『廃墟のメシ』ムジハ著 人間か人間でないか。そうじゃなくて、自分が自分であることに自信を持てればそれでいいんだ。
物語は昔少女が食べたカレーを探すために、命の危険も顧みずに危険な廃墟の中へと突き進んでいくというもの。
1度だけ食べたカレーライスの味が忘れられなくて、それを探すために死ぬ可能性のある冒険をする。というのがついこの間Twitterで見かけたこの記事
この記事は、アメリカ在住の記者が日本で食べたカレーライスについて紹介しているのですが、これを読むとカレーライスがいかに中毒性のあるものなのかが伝わってくるんですよね(笑)
なので、この記事を読むとハルカが命の危険も省みずにカレーライスをもう一度食べたい!という気持ちが、こういうことなのかって思うんですよね。
作者はコモンブレットを秩序の象徴として、カレーを混沌の象徴として描こうと思っていたらしい。
秩序とは、社会のルールのようなもので、混沌とは、それを守るだけじゃなくて、その先にはなにがあるのかを見つけることもそれもまた人間だろうということ。
荒廃してしまった世界。なぜこの世界が荒廃しているのかというと、昔このコロニーで月を居住可能な星としようと試した結果、月が落ちてきてコロニーの人間は全員滅んだみたいなんですね。
だから、教会は科学技術を禁忌として扱い、人々がまた科学による発展で滅びないように、コモンブレットしか食べ物は存在しないと教え、ここが地球であると教え、情報の統制を行っている。
でも、主人公のハルカはコモンブレット以外の食べ物を食べてはいけないという禁忌を破って、カレーを探している。ここで面白いのは、ハルカが禁忌を破ることを全然重く考えていないことなんですよね。現代人の自分たちの考えでは禁忌に類するものは法律だと思うのですが、それを破ることは多少なりとも後ろめたさや本当に破っていいのか?という気持ちになりますし、また破ると決めたときも、それなりの覚悟を持って破るのだと思うんですよね。
でもハルカは禁忌を破ることを躊躇していない、そもそもそれって悪いことなの?くらいの気持ち。なぜハルカがこんなに躊躇しないかのかを考えると、ここが作者の言いたいところなんじゃないかな?と思います。
つまりは、周りの同調圧力に負けずに、自分がしたいと思ったことをしていいということを言いたいんじゃないのかな?と思うのです。しかし、この物語の世界は説明した通り、自分がしたいと思ったことをやった結果一度世界が滅んでいるんですよね。それでも、自分がやりたと思ったことをやっていいと言えるのはなぜなのだろうか。たぶん、自分がやりたいことをやっていることが自分だからなんだ。3巻でハルカが
カレーが美味しくて幸せっていうこの気持ち
これが私たちの真実だー--!!!
このセリフはハルカ達が自分たちは純粋な人間ではなく、機械がなにかかから作り出した人間のコピーなんだということがわかったあとで、ショックを受けている友達に向けて言った言葉なんですが。これをみたときにペトロニウスさんの
この記事に書いてあった
自分が、自分であることは、好きなことを喜んでいるという
反応のなかにあります。
これを思い出したんですよね。自分が自分であることに対して自信を持つためには、目標を持つこと=好きなことを見つけること。つまり、ハルカはコモンブレット以外の食べ物を見つけること(カレー)が彼女にとって自分が自分であるという証明、自信なんですね。この証明が取り上げられてしまったら、自分が人間ではないと知った友達のように、自信を無くして動けなくなってしまうのではないかなと思うのです。
だから、もしかしたらこの行動の先が、人類の滅亡という未来に繋がっているのだとしても、それはその時になってみないとわからないこと、いま自分が動かない理由にはならないんだということなんじゃないかな。
やはり、夢を追ってもいいんだという物語の類型はなんだとろうと、パッと頭に思い浮かぶのは宮崎駿の『風立ちぬ』ですね。
これは、宮崎駿が久々に男性を主人公にして、美しい飛行機を作りたいという少年の夢を叶えると、その先に待つのは戦争の道具として使われる兵器を作り出してしまうというもの。しかし、宮崎駿はそれでも美しい飛行機を作っていいんだ!夢を叶えていいんだ!と喝破したことを思い出さずにはいられません。
この宮崎駿が夢を追うとこを肯定したことに対する感動を味わったことのある人なら、ハルカが言った言葉に痺れないはずがないと思う。
それと、このセリフが自分に深く刺さった理由がもう一つあって、ハルカの友達が自分は人間じゃない存在なのかもしれないとショックを受けているけど、ハルカは自分の好きなものを好きだと感じるこの気持ちがあればそれでいいじゃんと言っている。これって、つまり人間か人間じゃないかなんていうのはそもそも問いが間違っているんだということなのかなって。昨年公開されていた『アイの歌声を聞かせて』を観たときに、ここまで機械を相手に友達だと感じられるのはなぜなんだろう?と思っていたり、最近読んだ『僕の妻は感情がない』では機械を妻にしたいと思う気持ちってなんなんだろう?って、自分にはない気持ちだったので不思議だったんですよね。あ、ちなみに『僕の妻は感情がない』の4巻で妻を両親に紹介したときの話がとても素晴らしいのでぜひこれは読んで欲しいですね!!
えっと、不思議だったんですけども、ハルカのこのセリフを観たときに、あー!そうか!そういうことだったのか!ってなったんです。
好きなものがあればそれはもう、それでいいってことなんだ、人間とか機械とかそういうことじゃなくて、好きなものがあればそれでいいんだって。
なんか、うまく言えてないと思うのですがそんなことを思いました。
■夢を追った先にあったものは
夢を追った先にあったのは、カレーを追って行ったらもうそこにカレーは存在しないという事実・・・。
しかし、カレーがないなら作ればいいじゃないか! という展開になってここでも驚きました。そうだよね、カレーはもうレトルトのカレーしかないけれども、新たに自分で作り出すことができるんだよね。そして、カレーはカレーライスだけじゃなくて、そのほかにもいろいろなカレー料理が存在するのだから、まだまだ食材を探す楽しみがあって、まだまだ冒険は続いていく。