今日も一日健やかに物語を

おもしろいと思ったものを

『乙女怪獣キャラメリゼ 7』蒼木スピカ著 ついに謎が明かされた

乙女怪獣キャラメリゼ 7 (MFコミックス アライブシリーズ)

ちょくちょく出てきていた怪獣になっちゃう理由が明かされ、物語が前進。でも怪獣擬態の先に待つのは完全な怪獣化という設定。これを黒絵は拒否しているけど、どう解決するのだろう?愛の力という線はすでに謎の部族の族長の花嫁が怪獣化から逃れられていないことからこの線は物語的に潰されているのが面白いところ。

 

しかし、なぜ怪獣は人間に擬態する能力を獲得したのかな、擬態してまで入り込みたかった理由があったんだろうか?

 

いろいろ同じような設定の作品はあるけれども、怪獣が人間に擬態しているという設定になに新鮮味を感じるのはなぜなんなだろう?

 

全然関係ないけど、例えばゴジラなんかの怪獣を擬態化させて現代に潜んでるバトル漫画とか面白そうな?怪人8号とは違う感じがする。

 

片田舎のおっさん、剣聖になる~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~1 乍藤和樹著 佐賀崎しげる原作 何者にもなれなかったおっさんになったっていいんですよ。

片田舎のおっさん、剣聖になる~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~ 1 (ヤングチャンピオン・コミックス)

辺境にいた只のおっさんが、実は只者じゃなかった、、、!

一昔前前だったら、このおっさんなる人物像は「やれやれ系」のやる気ないけど、やる気出したら凄い。や「若い子相手に本気出せないでしょ?」みたいな、人生擦れているようなおっさん像が印象にある。

でも、このおっさんは違ってて、自分が本当になんでもない人間だと思ってたり、自惚れてはいけないと自己評価が低かったりする。

この人物像、これって本当に現実世界にもいそうな、ただのおじさんなんじゃないかな。

だけど、会社にるただのおじさんも、実は飛び抜けて凄いスキルを持っている人がたまにいる。凄いスキルを持っているおっさんは出世できて、役職持ちで、、、なんて現実はそんなスキルがあるだけじゃだめ。必要なのはスキルと社内の政治力なんですよね。(日本はそんなイメージ、アメリカとかはそうじゃないのかな?)

そんなおっさんは、自分が凄いスキルを持っていても気がつかない、披露する場もない。でも自己研鑽は続ける。日本はこんなおっさんに支えられていると思う。

 

さらに、この片田舎のおっさんの凄いところは次世代へのリスペクトをしているところ。

自分の技術を惜しみなく伝えて、しかもちゃんと伝わってる。そして、教え子が王国の騎士団長まで上り詰めている。

この、次の世代にちゃんと教えられるところが本当にすごい。会社員の仕事って考えると理想はちゃんと後輩に教えて、仕事を手伝ってもらったり、助けてもらうってのがあると思うけど、実際にはそんなの自分の仕事が忙しくてほとんど無理だったり、そもそも教える機会がなかったり、教える技術がなかったり。

だからちゃんと伝えられるおっさん、本当に凄いです。でも、こういったおっさん、本当は世の中にいるのかもしれない。ここまで凄くなくても。

 

この作品、エンタメとしても殺陣の演出が素晴らしいので楽しいのだけど、物語としても、何者にもなれずにおっさんになっちゃったけど、真面目に研鑽して、次世代に優しくして、ちゃんと伝える。ってことをすれば、それで良いんだって、このおっさんを見てればそう思えることが素晴らしい点なんだと思うんですよ。

 

続きが気になるー。原作小説はどんな感じなのかなー?

