今日も一日健やかに物語を

おもしろいと思ったものを

『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』 その先になにが待つのか、楽しみじゃない?

 

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観ていて現代日本の文脈を感じる素晴らしい作品でした。
現代的な疑問としての『頑張った先になにがあるの?』というテーマを扱っていてとても良かったなーと思う。

日常ものがたくさんあった時代にあった、疑問だったのだと思う。だから『けいおん』のような頑張らないで、いまこの瞬間を友達を楽しむ。というものが人気であったのだと思う。でもいつまでも成長しないのはどうなんだ?という疑問もあったのではないだろうか?

それが『よりもい』で描かれたように、南極に頑張って行く少女たちが描かれて、頑張っていても友達をつくることが可能で、やっぱりきらきら輝くためには頑張っている時なんだという風に感じたのではないかな?

だから『誓いのフィナーレ』では頑張って、上手くなりたい。というただそれだけの理由が動機という。でもそれになんの意味があるの?という疑問に答えを出していて、それは悔しいと思えるほどやることでそれは自分はやりきった、やったんだという自信に繋がるといっているんだと思うのだ。自信のない、自己承認出来ていない人生が嫌で、人は異世界に転生したくなるみたいですしね。

だから、自己承認ができる自分をつくる、人生を充実して生きるために、好きなことを頑張るれるんじゃないかな?

色々と下に書きましたけど、言いたいことはこんな感じですね。


ここからはネタバレありです。

 


キャラごとに思ったことを書いていくと。

緑と月島は、月島の即落ち2コマ

れいなと久美子は久美子が抱える問題には手を貸せないので今回は関わりが少な目な印象。
れいなを頼る場面は今後3年になったら実力になやんで、己をちゃんともって立っているれいなを見て、自分のことを見つめ直すことができる存在だと思う。

修一と久美子。久美子が1年の後輩と修一が仲良くなっているというのを見てモヤモヤしているところから久美子も修一のことは好きなんだなと見てとれる。

それと、修一が大人だなぁ、と思ってしまった。以外と無欲の人間なのかな、と思っていた修一が久美子にキスをしようとするシーンはあぁ、ほんとに久美子が好きなんだ、と感じられるシーンでした。その優しさに久美子は甘えたのだと思う。

これは久美子は修一が自分選ぶのだという自信を持っている。修一なら自分を選んでくれると思っているから久美子は一旦わかれようと切り出す。そしてその修一はおそらくそんな久美子の気持ちを汲み取っているのだと思う。だからすんなりと受け入れたのだろう。普通のカップルならもっと引き留めるのではないだろうか?

それをあっさりと受け止めた修一はとても大人で、久美子はズルいなーと思う(笑) 3年になったらどうなるかなー。

ただ、久美子が一旦別れようと言うのはなるほどなぁと思いました。ユーフォは楽器を演奏するときによく考えてとか、精神の状態によって演奏の質が変わるというような描写が出てきたように思うのですが、そう考えると、これから忙しくなる久美子が修一のことを考える余裕が無くなる可能性があると考えると、別れるという選択をとったのだと思います。


久石 奏と久美子。

この、奏が問いかける、頑張ってどうするんですか?という疑問はとても素晴らしいなぁと思った。

これは久美子が中学生の頃に感じて、でもそれをれいなが否定する。これは1期の話だったかな、物語三昧で語られている文脈を参考にして考えると、『けいおん!』で描かれた、あずにゃんは、ぬるい場所で平凡に生きていくか、それともプロを目指して成長をするか?という問に『けいおん!』では友達との平凡な毎日を選んだんですね。これは時代的に努力して勝ち残っていくのに疲れた、高度経済成長が終わって、努力してもその先にに待つのは成長の見込めない、奴隷のように働かされる未来しか待っていないのだから、成長するよりも、友達と穏やかに過ごしていくことが幸せだよねという結論がだされたのだと言える。

