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『手島さんの墓』 板路 夕著 水の味がわかるということ

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板路夕さん感想、第三回目です!

part1、2はこちらです。

kenkounauma.hatenablog.com

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板路夕さんの作品『明るい水槽』『DEPT』『よあけのヴェイパー』を読み、そして今作について考えていました。板路夕さんの作品群の共通点はなんだろう?と。考えた結果1つ思い付いきました。それは『眼を開いて世界を生きる』です。こんなふうに書き始めましたがちゃんと説明できると思わないで下さい・・・。

 

『明るい部屋』の音嵜さんはラジオのことを姉と慕っていました。そして、そのラジオから世界の見方を教わり、世界がキラキラ輝いているんだということを教わります。『DEPT』のルイコは相手が自分を食べようとした宇宙人であっても、ちゃんと接します。『よあけのヴェイパー』のお姉さんは家電の天使との生活のなかで、自分が見落としていたものに気がつきます。

 

今作の『手島さんの墓』で出てくる2人の手島さんとコトヒラさんもそれぞれ眼を開いて世界を見ていきます。

 

コトヒラさんを通して見た手島さんは、全然周りのとコミュニケーションを取ろうとせず、彼女が転校してきたこともあってかクラスでは浮いた存在になっています。

 

この、手島さんがコミュニケーションを取ろうとしないことや、声をかけても無視されてしまうと言ったことって、コトヒラさんの目線で見た世界なんですよね。

 

読者である自分も手島さんの印象は制服の上からジャージを着て登校し、指定されているリボンをしていない、声をかけれても無視をするという行動から、接しにくい子なのかなと思っていました。

 

ですが、手島さんのこのような様々な行動にはちゃんとした理由があったんです、そのことにコトヒラさんが気がつき、それを通して読者である自分も気がつきます。手島さんのことを知ろうとしていなかっただけだと。

 

つまり印象で相手の人物像を作り上げていたんです。でも、手島さんのことをちゃんと見ることで、手島さんがなぜそういった行動をとったのかが見えてきます。盲目的に相手のことを知ろうとせずに決めつけるのではなく、眼を見開いてちゃんとみることが大切なんだ。コトヒラさんはこうして『眼を開いて世界をみる』ことを学んだと思うんです。

 

手島さんからみた世界は、色褪せていたのだと思うんです。彼女は10年続けてきたバレェを交通事故による怪我によって続けることが難しくなります。ですが、手島さんはそのことについて

 

「それを聞いたとき一瞬体の痛みが消えて、だからわかっちゃった。自分が心から安堵したこと、それと同時に自分のなかでなにかが死んでしまったこと」。と

 

それは発表会が終わるごとに上手に踊れた子が先生から花束を貰えるけど、彼女は10年続けていて花束を1度も貰えたことがなかったと語ります。10年続けても花束を貰えなかったバレェを外的要因で仕方がなく辞めさせられたことで、もうバレェを続けなくてもよくなったことに安堵し、同時にもう花束を貰うことができなくなったんだとわかったとき彼女のなかの何か、それは未来への期待、可能性のことだと思うのですが、それが『死んでしまった』んです。

 

この瞬間、手島さんにとって世界は色のない世界、期待や可能性を持てない世界になってしまったのだと思うんです。で、あればなぜそんな手島さんが魚をコトヒラさんと一緒に海に還してあげようと思えたのか? その理由について彼女は

 

「ところでさ、なんで今日わたしのこと誘ってくれたの?」

 

「だってコトヒラさんもあの魚のこと好きだったでしょ?」

 

手島さんはあの魚のことが好きだったから、同じくあの魚のことを好きと言っていたコトヒラさんのことを誘ったんです、でもそれだけが理由じゃないんですよね、そのあとに手島さんがあの魚を好きになるシーンが描かれます。

 

「嘘じゃないよ!ほんとにみたの!すっごく可愛いんだってば!魚のあくび!」

 

「まーたメルヘンなこと言ってる!」

 