『アニメを作ることを舐めてはいけない』富野由悠季著 富野監督凄いっす。

アニメを作ることを舐めてはいけない -「G-レコ」で考えた事- (単行本コミックス)

まず、驚くのは富野監督は宇宙開発なんてするな!!と発言していること。


Gレコの解説本だと思いきや、地球の未来について監督が考えていることが書かれている。

 

おそらくこのまま宇宙開発が進めばガンダムの様な宇宙移民対地球人類の構図、そして地球環境の汚染による人類の滅亡のような未来がくることを監督は危惧しているのではとこの本を読んでいると思ってしまう。

 

軌道エレベーターがあるのはファーストガンダムからの歴史をよく考えた上であることがよくわかる。というか腰を抜かす。

『ルート』秦 和生著 夢の先にまた夢が

ルート ~雪の王国 目覚める星たち~(3) (パルシィコミックス)

最終巻だったんですね、、、。

この物語がどこに辿り着くのか捉えられなかったので、どこに行くのか分からなくて続きを楽しみにしていました。

物語の軸が2人の主人公の女性と王子ある。

女性は女でも勉強をしていい世界を、学んでもいい世界を作りたいと考えている。

王子は南からの脅威を防ぐために北と同盟を結び、戦争の無い平和な国にすることが目標。

最終巻で描かれた、王子が成し遂げたい夢=北と同盟を結び南からの脅威を防ぐこと の「先」はどうしたいのか?というのは目から鱗だった。

ここで、まさか女性の夢と交わるとは思っていなかったのでとても驚きでした。この展開が凄く面白い!

南からの脅威が去った後は、外交に力を入れていくことや、他国に侵略されないように国を強くするために豊かになることなどが考えられますが、その大元になるかもしれない「学校」を作る事で解決すようとする。

2人の主人公の物語が交差したあと、なにが起こるのかとても気になる展開ですが、ここで終わりですので、あとは妄想しながら楽しむとします!

次回作もあるといいなー。

『花弁抄 野菊を焼く』 JOY著 こんな素敵なお爺さんになりたい

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1623827


いまから亡くなった方を火葬するときに、火葬場に響く「そのひと焼かないでください!」という声。声の主は花束を持って現れた若い女性だった。

 

親族の誰も、現れた女性のことを知らないし、突然現れた若い女性に戸惑うのですが、確かにこれはよくわかるなと思うんですよね。親族の方々は亡くなったお爺さんと同じような年齢層で、お爺さんが若い女性と出会う可能性、しかも火葬場まで駆けつけてくるような関係性を築くことができるなんて、普通の関係ではあり得ない、つまりなにか「いかがわしい」関係なのではないか?と連想してしまったのではないかな。

 

しかし、お爺さんの孫は女性が現れたことに対しての驚きが他の親族と比べて少ないように見える。これはこのあとでお爺さんと女性が出会ったきっかけがSNSだったとわかるのですが、孫はそこの可能性に思い当たらずとも、普通に出会うかもしれない可能性があるのではないかと無意識に感じているのではないでしょうか?ここで世代間の価値観の違いを表しているんですよね。

 

そして、お爺さんと女性はSNSで出会ったわけですが、コンタクトを取ったのは女性からなんですよね。自分とは半世紀以上も年の離れたお爺さんが、温室の写真ばかり上げているのに、クジラが見たいとプロフィールに書いてあるセンスに惹かれたのが理由。

 

この作品のテーマをここで思い至ったのですが、それは「年の離れた友情は芽生えるのか?」ということ。

 

彼女はお爺さんと直接会って、クジラを観に行ったようで、そこで出会ったお爺さんの姿勢の良さとか、服装のセンス、豊富な知識、相手を尊重する態度。どれをとっても素敵な人間なんですよね。素敵な相手だからこそ、この関係が長続きできないことを想像してしまい好きになったら別れがつらいから好きになりたくないと思っているのではないかな。

 

ですが、女性はお爺さんの火葬場に来てしまう。お爺さんとの思い出を楽しそうに語る。女性はお爺さんのことを好きになってしまっている。だから亡くなったことに、ショックを受ける、寂しく思う、胸が張り裂けそうなくらい痛くなる。また会いたいと思ってしまう。

 