そして、じゃあ友達とわいわいやるのが楽しいってことは、友達ががいないと人生楽しくないの?つまりリア充と呼ばれている人間になるしかないの?という疑問があって、『僕は友達が少ない』や『やはり、俺の青春ラブコメは間違っている』という作品が出てきたのだと思います。はがないの結論は彼女はいらないから友達が欲しいという結論になり、俺がいるではリア充だって苦労していて、むしろ非リア充のほうがうらやましいよ、とリア充側から言われるという、結果陽キャも影キャもどっちも苦労があるよ、という結論に至りました。でも、ここで発見したのは自分の趣味をやっているときに同じことをしている友達がいるのは楽しいよね、ということはかわらないということは残ったんですね。

それが最近になって、『宇宙よりも遠い場所』で目的をもって、さらに友達との関係性を深めることが人生に充実をもたらしてくれるのだという、どちらも大切なのではないか?という風な結論がだされました。

とすると、ではどうすれば目的を見失わずに生きていけるのか?モチベーションを維持できるのか?という疑問が出てきたのではないのかな?と思う、だから今回の映画では頑張ってどうするんですか?なぜ頑張れるんですか?という問に答えを求めたのだ。この問にたいして、ユーフォで出された回答は、久美子が語る言葉から自分は

その先に何が待っているかわからないけど、先になにが待っているのかわからないからこそワクワクして頑張ろうと思えるのだ。

と言っているのだと感じました。

これは、答えとしては不正確であやふやだと思うですが、でもいまの時代仕事を頑張ったからと言ってその先に待つのは過労死じゃん。というふうに思うのですね、だけど趣味や、好きなことだったら頑張ったその先になにが待っているのかがわからないからこそ頑張るというのはなんとなく受け入れられるなぁと思う。これの違いは内発性の問題、好きなことをやるときに理由はないだろう?と自分は感じる、仕事だと頑張ろうと思わないとできない。

仕事ではその先に待つのは勝ち負けの世界、つまりそこには勝者と敗者がいる勝負の世界。

趣味だとその先に待つのは、自分が納得できる自分になる未来。

たどり着く場所が違うのかもしれないなぁとふと思った、そう考えると他人よりもうまくならないと意味がないということではなく、自分の人生を充実して生きれたか、という悔いのない人生を歩むことが重要なんだと言っているのかな。

今回のコンクールですが、金賞をもらえたけど全国へは行けなかったという結果に終わりました。これは上で書いた、結果よりも自分が納得できることが大切だ。ということを言っているのであれば、ここで全国に行けてしまったら

「やっぱり、勝たないと頑張ることに意味がない」

ということになってしまいますよね。だから今回のコンクールは全国に行けなかったという結果は

勝たなくても、自分で納得できる結果が出せたらそれでいい。

ということを言っているのだと感じました。

この、自分で納得できる結果を出すために頑張るというスタンスは、先日引退された、元メジャーリーガーのイチロー選手や、いまも現役で活躍されているプロゲーマーのウメハラさんなどを思い出します。

youtu.be

 

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あとは鴻上尚史さんのこちらの記事とかも

dot.asahi.com

こちらも

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けいおん!』のような日常ものから、『よりもい』のような日常と目的を両立するようなものを経て、『誓いのフィナーレ』では目的を目指すとき、どうすればモチベーションを維持できるのか?という流れがみえたような気がして、とても素晴らしい映画体験でした。


いやぁ、他だとあの動画を撮っているシーンとかもなるほどなぁって感じでした。あのシーンにはどういう意味があったんだろうと思ってたんですが『ノラネコの呑んで観るシネマ』の記事を読んでなるほどと。

noraneko22.blog29.fc2.com

 

いやぁ、面白かったなぁ。今度はリズを見直してからいきたいなぁ、希美とみぞれが写るシーンがちょくちょくあったり、コンクールのところなんかもはや主人公よりも写ってたよね?

