今日も一日健やかに物語を

おもしろいと思ったものを

『死ぬときはまばゆく』小鳥游ミズキ著 いい展開だなぁ。逃げずに答えを出そうとしてる

死ぬときはまばゆく 5巻 (デジタル版ガンガンコミックスUP!)

面白いなーと思いつつ、どこがおもしろいのか?を説明できなかったのですが5巻まで読んで、ようやくどういう物語なのか?が解ってきました。

 

母親から愛されなかったトラウマをどう解決するのか?ここで彼氏が出来て、ハッピーエンド!にはならないんだよねぇ。やっぱり母親から愛されなかったトラウマは残っていてこのトラウマは母親との関係性を再構築することでしか克服できないんだと。うーん、そうなのか。

 

そー、考えると『凪のお暇』とかもいま現在そんな感じだし、『トクサツガガガ』は現代風にこれを解決してたから凄かった。『死ぬときはまばゆく』の母親が言ってたことがまさにそうで、「相手を見ていない」からこじれてる。愛を求めるなら愛を与えないとなんだな。うーん、そうか。

 

主人公が母親から愛されたいから、色々、勉強を頑張ったり、家事をしたり、可愛くなるために整形したり。でも、全部相手がなにを望んでいるのかを見ていないんだよね。もちろん人生経験の少ない子供が、親がなにを好きなのか?なにに対して喜びを感じるのか?を想像するよりもさきに愛されたいと思うのは当然のことですが。

 

『凪のお暇』は、母親がどう生きてきたのかを想像して、一人になる時間をつくってあげていたり、『トクサツガガ』でも、母親の趣味を想像してあげて、好きなものをプレゼントしている。うぉおお、そうだよなぁ、そう考えると自分は全然親孝行出来てないかもな、、、。

 

親がなぜ子供に対してそう言った態度をとるのかもこれらの作品を読んでいるとわかりますね、ようは親の親から受けた仕打ちが原因なんです。ただ、それを恨んで、「父さんが悪いんじゃないか!」(シンジくん!)って言ってもしょうがないんですよね、トラウマを克服するためには、自分が大人になって親を許してあげないと。でないと自分の子供にも同じようにトラウマを植え付けてしまうかもしれないから。

 

はふー、このあとどうなるんだろうなぁ。続きが気になるなぁ。どうなっちゃうのかなー、、、。

 

 

 

『廃墟のメシ』ムジハ著 人間か人間でないか。そうじゃなくて、自分が自分であることに自信を持てればそれでいいんだ。

廃墟のメシ1 (アルファポリスCOMICS)

物語は昔少女が食べたカレーを探すために、命の危険も顧みずに危険な廃墟の中へと突き進んでいくというもの。

 

1度だけ食べたカレーライスの味が忘れられなくて、それを探すために死ぬ可能性のある冒険をする。というのがついこの間Twitterで見かけたこの記事

wired.jp

この記事は、アメリカ在住の記者が日本で食べたカレーライスについて紹介しているのですが、これを読むとカレーライスがいかに中毒性のあるものなのかが伝わってくるんですよね(笑)

なので、この記事を読むとハルカが命の危険も省みずにカレーライスをもう一度食べたい!という気持ちが、こういうことなのかって思うんですよね。

 

作者はコモンブレットを秩序の象徴として、カレーを混沌の象徴として描こうと思っていたらしい。

秩序とは、社会のルールのようなもので、混沌とは、それを守るだけじゃなくて、その先にはなにがあるのかを見つけることもそれもまた人間だろうということ。


荒廃してしまった世界。なぜこの世界が荒廃しているのかというと、昔このコロニーで月を居住可能な星としようと試した結果、月が落ちてきてコロニーの人間は全員滅んだみたいなんですね。

だから、教会は科学技術を禁忌として扱い、人々がまた科学による発展で滅びないように、コモンブレットしか食べ物は存在しないと教え、ここが地球であると教え、情報の統制を行っている。

でも、主人公のハルカはコモンブレット以外の食べ物を食べてはいけないという禁忌を破って、カレーを探している。ここで面白いのは、ハルカが禁忌を破ることを全然重く考えていないことなんですよね。現代人の自分たちの考えでは禁忌に類するものは法律だと思うのですが、それを破ることは多少なりとも後ろめたさや本当に破っていいのか?という気持ちになりますし、また破ると決めたときも、それなりの覚悟を持って破るのだと思うんですよね。

でもハルカは禁忌を破ることを躊躇していない、そもそもそれって悪いことなの?くらいの気持ち。なぜハルカがこんなに躊躇しないかのかを考えると、ここが作者の言いたいところなんじゃないかな?と思います。
つまりは、周りの同調圧力に負けずに、自分がしたいと思ったことをしていいということを言いたいんじゃないのかな?と思うのです。しかし、この物語の世界は説明した通り、自分がしたいと思ったことをやった結果一度世界が滅んでいるんですよね。それでも、自分がやりたと思ったことをやっていいと言えるのはなぜなのだろうか。たぶん、自分がやりたいことをやっていることが自分だからなんだ。3巻でハルカが

 カレーが美味しくて幸せっていうこの気持ち
 これが私たちの真実だー--!!!

