『見上げると君は』 小堀 真著 きみは悪くない!!
こちらの作品を知ったのはツイッターで見かけてからなんですが、コミックスを買えたのがつい最近です。読んでる最中、ものすごく多幸感に溢れてる物語で、渋木君の変わりたいって気持ちと実際に行動する姿に、渋木君すごいなって・・・、涙がでます。
夜に御免なさい、本日最新話公開です!
— 小堀真のついったー「見上げると君は」講談社マガジンポケット、pixivコミックにて公開中 (@miageruto_mako) October 7, 2019
ご存知の方も多いかもしれませんが
「見上げると君は」は33話をもって一旦一区切りとなりました。
まず、この物語を知ってくださった皆さん、読んでくださった皆さん、応援してくださった皆さん、本当に有難うございます!ここまで来れたのは皆さんのお陰です。
どうやら4巻で一旦終わりなんですね・・・・・、いやほんと好きな作品が終わってしまうのは悲しいな・・・・・。なんか今から売り上げが上がって続いたりしないかな・・・・・・。
と思ったので。
記事を書いて宣伝すればちょっとは貢献できるんじゃないか!?
ってことで記事書きます。下記サイトで3話まで見れるので是非、2話の渋木君と高峯さんが自己紹介するシーンがもうほんと美しくって、なんか脳内で超えもい曲つきでPVが再生されるので是非ね!!
渋木君は好きになった女の子に告白するのですが、その子から私は背の低い人はタイプじゃないと言われてしまいフラれてしまうんです。自分はいま書いてる時点で涙が溢れてくるんですが、自分の身体的特徴を否定されることってものすごくツラいことだよなって思うんです。自分も容姿にまっっっっっっっっっったく(多い) 自信がないのでその気にしている部分をもし否定されたらそれがトラウマになってさらに自信を喪失しますよ、絶対。
でね、渋木君は失恋して一人の時に静かに泣くんです、好きな人から自分の身長が低いことを否定されて、それってどうしようもないことで、じゃああとなんセンチあればよかったんだろうって。
だれか他人から、否定されたときってそのことについてぐるぐると考えてしまうもんだと思うんです、どうすればよかったんだろうって。でも他人の価値観で否定されたことって、それはその人の価値観に合わせるか、変えるかでしか解決できないと思うんです。それってほぼ無理です。それは歴史が物語ってます。
まして、身長なんてどうすることもできないこと。この恋は終わりです。と簡単に割りきれたらどんなにいいことかって感じで、渋木くんは『好きな人』から否定されたことが軽くトラウマになってしまう。身長が低かった自分に。
でも、それが、偶然出会った、高峯さんによって救われる
「”好き”に身長は関係ないよ」
「フラれたのは君のせいじゃない」
「君は何も悪くないよ」
「僕…悪くないの…?」
「悪くない」
「そんなことで君が2日も悩むことない」
あぁ、そうなんだ 僕わるくなかったんだ
渋木君は自分の身長が低かったからフラれたんだという、自分に非があったという思い込みからきてることなんですが、この自分のことを信じれない感覚というのがあるよなって思うんです。
最近読んだ『魔法が使えなくても』で出てくる岸君がなんて自信がない人間なんだろうと感じて、自信ってのはどうやら誉められた経験があればあるほど持てるものらしいので岸君は誉められた経験が人生でほぼなかったんだろうなと思うんです。
『見上げると君は』に戻して、渋木君が立ち直れたのは、自分の身長が低い自分が悪かったんだという思い込みを、それは違うって言ってくれたからで、自分に対する自信を取り戻せる体験や経験が重要なんだと思うんです。
『けものフレンズ』のサーバルちゃんって、かばんちゃんのことを沢山誉めてくれて、だからかばんちゃんは怖いものにも立ち向かえる勇気が、自信が持てたんだと思うんです。
だから、渋木君が高峯さんに出会えたことで自信を取り戻せた。そのことはとても幸運で、作中でも「きせき」という言葉で表現されているように、奇跡的な出会いですよね。
でも、現実にこういったことがあったとき、こんな出会いは奇跡のような確率で、たいがいは出会えない。だけど、本を開けば”ここ”にあって。そのことに感動する自分の感情は現実で、それって物語のなかの出来事な空想じゃないと思うです。だから自分は物語や本を読んでる面もあります、物語に救われるこの気持ちは現実だよなーって。物語を楽しむことが奇跡に出会う確率をあげられる方法ってこと。
渋木君が救ってくれた高峯さんに対してヒーローのように感じてるんだけど、ヒーローからもらったものを返そうとするのが良いですよねぇ、「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」を読んでいてなるほどなぁと思ったのが
人間関係は「おみやげ」を渡し合う関係が理想だと思っています。
お互いが「おみやげを」渡し合えている限り、関係は続いていくと思っています。
でも、どちらかが「おみやげ」を受け取るだけで、何も返さなくなったら、その関係は終わるだろうと思っているのです。利害関係とは、ちょっと違います。「おみやげ」関係は、もっと人間同士の受け渡しというか、大きなことからささいなことまで、物質的なことや精神的なこと、気持ちまで含んだ大きな関係のことです。
鴻上尚史さんの回答はどれも具体的な体験談などで回答されていて、とてもすごいなぁと毎回感心してしまいます。
自分は対等な人間関係が好きだなぁと思っていて、『1518!イゴ-イチハチ!』の幸と公志郎とか、『かぐや様は告らせたい』のかぐやと御行のような、相手と対等になろうと行動する姿が好きなんだと思うのですが。 (『事情を知らない転校生がグイグイくる。』の西村さんが4巻で頑張ってる姿をみて涙が…)
渋木君が『変わりたい』と思って行動してるのって、高峯さんにしてもらうばかりの自分じゃなくて、「おくりもの」を渡せる人間になりたいからですよね。自分はこの渋木君の決意とそして行動する姿が素晴らしいと思いました。
1巻で渋木君が高峯さんに「僕、もっとたかみねさんのこと知りたい」と言ったあとの高峯さんの顔がきょとんとしていて、高峯さんてもの凄くかっこいいから周りに人が集まってるくるんだけど、でも恐らく面と向かって『あなたのことが知りたいです』と言われたことってなかったんじゃないかな? 高峯さんの周りに集まってくる人たちは高峯さんのファンで、アイドルに近い認識で、自分とは違う人間なんだっていう認識なんですよね、だから自分に推し量れるわけがないと関係に一線を引いてるひとがほとんどだったんじゃないか?と思うのです。
それを渋木君は一線を越えて”踏み込んだ”んですよね。それが高峯さんにはとても新鮮な経験だった。だからきょとんとした顔をしていたのだと思います。そして、この一言が高峯さんのなかの渋木君の見方が変わった瞬間でもあって、だから「次は私が会いに行く」と自分から渋木君に会いに行く。人とは自分の方に集まってくることが日常の高峯さんが、会いに行くことを決めたんです。恐らくこの瞬間、二人の関係は対等になっているんだ。
と、ここまでが1巻の内容で、次の記事に2巻以降のことを書きたいなぁと思ってます・・・。
いやぁ、絵が物凄く綺麗で引き込まれるんですよねぇ。世界がきらきら輝いてるってのがとても感じられて、いいなぁって思います。