あ、あとね!久美子3年生編とか絶対ヤバイと思う!だって、これだけ成長した久美子が引っ張るんだぜ!?もうなんか伝説でもつくっちゃうんじゃないの!?

『センズリ!ガールズチンポパーティ!』syoya著 自分のなかの価値観をぶっ壊されました!

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どうやら今回の記事で50記事目らしいですね。そんな記念すべき回をsyoyaさんのこの作品で飾れるのは嬉しいです。いままだったら書かないようなジャンルに感想を書こうと思えたので(笑)


自分はこのふたなり系の作品というのは、なにがいいのかがさっぱりわからなかったので、全然自分の琴線に触れなかった系統のジャンルだったの自分から好んで見ることはなかったのですが、soyaさんの作品をみたことで、おぉ、凄い!って思ったんですよね。


自分のなかでなにが起こったのか?を分析するとそういう作品でみるモノはただついてるだけって感じることが多かった、ついてるからこうする、ついてたらこうなる。のように、別につける必要なくないか?って思ってたし、元々こういうジャンルが好きです!という人にしか届かないんじゃなかな?と思ってた。ただ勘違いして欲しくはないのですが、それがダメだと言ってるわけではなくて、あくまでも自分の個人の好みの話なので。


それが、syoyaさんの絵を見ていると、受けとる印象が違ったんですよね、それがなにかっていうと「チンコはこういうもので!このキャラにはこのサイズが似合って!そしてこのキャラはこんな性癖なんだ!」ってもの凄い主張を感じる。もちろんこう言う主張をしている作品は他にもいろいろとあると思うのですが、決定的にsyoyaさんの絵が違うと感じるのは、『絵から感じる印象』なんだと思います。

 

kenkounauma.hatenablog.com


この記事でも書いているのですが、パワパプやパンストと似た印象をまず受けて、これは間違いなく面白いもの、というまず『笑い』から入る。そして絵の上手さ、『可愛らしさ』を受けて、さらに凛々しさ、美しさ、カッコよさを感じて、その果てに『淫猥』な印象を受ける。うーん、うまく言えないのですが、淫猥な印象を受けるまので過程が違うんですよね、だから下品ではなくて・・・。むしろ、凄みがあるんですよ。引くのではなくて惹かれる。魅力を感じる。


ここまで読んでくれた方ならわかると思いますが、自分の価値観が、最初の方で書いた、なにがいいのかわからないとい価値観が、もうすでに自分のなかでぶっ壊されてるんですよね。ほんとに吃驚しています。そして、たぶん自分と同じ体験をしている人は結構いるんじゃないかな?イベント当日、syoyaさんとお話した時に価値観を変えられてしまったと言ったらほかにもそういう人が居たみたいですしね。


さて、では今回の作品の感想なんですが

めっちゃ下品だし、汚い!!!!

え?いままでと言ってることが違う?うるせぇ!!もうすでに自分のなかでは、syoyaさんの絵が好きで、可愛いんだからそんな細かいことなんてどうでもいいだよ!!!千聖も花音もこころんも可愛いんだよ!!


自分のなかで考え方が変えられてしまう体験をさせられた。syoyaさん、どうしてくれるんですか!(笑) これからも追っていきます!!

『9センチってどのくらい?』『あこチャンネル』syoya著 syoyaさんの9センチ?暗黒カレーラーメンに入れるお湯の量ですかね?

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syoyaさんの絵ってなんでこんなに引き込まれてしまうのだろう?絵を見てると『パワーパフガールズ』とか『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』とかを思い出すからかな?

