今日も一日健やかに物語を

おもしろいと思ったものを

『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 その先になにが待つのか、楽しみじゃない?

 

anime-eupho.com

観ていて現代日本の文脈を感じる素晴らしい作品でした。
現代的な疑問としての『頑張った先になにがあるの?』というテーマを扱っていてとても良かったなーと思う。

日常ものがたくさんあった時代にあった、疑問だったのだと思う。だから『けいおん』のような頑張らないで、いまこの瞬間を友達を楽しむ。というものが人気であったのだと思う。でもいつまでも成長しないのはどうなんだ?という疑問もあったのではないだろうか?

それが『よりもい』で描かれたように、南極に頑張って行く少女たちが描かれて、頑張っていても友達をつくることが可能で、やっぱりきらきら輝くためには頑張っている時なんだという風に感じたのではないかな?

だから『誓いのフィナーレ』では頑張って、上手くなりたい。というただそれだけの理由が動機という。でもそれになんの意味があるの?という疑問に答えを出していて、それは悔しいと思えるほどやることでそれは自分はやりきった、やったんだという自信に繋がるといっているんだと思うのだ。自信のない、自己承認出来ていない人生が嫌で、人は異世界に転生したくなるみたいですしね。

だから、自己承認ができる自分をつくる、人生を充実して生きるために、好きなことを頑張るれるんじゃないかな?

色々と下に書きましたけど、言いたいことはこんな感じですね。


ここからはネタバレありです。

 


キャラごとに思ったことを書いていくと。

緑と月島は、月島の即落ち2コマ

れいなと久美子は久美子が抱える問題には手を貸せないので今回は関わりが少な目な印象。
れいなを頼る場面は今後3年になったら実力になやんで、己をちゃんともって立っているれいなを見て、自分のことを見つめ直すことができる存在だと思う。

修一と久美子。久美子が1年の後輩と修一が仲良くなっているというのを見てモヤモヤしているところから久美子も修一のことは好きなんだなと見てとれる。

それと、修一が大人だなぁ、と思ってしまった。以外と無欲の人間なのかな、と思っていた修一が久美子にキスをしようとするシーンはあぁ、ほんとに久美子が好きなんだ、と感じられるシーンでした。その優しさに久美子は甘えたのだと思う。

これは久美子は修一が自分選ぶのだという自信を持っている。修一なら自分を選んでくれると思っているから久美子は一旦わかれようと切り出す。そしてその修一はおそらくそんな久美子の気持ちを汲み取っているのだと思う。だからすんなりと受け入れたのだろう。普通のカップルならもっと引き留めるのではないだろうか?

それをあっさりと受け止めた修一はとても大人で、久美子はズルいなーと思う(笑) 3年になったらどうなるかなー。

ただ、久美子が一旦別れようと言うのはなるほどなぁと思いました。ユーフォは楽器を演奏するときによく考えてとか、精神の状態によって演奏の質が変わるというような描写が出てきたように思うのですが、そう考えると、これから忙しくなる久美子が修一のことを考える余裕が無くなる可能性があると考えると、別れるという選択をとったのだと思います。


久石 奏と久美子。

この、奏が問いかける、頑張ってどうするんですか?という疑問はとても素晴らしいなぁと思った。

これは久美子が中学生の頃に感じて、でもそれをれいなが否定する。これは1期の話だったかな、物語三昧で語られている文脈を参考にして考えると、『けいおん!』で描かれた、あずにゃんは、ぬるい場所で平凡に生きていくか、それともプロを目指して成長をするか?という問に『けいおん!』では友達との平凡な毎日を選んだんですね。これは時代的に努力して勝ち残っていくのに疲れた、高度経済成長が終わって、努力してもその先にに待つのは成長の見込めない、奴隷のように働かされる未来しか待っていないのだから、成長するよりも、友達と穏やかに過ごしていくことが幸せだよねという結論がだされたのだと言える。