と過去にコトヒラさんとその友達との会話をたまたま聞いた手島さんは魚をみるんですね

 

「あの顔見ちゃうとさ、あのこの子と大好きになっちゃうよね」

 

手島さんはコトヒラさんが言っていた、魚のあくび姿をみたことでこの魚のことを好きになったんです。でも、魚があくびなんてするわけないと思うじゃないですか?「まーたメルヘンなこと言ってる!」と言う友達のように、ただ魚が口を開けているだけでしょ?としか思わないと思うんです。

 

ですが、手島さんはそれを聞いて、そしてあの魚が口を開けている姿を見てあくびをしているように見えたんです。なぜそう見えたのか?そのことは『明るい水槽』の記事に書いた、ラジオから世界の見方を教わった音嵜さんのように、手島さんもまたコトヒラさんから世界の見方を教わったからなんだと思うんです。普通にみたら魚が口を開けているようにしか見えない光景が、あくびをしているように見える。

 

これって最近よんだ『アクタージュ』8巻scen70 で山野上花子が語る物を作る理由が、そうそうそうだよね!この世界をどう見るかは自由なんだ!この狂った世界でなにを希望にするのかと言ったとき、それは世界を見る眼を養うことなんだ!!ってなって感動してたんですが、なにが言いたいのかっていうとこの世界で生きるときに、どうすれば生きていけるのか?というと『明るい水槽』や『DEPT』の記事や『手島さんの墓』の記事でいままで書いてきた「世界を視る力を養って、そして眼を開いてこの世界を感じること」なんだと思うのです。

 

この世界を感じることを自分は『スティルライフ』で学びました。


この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。 

世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。 

きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。 

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。 

大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。 

たとえば、星を見るとかして。 

二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。 

水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。 

星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。 

星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。


自分はこれを、自分のなかにある世界と、自分が見ている世界を曇りなき眼で視ること、そうして、世界を感じること。世界と自分を知ること。それが、水の味がわかることなんだ。と解釈しました。

 

閑話休題

 

 

そうして二人は『眼を開いて世界みる』力を養った結果、二人の天使が現れます。天使は頭の輪っかを無くして困っていたけれども、輪っかの代わりになるものを渡した(?)ことで、天使からお礼にあるものを貰います、このアイテムの使い方が最高で・・・。この天使はたぶん、魚のあくびをみて感じることのできる人でないと視ることができなかったんだと思います。

 

コトヒラさんが天使から貰ったのは『花束』でした。この花束をコトヒラさんは2つに分けて1つは海に振りまき、あの日の手島さんに届けと、つまり10年間1度も花束を貰えなかったあの日の手島さんに花束を送ってあげているんです。

 

2つめの花束は束ねてあったリボンと一緒に、いまの手島さんに渡します。この花束はバレェがうまいからとかそういった理由ではなく、ただ純粋に

 

『リボンも花束もきっと手島さんによく似合う』から渡しているんです、あなたがあなたのままで似合うからということを言ってるんですね。

 

そして、手島さんからコトヒラさんがあの魚のあくびが可愛いという話を聞いてたことを打ち明けるシーン。ここでコトヒラさんの友達は「まーとメルヘンなこと言ってる!」と真に受けないんですよね、でも手島さんは魚をちゃんとみてから判断していんです。

 

これこそが友達だよね。だからこそラストのシーンの二人が笑い合っているシーンがとても美しく、キラキラ輝いてみえるんだと思うんです。

 

天使可愛いよね!!!!!!!!輪っかを無くした天使の表情がころころ変わる姿がもう最高に可愛くって、昔なにかの本で人の表情の内4つか5つをみたらその人のことを好きになるっていうのを読んだ記憶があるんですけど、まさにその通りです。あとはちっちゃいカニを見つける天使も可愛かったー! 板路夕さんのこのフワフワしたキャラクターがめちゃくちゃ可愛いし物語も素晴らしいのでまじで色んな人に読んでほしい・・・。