 

パワーパフ ガールズ DVD-BOX

 

Panty & Stocking with Garterbelt Blu-ray BOX Forever Bitch Edition(新規収録スペシャル DJ Mix CD付き)

 

これらの作品ってキャラがデフォルメされてて、そしてだいたいぶっとんだコメディが描かれているっていう印象がものすごくあって、それでsyoyaさんの絵を見るとその辺を思い出して、なんかわからんけどこれからすごいことが起きそうだっていうワクワクするからかな?


syoyaさんを知ったのはバンドリ関連の絵を見たところからだったので、漫画を書いてるイメージが全くなくて、1ページ目からおぉ、syoyaさんの漫画が見れるんや!すごい!!どんな内容になるんだろう!ってワクワクしてページを捲ってました。


内容はあこちゃんとりんりんがYouTuberをやってるの目撃してしまった ゆきな(猫動画見てた)、さよ(ポテト食べてた)、りさ(ママ)。戦慄するりさ(ママ)! しかし ゆきな(猫動画見てた) と さよ(ポテト食べてた) は こんらん している! 謎の暗黒カレーラーメンの正体とは!? 背後に写る謎の陰(HIKAK○N)はなぜ都内の高級マンションで氷風呂に浸かりながらアイスを食べたりして暮らしているのか!? そして、ロゼリアの新曲の行方は一体!? 手に汗握る抱腹絶倒間違いなしの現代に舞い降りた鬼才syoyaが描く物語にあなたは次代の物語を目にする。


みたいな内容なんですが(おそらく)、いや、ほんと全部のコマが可愛くって最高です。いつもsyoyaさんの1枚絵を見ているだけでも幸せな気持ちになっているのに、漫画になることで、あたりまえなんですが、1コマ1コマに絵が描かれているので大量の絵が見れて、1回1回かわいいなぁチクショウってなって、ずっと幸せな気持ちになってしまう。猫ですら可愛く見えてくるからヤバイです。


でも、このロゼリアがかわいいなってちゃんと思えるのって、ロゼリアのキャラがちゃんと(?)描かれているからなんだろうなと思う。どのキャラも特徴をちゃんと描いていて


ゆきなだったら猫が好きで、でもそのことは隠していて、歌にストイックすぎて世間のことに疎くて、でもどんなことも歌のインスピレーションにしてしまう とか。


りさはゆきなのことが幼馴染みとして一番近い距離で接していて、YouTuberのことはなんとなく知ってて、それが世間的にどういう評価がされているのかを知ってるからあことりんこがそんなことをやっていることに衝撃を受けてて、ゆきなとさよが怒るんじゃないかって心配できる人間で とか


さよはポテト食べてる


あこちゃんは中学生らしい感性でたぶん、楽しそうだなってくらいの軽い気持ちでYouTuberを始めることが出来る子で、もうめっちゃ某ヒカ○ンに影響受けてるのが丸わかりで(笑)、でもあこちゃん自体がめっちゃ個性のある目を惹くキャラだから、たぶん実際にYouTuber始めたら人気になりそう とか


りんりんはそんなあこちゃんの挑戦を止めることなく手助けしてあげられる子で、ちゃんと年上としてあこちゃんがヤバイことをしそうになってたらブレーキを掛けていて とか


こういったキャラの特徴をちゃんと描いているから、あぁ、これはロゼリアだなって納得できて、キャラを愛しながら笑えるっていう高度なことをしているんですよね。ちゃんとキャラがわかっているから、ラストのページでゆきながあことりんこのことを解っていてという表現ができるんだと思うのだ。

 

この漫画を見たことでわかったことがあって、syoyaさんの絵が好きだなーって、漠然と思ってたんですけど、なんで好きなのかって言うと、その絵からストーリーを感じられるからなんだ。だいたいどの絵を見てもインパクトがものすごくって、それの印象に圧倒されてしまって、「すごい(小並感)」ってことしかわからなかったのだけど、たぶんその絵からストーリーを感じるから『好き』なんだろうなって、わかった気がします。


はぁ、面白かったし可愛かったなぁ(笑) ギャグ漫画としてもちゃんと面白いってすごいと思う、細かいネタなんかも全部拾って書きたいけどそうすると漫画の内容を全部ネタバレすることになるからやめておこう。うん、素晴らしい。


もうひとつの『センズリ!ガールズチンポパーティ!』題名・・・。(苦笑) も素晴らしかったです、感想は次の記事に書きます。

『BanG Dream!(バンドリ!)』1話 キラキラドキドキしたいです!