このセリフはハルカ達が自分たちは純粋な人間ではなく、機械がなにかかから作り出した人間のコピーなんだということがわかったあとで、ショックを受けている友達に向けて言った言葉なんですが。これをみたときにペトロニウスさんの

petronius.hatenablog.com

この記事に書いてあった

自分が、自分であることは、好きなことを喜んでいるという

反応のなかにあります。

これを思い出したんですよね。自分が自分であることに対して自信を持つためには、目標を持つこと=好きなことを見つけること。つまり、ハルカはコモンブレット以外の食べ物を見つけること(カレー)が彼女にとって自分が自分であるという証明、自信なんですね。この証明が取り上げられてしまったら、自分が人間ではないと知った友達のように、自信を無くして動けなくなってしまうのではないかなと思うのです。

 

だから、もしかしたらこの行動の先が、人類の滅亡という未来に繋がっているのだとしても、それはその時になってみないとわからないこと、いま自分が動かない理由にはならないんだということなんじゃないかな。

 

やはり、夢を追ってもいいんだという物語の類型はなんだとろうと、パッと頭に思い浮かぶのは宮崎駿の『風立ちぬ』ですね。

風立ちぬ [DVD]

これは、宮崎駿が久々に男性を主人公にして、美しい飛行機を作りたいという少年の夢を叶えると、その先に待つのは戦争の道具として使われる兵器を作り出してしまうというもの。しかし、宮崎駿はそれでも美しい飛行機を作っていいんだ!夢を叶えていいんだ!と喝破したことを思い出さずにはいられません。

この宮崎駿が夢を追うとこを肯定したことに対する感動を味わったことのある人なら、ハルカが言った言葉に痺れないはずがないと思う。


それと、このセリフが自分に深く刺さった理由がもう一つあって、ハルカの友達が自分は人間じゃない存在なのかもしれないとショックを受けているけど、ハルカは自分の好きなものを好きだと感じるこの気持ちがあればそれでいいじゃんと言っている。これって、つまり人間か人間じゃないかなんていうのはそもそも問いが間違っているんだということなのかなって。昨年公開されていた『アイの歌声を聞かせて』を観たときに、ここまで機械を相手に友達だと感じられるのはなぜなんだろう?と思っていたり、最近読んだ『僕の妻は感情がない』では機械を妻にしたいと思う気持ちってなんなんだろう?って、自分にはない気持ちだったので不思議だったんですよね。あ、ちなみに『僕の妻は感情がない』の4巻で妻を両親に紹介したときの話がとても素晴らしいのでぜひこれは読んで欲しいですね!!

 

えっと、不思議だったんですけども、ハルカのこのセリフを観たときに、あー!そうか!そういうことだったのか!ってなったんです。

好きなものがあればそれはもう、それでいいってことなんだ、人間とか機械とかそういうことじゃなくて、好きなものがあればそれでいいんだって。

なんか、うまく言えてないと思うのですがそんなことを思いました。


■夢を追った先にあったものは

夢を追った先にあったのは、カレーを追って行ったらもうそこにカレーは存在しないという事実・・・。

しかし、カレーがないなら作ればいいじゃないか! という展開になってここでも驚きました。そうだよね、カレーはもうレトルトのカレーしかないけれども、新たに自分で作り出すことができるんだよね。そして、カレーはカレーライスだけじゃなくて、そのほかにもいろいろなカレー料理が存在するのだから、まだまだ食材を探す楽しみがあって、まだまだ冒険は続いていく。

 

 

『アネクメーネの訪問者』 春井安子著 世界の残酷さと、けれども人間はその残酷さに抗うことができる。

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booth.pm

この作品を読んでいて感じていたのは、平和な世界だけど、そこに存在している残酷さ。というものでした。

エリックは神父?から性的な虐待を受けていたかもしれなかったり。

エステルは足が氷でできていたことを村中から噂され、母親が生きていくために森の中に捨てられてしまったり。

ピーターはなにも悪くはないのに、彼の母親は病気で亡くなってしまったり。

本人はなにも悪くないけれど、残酷なことは世界に厳然として存在していて、いつ誰に降りかかるかわからない。


けれども

そんな残酷さに対して、人間は抗えるんだ!!


と言うことをこの漫画から感じるんですよね。


■エリックは『世界』に絶望していない。

この物語の冒頭は雪景色の中に佇む女性の場面から始まります。物語の冒頭に出てくる眼鏡をかけた青年がその光景をみて

「あぁ、美しいな」

と感じているのですが、たぶんこれを読んだ読者も同じようにこの雪景色の中に佇む女性の光景をみたら思わず「綺麗だな」って感じると思うんですよね。それくらいに素晴らしい画になっているんですよ!