そして、じゃあ友達とわいわいやるのが楽しいってことは、友達ががいないと人生楽しくないの?つまりリア充と呼ばれている人間になるしかないの?という疑問があって、『僕は友達が少ない』や『やはり、俺の青春ラブコメは間違っている』という作品が出てきたのだと思います。はがないの結論は彼女はいらないから友達が欲しいという結論になり、俺がいるではリア充だって苦労していて、むしろ非リア充のほうがうらやましいよ、とリア充側から言われるという、結果陽キャも影キャもどっちも苦労があるよ、という結論に至りました。でも、ここで発見したのは自分の趣味をやっているときに同じことをしている友達がいるのは楽しいよね、ということはかわらないということは残ったんですね。

それが最近になって、『宇宙よりも遠い場所』で目的をもって、さらに友達との関係性を深めることが人生に充実をもたらしてくれるのだという、どちらも大切なのではないか?という風な結論がだされました。

とすると、ではどうすれば目的を見失わずに生きていけるのか?モチベーションを維持できるのか?という疑問が出てきたのではないのかな?と思う、だから今回の映画では頑張ってどうするんですか?なぜ頑張れるんですか?という問に答えを求めたのだ。この問にたいして、ユーフォで出された回答は、久美子が語る言葉から自分は

その先に何が待っているかわからないけど、先になにが待っているのかわからないからこそワクワクして頑張ろうと思えるのだ。

と言っているのだと感じました。

これは、答えとしては不正確であやふやだと思うですが、でもいまの時代仕事を頑張ったからと言ってその先に待つのは過労死じゃん。というふうに思うのですね、だけど趣味や、好きなことだったら頑張ったその先になにが待っているのかがわからないからこそ頑張るというのはなんとなく受け入れられるなぁと思う。これの違いは内発性の問題、好きなことをやるときに理由はないだろう?と自分は感じる、仕事だと頑張ろうと思わないとできない。

仕事ではその先に待つのは勝ち負けの世界、つまりそこには勝者と敗者がいる勝負の世界。

趣味だとその先に待つのは、自分が納得できる自分になる未来。

たどり着く場所が違うのかもしれないなぁとふと思った、そう考えると他人よりもうまくならないと意味がないということではなく、自分の人生を充実して生きれたか、という悔いのない人生を歩むことが重要なんだと言っているのかな。

今回のコンクールですが、金賞をもらえたけど全国へは行けなかったという結果に終わりました。これは上で書いた、結果よりも自分が納得できることが大切だ。ということを言っているのであれば、ここで全国に行けてしまったら

「やっぱり、勝たないと頑張ることに意味がない」

ということになってしまいますよね。だから今回のコンクールは全国に行けなかったという結果は

勝たなくても、自分で納得できる結果が出せたらそれでいい。

ということを言っているのだと感じました。

この、自分で納得できる結果を出すために頑張るというスタンスは、先日引退された、元メジャーリーガーのイチロー選手や、いまも現役で活躍されているプロゲーマーのウメハラさんなどを思い出します。

youtu.be

 

youtu.be


あとは鴻上尚史さんのこちらの記事とかも

dot.asahi.com

こちらも

dot.asahi.com


けいおん!』のような日常ものから、『よりもい』のような日常と目的を両立するようなものを経て、『誓いのフィナーレ』では目的を目指すとき、どうすればモチベーションを維持できるのか?という流れがみえたような気がして、とても素晴らしい映画体験でした。


いやぁ、他だとあの動画を撮っているシーンとかもなるほどなぁって感じでした。あのシーンにはどういう意味があったんだろうと思ってたんですが『ノラネコの呑んで観るシネマ』の記事を読んでなるほどと。

noraneko22.blog29.fc2.com

 

いやぁ、面白かったなぁ。今度はリズを見直してからいきたいなぁ、希美とみぞれが写るシーンがちょくちょくあったり、コンクールのところなんかもはや主人公よりも写ってたよね?

あ、あとね!久美子3年生編とか絶対ヤバイと思う!だって、これだけ成長した久美子が引っ張るんだぜ!?もうなんか伝説でもつくっちゃうんじゃないの!?