BanG Dream! Blu-ray BOX

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最近バンドリの感想記事を上げていて、そもそもバンドリってどういう物語だったっけかなー?と思った。そこで第一期ってどんな物語だったっけっていう振り返りがしたい!

多少のネタバレがあるので未視聴の方は注意。

物語は戸山香澄の高校の入学式当日から始まります。香澄はとても元気な女の子として登場します、入学式が楽しみで目覚ましが鳴るよりも早く起きて、おそいぞ!って言いながら止めたり。春から同じ学校に通う妹をお越しに部屋に突撃しにいったり。もうこれからの高校生活がとっても楽しいことになることは間違いない!って感じなんですね。そんでそれは間違ってないんですよ、登校して速攻で友達つくるし、自己紹介でなんかすごいこと言ってるのにそれがきっかけでまた友達ができるし。下校時にカラオケに行ったりして。もうね、リア充なんですよ。これで高校生活円満待ったなし!!なんですよ。

ただ、香澄はそういうことがしたかった訳ではないんです、それは自己紹介のすごいことなんですが彼女はこう言ってるんです

「キラキラ、ドキドキしたいです!」    

いや、こんなこと言ってる人と関わるのちょっとためらいますが・・・。

香澄は小さい頃に感じた星の鼓動、ものすごくドキドキして、キラキラと輝くなにかをしたかったんですね。そのために香住は中高一貫である学校に受験して入学したんです、ここでなら星の鼓動(=キラキラドキドキすること)を見つけられると。

なのに、やっていることは確かに楽しいんだけどいままでと変わらない、日常の延長線上なんです。そんなことを学校からの帰り道、香澄は寂しそうな顔で下を向きながら歩いているんです、おそらく彼女はこれまでと変わらない日常が来ることに喜び、また逆になにも変わらない日常に悲しくなったのだろう、あぁ、また明日も変化のない同じ日常を繰り返すのだろうと、星の鼓動なんてないと彼女はこころのどこかで思っていたかもしれません。

最近観た『ひとりぼっちの○○生活』の一里ぼっちはなぜ友達を作ることに必死なのか?なぜ友達のは友達を作ることを条件にしたのか?を考えれば『ひとりぼっちの○○生活』は友達が出来ることこそが人生の充実を得られるのだと言っている物語だと思うのですが、これは『宇宙よりも遠い場所』の白石結月と同じテーマですね、彼女も友達が居ない自分は人生の充実から、仲間はずれにされているのではないか?というな不安と恐怖を持っていました。

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これは香住に言わせれば、友達がいることは確かに楽しい。のだけれども、それがこの人生を生きるのに足ることなのか?という疑問を持っているんです。だから下を向きながら歩いてる。

この疑問は『ゆるキャン△』のリンちゃんが答えていますね、彼女はひとりでキャンプをすることが趣味で、それをしているときに人生の充実感を感じています。つまりですね、楽しい趣味を持っていれば一人ぼっちでも人生は充実しているんだと言うことなんですよ。彼女はソロキャンという趣味を持っているから野クルのメンバーと友達になるんです。しかも、友達が出来てもソロキャンをやめませんよね。

だから、友達ができること=人生が充実するのでなくて。楽しい趣味を持って充実した人生を送っているから友達が出来るんです。順番が逆なんですよ。人生が充実するにはまず楽しい趣味を見つけて、そのあとに、たまたま同じことをしている人と友達になれるんです。友達が先ではないんですよ、楽しい趣味を持っている時点で人生はすでに充実しているんです。


友達が欲しいというのは依存の対象を探しているだけなんですよね。一里ぼっちはこのテーマの物語ではないと思うのですが、ただなにかしら趣味を見つけて欲しいなぁとは思う・・・。