青森を旅行してきたことを新幹線の車窓から見えた雪が降りつもる景色に思わず、綺麗だなぁって感動したんですよね。
思い出すのですが、そこで


このあと、眼鏡をかけた青年エリックは彼女に

「僕の妻になってもらえないだろうか」

と言うのですが、この言葉を出会って一番最初に掛けるのは悪手ですよね(笑)
もちろん、エリックだってそんなことはわかっていたと思いますが、目の前に現れた光景をみて思わずこの言葉が出てきてしまったのだと思います。それくらいにエリックがみた光景は美しく感動するものであったことがここから読み取れます。『トニカクカワイイ』のなさくんがナギちゃんにそのあまりの美しさから突然求婚したことを思い出します。

しかし、後々わかるのですが、エリックはどうやら孤児で教会にある養護施設で暮らしていたことがわかります。そこでエリックは性的な虐待を受けていたような描写があります。

そういった虐待を受けたエリックにとっては恐らく『性』を感じるものに対しては嫌悪感を抱いていると思うんですよね。専攻として地理学を研究しているところも人間を相手にするのではなく、自然を相手にすることを選んだ結果であるのかもしれません。

そんなエリックに対して女性エステルはスカートを捲り上げて脚を見せて私は子供を作ることができないわと言います。エステルの下半身は氷でできているからです。

でも、エリックはエステルが人でないことを知っていてそのうえで、彼女を妻に迎えたいと思っているんですね。これは上で説明した彼が性を嫌悪しているだろうということから考えると、エリックは彼女に対して『性』感じないからこそ、彼女を協力者に選んだのだと想像できます。

エステルがエリックに対して最初からスカートを捲り上げているのは、彼女の元に来るのはそういったことを求めてくるヒトがいたのであろうことが想像できる。

エステルに対して、エリックは君が普通の人ではないことは知っていると、彼女が女性だからでもなく、美しいからでもなく、彼女の性質が必要であるとわかったから、エステルは彼の申し入れを受け入れたのだと思います。

では、なぜエリックは彼女に『妻』になって欲しかったのかというと、孤児院にいる少年ピーターを引き取るためだったことがわかります。

ですが、エリックが過去のトラウマのせいで人間を愛せないのであれば、子供を引き取るという選択をとることはおかしいんですよね。

エリックがなぜピーターを引き取ろうと思ったのかを説明するために、ピーターのことを少し説明します。

ピーターは母親を亡くしており、そのため孤児院に引き取られています。父親の記憶は彼が話していないため、おそらく物心ついたときから居なかったのだと想像できます。

ピーターが話す母との思い出を聞いていると、この子がどれほど母親が好きだったのかがわかりますし、なおかつピーターがどれほど優しい子だったのかもわかります。

ピーターは好きだったものの話をしたかっただけで、同情を誘っているわけでもないんですよね。それはピーターが母を追って死のうとするのですが、つまり生きていたくて、同情してほしくて話したのであれば死のうとするわけがないからです。


では、エリックはピーターをなぜ引き取ろうと思ったのか? 多分、この世界を好きになって欲しかったからなのだと思うのです。

エリックは地理学を研究している先生で、それは人間を愛せない彼がこの残酷なことがある世界で、それでも世界にはまだ希望があるはずだと信じて、人間ではないものを選んだのだと思います。 

そんなエリックが、子供の純粋に母親を愛する気持ちをピーターから感じて、この残酷なことのある世界でも、こんな子供を絶望させたくないと思って引き取ろうとしたのだと思うんですよ。

エリックは人間に絶望しているけど、でもそれをピーターにも味わって欲しくはなかったのではないかと思うのです。だからピーターを引き取うとしたのではないかと。


そして、エリックは無事にピーターを引き取ることができるのですが、引き取るまでの過程を描写した箇所が印象的なんですよね。

 

…世の中には気持ちだけじゃどうにもできないこともあるんだよ。

この子を守れるのは結局、仲のいい友人じゃなくて役所が発行する紙切れ一枚、一人の人生を背負うには結婚もできないようなこんな解消なしではいけないんだ。

 


ピーターを引き取るために必要なのは、気持ちだけじゃなくて、それを社会的に認めさせられることのできる証明が必要なんですね。人ひとり助けるために必要なことは気持ちだけじゃだめなんだという社会のシステムこれもまた、平和な世界にあるちょっとした理不尽さ、残酷さを感じてしまいます。

 

エステルが『人間』になった日

そして、そこで自分の協力が必要だったのだとエステルは理解する。
でもエステルはそのことに対して怒ったりしないんですね、なぜなら彼女もまたピーターのことを好きになってしまっているから。

ピーターが二人のことをまたヒトから人間にしてくれたんですね。人間という文字は、「世の中」「世間」「人の世」を表すもので、つまりは人と人の間にいるから『人間』なのだということ。ピーターを通じて、エリックはエステルとピーターと。エステルはエリックとピーターと関わり、人間として生きていくことも悪くないということを感じたのではないかと思います。

エステルの言う

だってあなたが私をまた、人間にしてくれたのに

という言葉はまた違う意味になります、彼女が人間ではなく、化け物かなにか違うものであるから母親から捨てられたのだと思うことで、彼女は自分を納得させていた。しかし、エリックが人であると認めて、書類上にも人であるということを示したからこの言葉があるんですね。