でも、ラストでお爺さんの孫から「柴崎さんしか知らない祖父の話 もっと聞きたいんです」と言われることで彼女(柴崎)は気が付いたのかもしれないんですよね。誰も知らないお爺さんの姿を柴崎さんには見せていた。つまり、お爺さんにとっても柴崎さんが特別な存在だったということに。それは、柴崎さんとみたクジラがいた場所に咲いていた野菊と一緒に焼いてほしいと願ったことからもわかります。

 

お爺さんと女性の間に友情は芽生えたのか?はもう言うまでもなく、わかりますよね。

 

世代を超えても、魅力的なひとには友達ができるんですね。おじいさんのように。

 

今回のコミティアで偶然発見した作品だったのですが、表紙からの試し読みさせて頂いて、絵が凄くて、その凄さが物語の面白さを引き出してて、これは自覚的にこの絵の凄さを使っているのでは!?と思うぐらいに素晴らしいかったと感じ、購入しました。応援したい作家さんが増えて嬉しいですねー!

『千古の風をゆく者』 2019年 海苔著 自由はどこにある?

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三◯◯年前、レオタナ帝国に反旗を翻した者たち

レオタナによって冷遇されていた者、

ある理想を掲げた者、

貧困にあえぐ者

様々な理由で帝国への不満を募らせた者たちが、

レオタナの東、巨大な山脈の向こうに旅立った。

彼らは自らを『シバル(新しい者)』と呼んだ。

新たな地には十五の氏族からなるルシタル人が住んでいたが、

シバル人は、あるときは彼らと剣を交え、

またあるときは友として彼らと交流し、

そこにシバル王国を築いた。

ルシタル人のなかにはシバルとともに生きた者、

戦って散った者、

北へ去っていった者もいた。

ルシタルとシバルが混ざり合った強大な王国が興って以来、

それを脅威とみなしたレオタナ帝国との戦いが、

幾度となく繰り広げられることとなった。

二巻冒頭より引用

 

 

第一巻を読んだのは2019年のコミティアで見つけてからだったと思うのですが、上橋菜穂子さんの『獣の奏者』や、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を彷彿とさせるハイファンタジーの世界観に魅了されてしまったのを覚えています。2巻を最近Boothで買えることを知って、即購入しました。

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この物語の主人公は二人の女性だと思っているのですが、一人は竜に乗って戦う身分の女性と、もう一人はおそらく滅ぶ寸前の国のレオタナ帝国の姫の二人です。

 

竜乗りの女性、テアは元ルシタル人で、シバル人に親を殺された過去があります。

レオタナ帝国の姫、ネビリアは母親が父親に愛されてはいなかったこと、そしていままた自分が道具のように扱われそうになっていることに怒りを感じています。

二人とも共通するのは、大きな力に理不尽に大切なものを奪われている点ですね。

 

2巻を読むとわかるのですが、シルバ王国は様々な氏族が混ざり合った国だと想像できるのでもしかしたら差別的意識が低いのではないか?と想像していましたが、どうやらレオタナ帝国と同じように男尊女卑の国であるということが伺えます。そして、作者さんがスピンオフとして描かれている物語が2作品ありますが、どちらもルシタル人にスポットをあてており、シバル人とルシタル人がまだ争っている最中の時代の話のなかでもルシタルの女性も道具のように扱われていました。

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この物語の中では様々なところで、女性であることによって被る不幸が描かれているところをみると、この作品のテーマここにあるのかなと思います。なので、テアと、そしてネビリアの二人が主人公であると思ったんですよね。

 

テアは女性であるにもかかわらず、男の恰好をし、自分が男であるかのように振舞っています。おそらくですが、男尊女卑の世界に生きているので、男であると誤認させることで男に見下されないようにしているのではないでしょうか。しかし、なぜそうしているのか?と考えると思いつくのは、テアはまだ親を殺された復讐心を忘れてはいないからだと思います。竜乗りになれるのはルシタル人の中でもある条件にあった者しか乗れないのだと思います。しかし、男尊女卑の風習のある国なので、女性では軍隊にはいることは難しかったのではないでしょうか?だから自分が男であると偽っているのではないか?そして、軍隊の中で成果をあげてなにかをなそうと考えているのではないでしょうか?