では、楽しい趣味を見つけられなかったら友達はできないのか?というと別の方法があります。それが白石結月ですね、彼女は南極という行くのが困難な場所に、一緒に行った仲間と友達になれました。

ですから、困難なことを一緒にやる仲間がいれば友達が出来るんですよ。まぁ、この困難なことっていうのが難しいと思うのですが。

このへんの思考は下記の記事をめっちゃ参考にしていますので、詳しいことは下記の記事を読んで下さい。

petronius.hatenablog.com


戸山香澄のテーマは『宇宙よりも遠い場所』の玉木マリと同じで、今日と明日が変わらない毎日を変えたくて、香澄は高校を編入している。そして「ここではないどこか」を、下を向きながら歩いていた道で見つけるんです、『星』を。正確には星のシールなんですが、それが点々と何処かに続くように道や塀など、いろんなところに張ってあることに香住は気がつくんですね。そして行き着いた倉で、星の形をしたギターを見つけて、ライブハウスへ行き、バンドと出会いました。香澄の「ここではないどことか」としてバンドを見つけることが出来たんですね。その後ギターという趣味を通して友達を作っていきます。

おなじバンドものの『けいおん!』の田井中 律(たいなか りつ)とほぼ同じ動機で始めているのですが、ここまでの文脈が違うんだろうなーと思います。
この辺を詳しく書く力がないので簡単に書いていくと、『けいおん!』の頃は成長を志向しないで永遠に変わらない日常を過ごしていくのであれば、友達と楽しいことをするという回答を提示しています。ですが、そもそも友達が居ないんだけど?という問いがアニメを見ている層にはあったのだと思うのです。だから『僕は友達が少ない』や『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』などの、友達が欲しい系の物語が出てくる。リア充爆発しろ!といっていた時代ですね。

そして『俺の青春ラブコメは間違っている』でリア充の代表である葉山から、一人で居るひきがやが羨ましいと言われ、リア充側だって悩みがない訳ではないということがわかるんですね。だから『BanG Dream!』の戸山香澄も友達が沢山いて、毎日が楽しいけど、友達が沢山いても人生が充実するわけじゃない。ということを言っているんだと思うのです。

けいおん!』と一緒で趣味を見つけることが人生の充実になるということを言っているのは変わらないけど過程が違うんですね、友達がいる=人生が充実することではないと、一旦否定している、そこがとても2017年の物語だなーって感じがします。

あとは、『BanG Dream!』は成長を志向している物語なので『けいおん!』とはそこが明確に違うところですね。

もっと語りたいことはあるんだよなー、細かい所とか。1話以降の感想としていつか書こうかな···。

 

 

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

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ゆるキャン△ 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

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『9センチってどのくらい?』『会いたかった少女』 パピラブ著 パピラブさんの9センチはあことりんりんのお互いを見る視点。

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素晴らしかった・・・。純粋にあこちゃんの魅力が描かれていました・・・。宇田川あこの魅力というと、姉を純粋に尊敬していて、憧れている姿、妹であるからだろうとても甘え上手なところ、格好いいと思えることに挑戦できる勇気があるところ。など様々な魅力があります、それを全部内包して自分は『可愛い』って言ってるんだと思います。その魅力が余すところなくこちらの物語に描かれていて・・・、あこちゃん好き・・・、ってなりました。

こちらの物語でとても良いなーと思うのは、あこちゃんがさよさんに髪を整えて欲しいと頼むところなんですよ。さよさんとりんりんってガルパの『新緑のラルゴ』などを経てお互い仲良くなっていってるのが感じられるのですが、たぶんあこちゃんも最近のりんりんとさよさんの距離の近さ、信頼し合っている感じを感じているのだと思うのですよね。だから、りんりんを見習ってさよさんともっと仲良くなりたいと思って、髪を整えて欲しいと頼んだんだと思う。

す、素晴らしいですねこれ!!!