ピーターの言葉でエステルは自分の体質についての人とは違うことが、悪いことではなく、良いことでもあることに気が付かせてくれた。


■ピーターの孤独

ピーターはエリックとエステルという家族を得たことで、母が本当にこの世にはいない、自分は孤独になってしまったのだということに気がつきます。
ピーターは寒い日の夜に、母のいるところに行こうとする=死のうとする。そのことを知ったエステルは自分がいた冷たくて、寒い場所に、神様の国には母親は居ないと言います。そして、そのあとに人は独りぼっちであること、愛する人がいてもそれは他人だから、いつまでも一緒にはいられないのだと。そのことに気が付いてみんな大人になっていく。でも、大人はずっと遠くまで行くことができる。また新しい景色を、縁を見つけることができるですね。そうして、ピーターは母親との別れを受け入れ、いまはまだ子供だから自分の足でどこかに行くことはできないけれど、大人の助けを借りて行くことはできる。

このあとに、ピーターがエステルに背負ってもらいながら帰るシーンは、物語の始まりで美しい景色をみた対比として、人間にも美しいところがあるのだと、これが残酷さのある世界でも、人間が人間に絶望することなく、希望はあるのだと、めちゃくちゃに感動するシーンになっているんですよ!!!

この記事は、この部分が書きたくていままでの部分を書いていたといっても過言ではない!!

家族のなりかたは人それぞれなのだと、この本を見た人は必ず思うはずです。おすすめの作品なので是非とも読んでほしいですね!

 

 

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『灯火は明ルイ』 やらゐ著 自分と正反対の人間から自分を知るということ。

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やらゐさんの新刊!これはゲットしなければとあれやこれやの手を使って無事ゲットできました。


ですが、モニカは存在自体は知っていたのですが、どんなバンドなのか全然知らないで1回目を読みました。やらゐさんの手腕のおかげもあり、二人の関係性をなんとなくは察せたのですが、イベストの内容とか、450円てなんだろう?と。


実を言うとバンドリ自体はモニカが追加される前からイベストを見てなかったんですけども、今回モニカ本と言うことで、イベスト履修してきました。

いやぁ、久々に見ましたけど、やっぱりバンドリは面白いですねぇ。モニカはその名前、変化と調和をテーマにした物語なんですねぇ。

 

ではイベストも見たことですし、やらゐさんの本を読んでいくとしますか!(2巡目)

以下は本文の内容に触れるため、ネタバレ注意です。


やはりここは触れておきたいのですが、、、やらゐさんの描くキャラクター

 

めちゃくちゃ可愛くなってませんか!!??? 

 

その可愛さから描かれる瑠唯のファッションショーは、もうバンドリ界に激震が走るページになっていると思うんですよ! 正直な話、この瑠唯のファッションショーを見て、あれ、瑠唯って子可愛いな?ちょっとバンスト見てみようかなと、モニカが気になる切っ掛けになったのは間違いないです。(ページを載せていいのなら載せたいくらいです!!)

 

それと、瑠唯は表情の変化に乏しそうな子なのですが、やらゐさんの描く瑠唯からは流石表情による表現を大切にしている方だけあって、いま彼女がどんな気持ちなのかが伝わってくるんですよね。でも、表情を隠した方がいいときはちゃんと隠すところがまた、、、。


さて、初っ端から脱線してしまったので、本の内容に戻るとしますか。つくしと瑠唯のキャライベの会話から透子が自分のブランドを持っている設定を持ってきたのは素晴らしい着眼点ですよね。確かに、プロに任せているならば、透子が見繕ってもおかしくはないわけですよ。(もちろん、透子は衣装デザイナーなのでデザインをしているだけであって、コーディネートをするプロではないので厳密には違うと言えなくもないのですが、そこは透子の押しの強さで流してしまえる些細な問題でしょう。それよりも気になるのはつくしと瑠唯の会話をどこで知ったかなのですが、まぁこれも些細な(以下略))


450円を物語のなかに取り入れている点が、なるほどだなぁー。モニカ2章を履修した人ならばわかると思いますが、この450円は2人とってこれから必ずキーアイテムになるものですよね。


450円はモルフォ2章にて、透子がカフェで会計の際、ICカードにお金が入ってないことに気づかず、また現金も持ち合わせていなかったとき、瑠唯が450円を代わりに払ってくれたこと。


恐らく、透子と瑠唯を喧嘩させるために差し込まれたエピソードなのだけれども、その後の後日談で透子が返しにくるのにその時も返していない。このやりとりで思い出すのは『文学少女』なんですが。井上心葉が図書館の本を弁償するために渡した460円の弁償代に500円玉を支払ったあとに、琴吹ななせが50円玉を渡してさらに心葉から10円返してもらおうとするエピソードがあります。琴吹ななせはこのとき貰った500円玉が二人の関係をつないでくれるアイテムとして認識しているんですね。と、すると透子と瑠唯のこの450円は2人の関係性を表すアイテムとして今後も使われていくものだと想像できますよね。


二人の関係性を少し説明すると、透子と瑠唯はお互いがお互いを真逆の人間であると認識している。だけどだんだんお互いを知っていくことでいままで自分の知らなった一面を相手から発見されていく。透子はいままでなんとなくでウマくいった経験しかなかったことを瑠唯に指摘され、そんな自分を再び見つめ直す。いままで、本気で取り組んでなかったことを自覚する。瑠唯はいままで合理的に生きていくことを是としていたところを、透子から感情を見つめてみたらどうか?と言われて、感情で動いた先になにがあるのかを知るためにモニカに加入する。


