめさせようとしているのが折神紫。

その手段としてノロの人体投与による身体強化。
それによって写シを使わずに荒魂を倒せるようになることが目標。

この荒魂ってのももしかしたら、写シで消えた別次元の自分の怨念みたいなもので

荒魂が定期的に大荒魂になるのも、怨念が集まって生まれてしまう。

それを解決するためでもあるのかも。


あー、駄文めっちゃ書いたー。
でもこれを書くのに半日くらい時間が掛かったので次は多分ないです。