だって、あこちゃんは前にすすむ、挑戦する子なんだ。それが今回はさよさんと仲良くなりたいということでしたが、この短いエピソードで、あこちゃんとはどういう子なののか?とりんりんとあこちゃんの関係性を表現しているんですよ!
それに、絶対にこのあこちゃんがさよさんとの信頼関係を深めるという物語は今後公式でもやると思うんですよ!んでね、その関係性を深めるという物語の導入として、とっても自然な流れで描かれていると思うのですよ!


そして、あこちゃんの挑戦を手伝うりんりんがとっても素晴らしい。というか、パピラブさんの描かれる燐子が素晴らしいんだ。燐子がなぜあこちゃんのことを好きなのか?という根元の部分を描きつつ、それが依存や束縛の関係ということではなくて、燐子は『前にすすむあこちゃん』が好きなのだということを、あこがさよと仲良くなれるための行動を手伝うことで証明しているんです。もし、依存や束縛したいのであればそんな手伝いはしないはずなのだから。

なぜそのような関係性であるか?といえばあこちゃんとりんりんはもう本当の友達だからなんだと思います。友達というのは束縛したり、依存をする対象ではなくて、好きなものをやっているとき、たまたま相手も同じことをしていて、その同じ好きなことを共有することができる存在。二人が出会ったのは二人ともが好きでやっていたオンラインゲームを通してでしたね。そのゲームを通して他の誰かとじゃ再現のできない体験を共有していくことで、絆を深めていったのだと思う。それがパピラブさんのあこちゃんとりんりんを見ているとはっきりと表情でわかるんですよね。

パピラブさんの描く9センチはお互いの信頼の証だと感じました。

いやもう、ほんとうに素晴らしいです。絵も可愛くって・・・。「りんりんありがとう」のところとかもうめっちゃ好きです・・・。


こちらの『9センチってどのくらい?』の表紙のデザインをパピラブさんがされたとどこかで目にした気がするのですが、卍(寺)に駆け込む人のデザインが天才的です(笑) (違ってたらすみません)

まじ卍。

『9センチってどのくらい?』『マウンティング アコ』パルアカ著 パルアカさんの9センチはアコイヌ専用の出入口の高さ。

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はい、可愛い!!アコイヌ可愛い!以上、解散!!

あ、待って!もっと語りたいことがあるから集合して!てな感じで読んだあとに語りたいことが出てくる作品でした。読んでる最中はただただマウンティング(へこへこ)してるアコイヌ可愛いなぁって思いながら読んでたので、それ以上の感情を入れる隙間が存在しなかったんですよ。

でもね、読み終えたあとにちゃんと、これはアコイヌの大冒険の話だったでは?と思えたんですよね。なぜそう思ったかというと、アコイヌはお気に入りの、それこそ寝ている大好きなりんりんを起こしちゃうくらい気に入ってるクッションがあるんですが、それがもうボロボロになってたから新しいのと交換される。でも新しいクッションにはお気に召さない。これがなぜなのかは物語のラストで語られるのでそこは本書を読んで欲しいので割愛します。

それで、アコイヌはお気に入りのクッションが捨てられてたことを知っておうちを飛び出すんです。これね、別に家を飛び出さなくてもいい気がするんですよね、家のなかで別のものをを探せばいいって。でも、違ったんですね、おそらくなんですがおうち中を探した結果、クッションを見つけ出したのであってそれ以外ではダメだったんだと思うんです。そう考えると、家の中にはもうクッション以外に気に入ったものがない、とすると家の外に探しに行かなくてはダメだったんですね。やっぱりこれが宇田川あこなんだよな、1番以外ではダメで、妥協をしないんだ。そして、外に飛び出せる勇気を持った挑戦者なんだよね。

それが9センチの高さ(推定)のアコイヌ専用出口。それが冒険への入り口。アコイヌはいままで一人でお外に出たことがあるのだろうか?あるとすれば、りんりんの帰りが遅くて自分から迎えに行くとか、りんりんを起点とした動機だと思うのですが。だからたぶん一人でお外に飛び出すのは勇気のいることだったのではないかなとも思う。