となっています。モニカ2章をみると

ルイのこと、得意か苦手かって言ったら間違いなく苦手。
ノリも合わないし、気に入らないこと平気で言ってくるし。
あいつとバンドで一緒になってから、一生分ムカついてる

けど、ムカつくことだけじゃないのが、ムカつく……
あいつと一緒に弾くの、楽しんでる自分がムカつく。もしかして、
あいつがあたしを変えたのかもしれないのがムカつくよ、ホント。

 

これは透子の言葉なのですが、これが「学校」というシステムのなかで得られるものなんですよね。
学校とは、家族とは違う、自分と同じ年頃の他者を知ることができる場所です。そのなかで自分とは違う価値観で生きている人間に影響されたり、逆に影響を与えたりする場所なんだと思います。モニカは変化と調和をテーマにしたバンドということで現代社会のテーマとリンクするところがあるので、モニカの記事もどこかで書きたいなーと思いつつ、、、。


やらゐさんの本では、透子が瑠唯から「面白がっているでしょう?」と言われたことに対して怒っているわけですが、これは透子は瑠唯も一緒に楽しく服を選んでいたと思っていたから怒ったのだと思うのですが、ここで透子が怒るのは、瑠唯と仲良くなりたいから怒りだしたんだと思うんです。でも、その怒りは独りよがりの怒りなんですよね。


だから、透子がちゃんと瑠唯に対して自分の思っていることを言ったときに瑠唯はちゃんと自分の気持ちを返してくれる。


ここが、最高のエモーショナルポイントなんですよ!


瑠唯は現実的に考えて、意味のあること、結果的に得られるものがわかっているものを重視していて、感情的に行動することに対して否定的な考えを持っている子なんですよね。


そんな瑠唯が、透子に対して自分の思っている気持ちを言葉にするということは、感情に従って行動したということなんですよ。


だから透子は瑠唯も多分変わってるんだ。わたしから影響を受けているんだと感じて喜んでいるんだと思うのです。


と、ここで物語は綺麗に終わっているわけですが、、、。ここからまた完全版が描かれるみたいですね?完全版ではこのあともなにか物語が続くということなのですかね?どうなるのか気になるー!

『東の空に沈む』せん著 好きの反対は憎悪

abkai.booth.pm

 

こちらの作品はTwitterでも全話読めるので是非

 

自分の大切な人を殺された魔法使いの生き残りユギと、一族を抹殺された暗殺者のチナ。そして、二人のターゲットである帝国第三皇子のトゥファン。

トゥファンはたまたま同じタイミングで自分を殺しに来たユギとチナの二人を制圧、しかし、トゥファンは二人を殺さずにある契約を持ちかける。


時が来たら私を殺してほしい

私の死が、この国にとって

最も不利益となるその時に、だ


この物語はすべてを奪ったものへの復讐の物語


自分は過去の記事でこの方の物語は、『人生ってなんのために生きてるんだろう?』というテーマを感じると書きました。今作の主人公トゥファンも自分の人生の意味を考えます。

 

kenkounauma.hatenablog.com

 

あ、内容に触れるネタバレあります。

 

この憎しみもあなただけのものだ
ここ、いいセリフですよね。一見、前のセリフでの「あなた(父)の苦しみも、あなたのものだ」と言っているので、父の持っている憎しみ=信じるに値する人間がいないこと。のことを指しているのかな?と思ってしまいそうになりますが

「この(トゥファンから父に対する)憎しみもあなた(に対して)だけのものだ」

と言っているんですよね。つまりは、私が憎んでいたのは父だけだったんだということをここで告白します。

さて、ここで憎むということはどういうことか?を考えます。先に答えを言うと、憎しみ=愛ということなんじゃないか?と思うんですよね。

トゥファンは父からの虐待(性暴力)を受けています。父がなぜそういった行動をとったのかというと、2巻でトゥファンの口から明かされるのですが、嘘をつき続ける罰なのだと。

そんな、理不尽な扱いを受けているにも関わらず、父親を殺そうという方向にトゥファンが向かないのはなぜなのか?
それは、同じく2巻で、ユギやチナ、兄のシュナムを殺したのは父のためではなく自分のためだと言っています。では自分のためとはどういうことなのか。3巻でトゥファンはチナの一族を殺したのは自分に対する父の評価を上げるためであったと言っていますね。つまりは次期皇帝になるために殺したのだと。

しかし、本当にそうなのか?と思うんですよね。
確かに、トゥファンの父への復讐を遂げるためには、自分への信頼を最高に高めてから裏切るのが、父から自分を奪うのが一番効果的であろうと思います。ですが、それならば自分が死ぬ必要は無いですよね、その瞬間に殺せばいい。

でも、トゥファンは殺せなかったんですね。どれほど憎んでいても、虐待されていても、支配されていても、トゥファンにとっては『父親』だからです。トゥファンは母親の野心から男の子であると偽って育てられてきました。それによって、自分の性を偽わらなければならなかった。しかし、そうすることで、子供ながらに母とそして父から愛されることを期待していたんだと思います。物語に描かれていないのでこれは想像なのですが、母親から次期王となることで父が褒めてくれるなどのことを言ったのではないかなと思います。父は疑り深い人間だったので、おそらく子供のことも疑っていたから自ら近づいたりなどの行動をとらなかったと想像できます。