 

ネビリアは、シバル王国との同盟のために嫁がせることが決まっているようです。彼女に決定権はありません。それが現代の自分の視点からみると悲しいことではあるけれども、この作品の倫理観がどうなっているのかわかりませんが、建物や、武器などを見るにおそらく中世以前なのではないでしょうか?

 

そう考えると面白いのは、一巻の中でネビリアが「自由」という言葉を使っていることです。調べてみると「自由」という言葉が使われ始めたのが僕らの世界では十八世紀頃だと理解したのですが、この物語の世界には自由という概念があるところが面白いです。

 

そして、この「自由」というのが上で書いた自分がこの作品のテーマであると思っていて、女性であることによって被る不幸から脱出するために「自由」を欲しているのだと思います。だとすると、テアは功績を上げて自由を勝ち取ろうとしているのかもしれないですね。

 

ネビリアはというと、一巻のラストでネビリアの父であるレオタナ帝国の王が暗殺されてしまいます。しかし、そのことをネビリアは悲しんでいない。そして、父が死んで自由になれるはずもなく、叔父(おそらく父を殺した主犯)が国王になるであろう、その叔父もまたネビリアを政治の道具に使うであろうから彼女は自由にはなれない。どうしたらネビリアは自由になれるのでしょうか?気になるところです。

 

一体この物語がどこにたどり着くのか、とても、とっても、とー--っても気になります!!!!!ぜひ、ぜひとも続きが読みたいです!!

 

 

他にも、世界観が素晴らしいなーと、宗教を描いているのでそこから人々の倫理観をうかがうこともできたりするし、シバル人がルシタル人を吸収できた理由もいろいろあるんだろうなーとか、面白そうな要素が満載なので、ハイファンタジーが好きな人は是非とも手に取って読んで欲しいです。そして感想とか今後の展開予想を是非聞きたい、、、(笑)

『わたしを離さないで』 カズオ•イシグロ著 まだ途中までですが、、、。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

仕事の行き帰りにちまちまと読んでいてでまだ途中なのですが、大変面白く、興味深かったのでいま感じていることを残しておきたくて書いてます。

舞台は1990年代のイギリスを背景にしたSF、子供達が暮らしているのはとある施設。彼らは「提供者」になるために産まれてきた存在なのか、、、?

 

 

読んでいる時に『約束のネバーランド』が脳裏に浮かんでくるのは自分だけじゃないはず

 

約ネバは鬼のような化け物に喰われるために生きているのに対して、『わたしを離さないで』の子供達は人間を相手に臓器を提供するために生きている。

 

どちらも子供を食い物にする話ではあるけど、化け物か人間かという違いでこれほどまでに恐ろしい物語になるのかと。

 

相手が化け物であれば、人間ではないから酷いことが行われてもそういったことをする生命体なのかもしれないと納得ができるのだけども、こちらの物語で臓器を提供する相手は子供達と同じ「人間」。

 

相手が未知の化け物ではなく、人間であると描かれることによって、自分がいままで見てきた「人間を食べる怪物」作品たちは、もしかしたら怪物ではなく人間だって人間を食い物にしているということを表現したかったのかもしれないとおもったんですよ。

 

臓器を提供する、という事でなくても、何か、労努力とか若さとか時間とか、を提供しながら人間生きています。けれどもなにかを提供しながら生きていくことは悪だ!と断罪するのが「人間を食べる怪物」の作品群が伝えたいことではなく、じゃあどうやってその現状を認識して、どう受け止めるのか、そんな状況のなかでもなにがあったら生きていけるのか?が伝えたいことだと思います。

 

なので、まだ途中ですが『わたしを離さないで』では、なにがあったら生きていけるのか?がテーマであると考えて読んでいきたいですー。