でも、アコイヌは外に飛び出したことで自分が本当に好きだったものはなんだったのかを認識するんですよね。これは、アコイヌとりんりんの成長の物語であると見ることができるんですね。そしてりんりんもアコイヌが本当に好きなものを知ってさらに関係性が深くなると思うのだ。だからこれはアコイヌの冒険譚であり、りんりんの気付きの物語なんです。


とまぁ、まるで綺麗なお話であったかのように語っているのですが絵面はだいぶアレなので、たぶん読み終えるまではマウンティングしてるアコイヌに衝撃を受けると思う(笑)

絶対最後のシーン(マウンティング)がやりたかっただけなのではないかなーと邪推してしまいます(苦笑) あれはまぁ、うん、おれも・・・。

 

表紙のいいねの数値は聖なる数。このご尊顔を拝するために、だれもが心の浄化を求めて寺への入門を求めてしまうことでしょう。

『9センチってどのくらい?』『ちっちゃいあこちゃん、『はやい』になる』ベル著 ベルさんの9センチはあこちゃん(ねこ)とあこちゃん(いぬ)の身長差。

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うぅ、あこちゃん(ねこちゃん)可愛すぎて、もうたまらない気持ちになってしまう・・・。時系列的には『あこちゃん・・・!』の『ちっちゃいあこちゃん、『やだ』になる』あとのお話ですかね?この設定のあこちゃんほんと好きなんですよ・・・。また読めるなんて嬉しい限りです。

 

kenkounauma.hatenablog.com

 

なんでベルさんはこんなに小さい子特有の舌ったらず感を表現出来るんだろう。他にも、あえてひらがなで表記されているところ、児童書のような語り口が読んでいてとても心穏やかな、幸せな気分になれる。おひさまにこにこ。あこちゃんもにこにこ。おれもにこにこ。

りんりんのおうちのあこちゃんは、結構甘やかされているような気がするのだけど、やっぱり本質は宇田川あこなんだよなぁ。普通は甘やかされて育つと、とてもわがままな性格になってしまうと思うのだけど、例えば最近観た『未来のミライ』のくんちゃんは、ほんとに子供で、たぶん子供とはこういう生き物だという理解ができていない人にとっては見るのが苦痛に感じるレベルだったんじゃないかな?

でもね、あこちゃん(ねこ)はりんりんのことが大好きで、そのりんりんにカッコイイ姿を見せてあげたい、楽しい気持ちにしてあげたいという、わがままなだけの子に育っていないんですよね。こういったところは宇田川あこと同じだと思うのです。ベルさんのあこちゃん理解度に脱帽します。いや、もうほんと可愛くって、めっちゃ心癒されます。だからこの物語を読んだ感想は、あこちゃんの色々な可愛い姿を見せてくれてありがとうございます!!です。

あえて、物語の感想を語ると、あこちゃんが頑張って自転車に乗ろうとするじゃないですか?あぁ、やっぱりあこちゃんは『挑戦する』んだなぁって思った。あこちゃんが三輪車を漕いでるだけでめっちゃ可愛いじゃないですか?自転車に乗れなくても全然いい、むしろケガなんてして欲しくないから乗らないままでいいよ?って甘やかしてしまうと思うのだ。でもねあこちゃんはねカッコイイを目指すんだよ・・・。『あこの寿司』でもそうでしたね・・・。ちょっとね、背伸びをしてしまうんだよね。
たぶんそれは9センチくらいの背伸びなのかな。

自転車に乗った時、ちょっとお姉さんのあこちゃん(いぬ)と比べて地面に足が届かないあこちゃん(ねこ)可愛い。

 

あ、ちなみに合同誌のタイトル『9センチってどのくらい?』の意味はあこと燐子の148-157の差だと思うのですが、別の意味があるのかな?でも、この二人に差があっても親友になれるのだからやっぱりあこちゃんとりんりんはとっても尊い