トゥファンは父から愛されたかったのだと思うんです。だから父の命令を聞き、父の喜ぶことをした。すべては父親から愛されるために。

だから、トゥファンはチナの質問に、自分のためだ。と答えたんですね。もちろん復讐も理由の1つですが。一番の理由は愛されたいからだと思います。体を差し出していたのは、いつかは自分を信じて、この行為をやめてくれるはずだと、自分を愛してくれるはずだと。

その願いは3巻で叶います。父はすでにトゥファンのことを信じていたと、愛おしい我が娘と語ります。つまり、信じていてなお、愛していると言ってなお、父はトゥファンの全てを差し出すように要求していたんですね。

トゥファンはそれを知って、そうだったのかと、ついに父から愛されることをあきらめたんですね。後のページでトゥファンが 「こんなにからっぽで何もないんだな、諦めるのって」と言っていることからもそうだろうと思います。
父が欲しかったのはトゥファンという1人の人間、信頼できる他人ではなく、すべてを共有する、いわばもう一人の自分が欲しかっただけだったから。(そう考えると、父が女性と交わっていたのは1つになろうとしていたからだと考えることもできますね。)

だから、トゥファンは父に対して「私」の全てを返してくださいと言ったのだと思います。

そして、トゥファンは父を殺す。父を殺す前にトゥファンは復讐を遂げます。ここでトゥファンが言っているのは、上で書いた、父はすべてを差し出すトゥファンのことを信じていた、もう一人の自分であるから。

しかし、トゥファンはそうではないと宣言しているのですね。

 

あなたが私から何を奪っても返せなくても、私は私でしかない

私がこの手で得て、成したものはひとつだってあなたのものではない

中略

だから、あなたの苦しみもあなたのものだ

 

トゥファンは、父に復讐を果たしました。この「あなたの苦しみもあなたのものだ」というのは、トゥファンが言った「あなたが~」はつまりは

「私の人生は私のものだ!!」

という、宣言なんですよね。嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいことも、全部私のものだと。

ということは「あなたの苦しみもあなたのものだ」このセリフはつまり


あなたの苦しみ=人生もあなたのものだ!!


あなたとわたしは違う人生を生きている別の人間なのだと。


そして、ようやくここで上でながながと書いてきた、トゥファンが父を殺す前に言う台詞に繋がります。
トゥファンは父に愛されたかった、しかし、自分を奪った父を生涯許さない。だけど、トゥファンは父を愛していた、愛されたかったのは愛していたから、憎かったのは愛していたから。つまり、ここで言うトゥファンの憎しみ=愛情、つまり

この憎しみ=愛情もあなただけのものだ

と言っているんですね。

ちなみに、奪うなら奪うしかないという価値観を与えたのが、父の妾だった魔法使いの女性でしたね。彼女が願ったのが王を殺すことだったと考えると、彼女の目的が達成されたとも言えるんですよね。まさしく人の心を惑わした魔法使いだったのかもしれません。


■そして、トゥファンはチナとユギに手を引かれて走り出す。

私、今生きてる!

なぜ、トゥファンはこの結果を勝ち取れたのか。それは彼女が、ナチやユギには本心をさらけ出したからだ。ではあるのですが、一番の要因は「王宮から魔法使いが一掃されたから」ですよね。父が行ったことが、自分を救うことはできなかったが、偶然でも、父も意図していなかったとしても、トゥファンを救ったんだと思います。

■どういう世界なら奪わずにいられたのか?
これはもうどうしようもなかったと思います。魔法使いというある意味でチートな能力をもつ集団を抱えてしまったら、もう制御できるとは思えません。いつかは破局が訪れたはずです。これが1人とか制御できる人数であればあるいはと思いますが、、、。

ただ、チナやユギは許すことができた。それはなぜなのか。
ひとつ思い浮かぶのは先日見た『フリー・ガイ』なのですが、これの感想でノラネコの吞んで観るシネマのノラネコさんが書かれていた

アメリカに引っ越した時、エレベーターで乗り合わせた他人に、「Hey」と一言挨拶するのが不思議だったが、ある時その理由が「襲われないため」と聞いて驚いた。
挨拶をして言葉を交わすことで、その相手は人格を持った一人の人間となり、襲ってもいいモブキャラじゃなくなるのだと。

noraneko22.blog29.fc2.com

チナとユギにとってトゥファンは知らない、関心のない対象でしかなかった。関心のない相手だし、自分の一族を滅ぼした相手だから殺してしまうことになにも問題はないと思っている。

でも、実際にはトゥファンだって、一人の生きている人間だったし、ちゃんと楽しみも苦しみも悲しみも持っている人間なんだと『認識』したことによって、本当に殺してもいい相手なのだろうか?という疑問を持ったんですね。そして、殺さなくてもいいという結論にたどり着いたのだと思います。

これはいまの社会でもいえることなんですよね、こちらが参考になります。新自由主義能力主義社会ってやつですね。

m.youtube.com

 

■そうは言っても沢山の人を殺しちゃったよね?
トゥファンとチナが2人で旅に出るというこの場面をみて『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を想起しました。
ヴァイオレットは戦争孤児でしたが、それを少佐に拾われて、少佐と一緒に戦争で大活躍します。もちろん戦争なので、たくさんの人を殺しています。そのことに対してヴァイオレット自身はなにも感じていなかったけれども、少佐から教えてもらった『愛』を知りたいと願います。そして、色んな人と出会い、いろいろな愛の形を知っていくことで、自身も愛とはなにかを見出していきます。いろいろな人たちのいろいろな愛の形があるということは、彼女が戦争で殺した相手にも、いろいろな愛があったということですね、ヴァイオレットの仕事は手紙=愛を届ける仕事に就いたことで、彼女がなにをしていたのかに気づき、その罪を償う物語でもあったんですね。

つまり、トゥファンとチナが旅に出るということは、いろいろな人と出会い、そのなかで罪を償っていく物語になるのではないのかなーと妄想します。あ、ここで言ってる罪とは、法律とかそういったものじゃなくて、個人でなにをしてしまったのかに気づいて、それをどう償っていくのかを追求していくことなので、罪に対する罰を受けろとかそういった話ではないです。


□最後に感想

ファンタジーだからこそ、現実世界の厳しさをより鮮明に伝えることができる。それは『ハリー・ポッター』『指輪物語』『十二国記』など、ファンタジーのシリーズ小説の傑作を挙げれば枚挙にいとまがないが、それらの物語にも通じる小説の効用だろう。

www.sankei.com


こちらの書評に書かれている三宅香帆さんのここの部分!まさに『東の空に沈む』もそうだな!と思いました。トゥファンの私を奪い返すというものは現実でも起きていることだと思うので、是非トゥファンの物語を見てほしいです。

 

あとは王が結構ヤバそうなんでけど、以外と豊かだよねこの国?とか、タイトルにはどんな意味があるんだろう?太陽が東に沈む異世界の話ってことかな?とか色々ありますが、ひとまずここまで。新刊の短編集もはやく読みたいー(泣)

 

 

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『俺にはこの暗がりが心地よかった』 星崎崑著  ささやかな幸せを奪われないことの難しさ

俺にはこの暗がりが心地よかった ─絶望から始まる異世界生活、神の気まぐれで強制配信中─ (GAノベル)

こちら作品を知ったのは、いつも大変参考させてもらってる人のTwitterでしたね。この作品が面白い!!と言っていたので、先日、書籍が発売したということで早速読みましたね。

いやぁ、面白くって読むのがやめられずに最後まで読み切ってしまった。
あとがきで作者さんがこれはアニメ化したいという目標があるとありましたが、絶対にこれはアニメ化すると思いますし、その他メディアミックスでの展開があるでしょうからいまから楽しみですね!!!

冒頭1ページ目の

 

俺にはこの暗がりが心地よかった。 

静寂と死が充満する迷宮に潜み、物言わぬ骸と化した探索者から装備を剝ぎ闇市で売りさばけば、なんとか食べていくことができた。 

死と隣り合わせの羨道で、玄室で。 

俺は闇を身に纏い、今日もただ息を殺し蹲っている。 

誰にも見られないように。

 誰からも注目を集めないように。 

そして。誰もが俺のことを忘れるように──

 

 

もう、これだけでうわーーー!!これは絶対面白いぞーーー!!!ってテンションめっちゃ上がりました。
この説明だけで、この物語世界は過酷な世界だって想像できるし、弱肉強食の世界で、最弱だと思っていたゴブリンにすら殺される世界かもしれない世界なんじゃないかってありありと想像できて、うぉー!ってなったんですよね。
これって、ようは『灰と幻想のグリムガル』を想起したわけなんですけども、グリムガル初期の最弱と思っていたゴブリンにどうやって勝つか?の試行錯誤のところってめちゃくちゃに面白かったので、これもそんな感じで進んでいくのかなーって期待しながら読み進めました。

以下には内容のネタバレを含みます。


この物語を読んでいて思ったのは、これって禰豆子が殺されてしまった場合の炭次郎なんじゃないか?って思ったんですよね。

主人公の黒瀬ヒカルくんて、森から始まる無理ゲーで死にかけたときに、でも生きたいと願うのは幼馴染の相場ナナミちゃんが生きてるかもしれないと信じて、もう一度ちゃんと出会うために必死に生き抜くんですよね。

でも、幼馴染のナナミちゃんはやっぱり死んでいたということが判明する。すると、幼馴染を殺した犯人を恨んで、復讐心で現実に帰ろうとするとかそうじゃないんですよね。そして、もしかしたら幼馴染を復活させられるかもしれない可能性が見えたとき、彼はすべてを犠牲にしてでもその可能性をつかみとろうと決意します。

炭次郎も、自分のためじゃなくて、禰豆子のために、禰豆子が人間に戻る可能性を探るために必死で生き抜く。もし禰豆子が死んでしまっていたらたぶん炭次郎って復讐に燃えた人間なるんじゃなくて、くんのように暗い場所で引きこもって生活をするんじゃないかな?って思ったんですよね。彼はもともと自分の家族と幸せに暮らしていきたかっただけの少年に過ぎなかったはずですから。そう考えると、ヒカルくんも幼馴染がいる生活に満足していて、その幸せを感じながら生きていきたかっただけなんですよね。


これってどういうこなのかというと、三宅香帆さんのこちらのブログをみてなるほどなぁと思ったのですが

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ここで言われている、お金を稼げ!とかってようはリア充になれ!ってことなんじゃないか?って思うんですよね。でも、リア充と非リア充なんてのは本人の感じ方であって、実際にはどっちもどっちで大変なんだってことが『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』で示されました。まさに2010年代ですね。

それがいまはシフトして、自分の幸せを求めるならば、自分だけじゃなくて、自分が大切だと思ったものも幸せにしないと、いくらお金を稼ごうが自分のためにならない、死ぬ間際に持っていけるものはお金じゃなくて、思い出だけですから。いやーー、よくわかんないですけどね!!

 

あとは、異世界の姿をライブ配信するっていうシステムが面白いなぁと。これってようはこの小説を読んでいる読者の目線なんですよね。なので途中で挟まれる掲示板回は、自分が解釈した内容と同じようなことが書いてあったりで、読みながらこの物語のことを自分と近い目線で解説してくれるのは面白いなぁと。

 

 

 

『赤髪の女商人』のゆ著 中世ファンタジーの世界で商人はどう生き残るか。

赤髪の女商人1 (アルファポリスCOMICS)

おぉー、面白い!
たしかこの作品を知ったのは、大好きな『騎士譚は城壁で花ひらく』の作者さんのTwitterで知ったような気がします。

以下、内容の説明。

なーろっぱと言われるような中世的世界ですが、冒頭の説明から、この世界はぼーっとしていても社会機構が助けてくれるような世界ではなくて、自らの力で生き抜いていく力がある人でないと生きていけない。

そんなことはわかっている主人公である赤髪の女商人「リアンノン」

彼女は立派に自分の力で生きてきたが、偽金を作り、市場に流した罪に問われてしまう。

権力者が絶対の社会でなんの後ろ盾もないリアンノンには自分の罪が冤罪であることを証明することができずに有罪が確定し、偽金を補填するための莫大な補償金を用意するか、できなければ絞首刑に処せられてしまう。

補償金を用意することに決めたリアンノンだったが、期日内に用意することは難しい為一度逃げることを選択する。

と言った感じですね。

彼女が逃げ出した先は修道院なのですが、修道院では一定期間保護されるということを知っていたから。
ですが、逃げ出した先である修道院の経済状況はめちゃくちゃ悪いんですね(笑)
ごはんの量が少なくて、倒れてしまう人が出るくらいには。

そんな修道院の経営状況を(まともな食事にありつくために)改善するために動き出したリアンノンは商人の目線からどこがダメなのかを導いていく。

基本的には修道院の人たちがぼーっとしているせいで、土地の貸賃を貰えてなかったり、敷地内で栽培している作物が盗られていたりといろいろあったりなんですが、まぁもしかしたら盗んでいる人たちも生活が苦しいからなのなかなーって思ったりしたんですが、そうじゃない!ってリアンノンが見抜くシーンは確かになぁってなります。

お次は北欧のヴァイキングが攻めてきて!?といろいろあるんですけど、続きはぜひ本書を買ってお楽しみください!!!


■力が無ければ搾取されてしまう世界で生きていくということは?

リアンノンのおかげで修道院の経済状況は改善されていくので、やっぱりこの世の中は弱肉強食、食うか食われるかなんだな。って思ってしまうのですが、そもそもリアンノンが助かったのは修道院という場所があったからなんですよね。もちろんそれも知識として知っていたからそれを使えたといえばそうなんですが、自分個人の力でできることはたかが知れているということを示しているんだと思うんですよね。

こちらの三宅香帆さんの記事で

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これをみてなるほどなぁと思ったのですが、ひと昔前は個人の能力を上げてお金を稼がないと生きていけない時代なのだ!的な空気はyoutuberが売れてたり、子供たちの将来なりたい人気の職業がyoutuberだったりしてることからそうなのかなーって思うんですけど。でも、個人の力なんてたかが知れている。これもまたyoutuberの話になってしまうのですが、人気がある人も自分だけでやってるんじゃなくてコラボ企画でやってたり、グループでやってたりと自分だけじゃなくて、誰かを巻き込んでいることが多いですよね。

だから個人の力だけでは、この世の中を生き抜いていくには柱が少なすぎるってことかな?周りを頼って、柱を増やして、一本折れたとしても他が支えてくれるようにする、ようは居場所を確保するってことなのかな。

そうすると今度は居場所が欲しい、友達が欲しいの、友達症候群が出るのかも?でもそれを回避するためには個人でも生きていけるという自信が必要で、それがあると友達が出来たり、居場所が作れたりするっていう、結局は個人の力がまずは必要になってくるんですね(笑)

話がそれたので戻して、うえで言ったことは2巻で出てくる少年領主を見てるとわかると思います。
というか2巻は登場人物の成長がいろいろ見られるエピソードが多くて、聖女として崇められていた「エディス」のエピソードや、少年領主のエピソードなんかは人が成長した瞬間を見れるので必見です。


あ、あと作者さんがもう一つ連載している『青色の遺産』もめっちゃ面白いのでぜひぜひ。単行本化してほしいです、アルファポリスさん!

www.alphapolis.co.jp